③ 初期発見(ミスリード)
神谷は机の前に椅子を引き、日記帳を一冊ずつ並べた。
紙は上質だが、使い込まれて端が柔らかくなっている。
聖女自身が何度も開き、閉じたのだろう。
最初の冊子を開く。
整った筆跡。
癖の少ない、読みやすい文字だった。
『お救いください』
一行だけ。
次の頁は空白。
その次も空白。
別の日付の頁。
『どうか穏やかに』
また一行。
さらにめくる。
『皆を守りたい』
『お許しください』
『光を絶やさぬように』
『今日も祈ります』
神谷は頁を閉じ、別の冊子を開いた。
内容は変わらない。
『迷う心を鎮めてください』
『誰も傷つきませんように』
『どうかお導きを』
短く、柔らかく、曖昧な言葉ばかりだった。
具体的な出来事はない。
誰の名もない。
場所もない。
王にも勇者にも、魔王にも触れていない。
まるで祈祷文の断片だ。
神谷は肘をつき、冊子の束を見下ろした。
聖女の日記。
王に最も近く、城の異変にも最も近かった女の私的記録。
そこに残されているのが、この無害な言葉だけ。
信心深い人物なら自然だ。
職務として祈りを捧げる者なら、なおさら。
だが自然すぎる。
事件の前兆もない。
迷いも怒りもない。
人間関係の軋みもない。
生きた人間の記録にしては、平らすぎた。
神谷は一冊を手に取り、紙面を光へ透かす。
消した跡はない。
書き直した痕跡も薄い。
本当に、これだけを書いたのだ。
「お救いください、か」
神谷は小さく呟く。
誰を。何から。
その対象がどこにもない。
聖女の言葉は優しい。
だが優しい言葉ほど、何でも包める。
救いは病にも使える。
争いにも使える。
個人の罪にも、国の危機にも使える。
意味が広すぎる言葉は、時に意味を隠す。
神谷は次の頁をめくる。
空白。
さらに次。
空白。
書けなかった日々。
あるいは、書かなかった日々。
その沈黙の方が、短い祈りの言葉より雄弁だった。
神谷は目を細める。
(核心を避けている)
知らなかった者の筆ではない。
知っていて、触れていない筆だ。
名前を書けば危険だったのか。
具体を書けば残るからか。
あるいは、言葉にした時点で何かが起こると知っていたのか。
第3話の壊れた勇者の日誌が脳裏をよぎる。
知るほど壊れる記録。
もし聖女も同じ結論へ辿り着いていたなら。
彼女は狂う代わりに、書くことをやめたのかもしれない。
神谷は冊子を閉じた。
祈りの文言に見える。
だがこれは祈りではない。
検閲された文章だ。
書いた本人による。




