⑦ 潜入調査
夜半、王宮は呼吸を浅くする。
昼の喧騒は消え、回廊には灯火と足音だけが残る。
神谷は王の私室へ続く通路の陰に身を潜めていた。
壁のくぼみに身を押し込み、暗がりと同化する。
護衛は二名。
扉の左右に槍を立て、無言で立っている。
交代時刻も記録通りだ。
やがて遠くから、複数の足音が近づいた。
侍従。護衛。灯り持ち。
その中心を、王が歩いてくる。
昼と変わらぬ姿勢。
疲れも眠気も見せず、背筋は真っ直ぐだった。
神谷は息を殺す。
王は扉の前で足を止め、侍従の言葉に軽く頷く。
「今宵もお疲れでございました、陛下」
「明朝、六刻に」
王は短く答えた。
扉が開く。
その瞬間、神谷の視界は護衛の肩と侍従の灯りで一部遮られた。
ほんの一瞬。
次の瞬間には、扉が閉まっていた。
重い閂の音。
護衛たちは定位置に戻る。
侍従たちは一礼し、去っていく。
静寂。
神谷は暗がりの中で眉をひそめた。
見たはずだ。
だが、決定的な瞬間だけが曖昧だった。
王が中へ入るところを、確かに視認したとは言い切れない。
それでも、扉は閉まった。
誰も疑わない光景だ。
(……それだけか)
神谷はその場を動かず、時間を待った。
一刻。
二刻。
三刻。
私室の前に変化はない。
護衛は交代し、灯火は揺れ、夜が深くなる。
中から物音ひとつしない。
やがて巡回の隙が生まれた瞬間、神谷は影のように通路を滑った。
護衛の視線が外れた一瞬で鍵穴へ細工を差し込み、音もなく扉を開く。
中へ入る。
冷えた空気が頬に触れた。
広い寝室。
整えられた寝台。
書棚。
机。
燭台。
厚い絨毯。
そして――誰もいない。
神谷は扉を閉め、素早く室内を見回した。
寝台へ近づく。
皺ひとつない。
掛布も乱れていない。
誰かが腰を下ろした痕跡すらない。
机。
紙束は揃ったまま。
羽根ペンの先も乾いている。
水差し。
満たされたまま。
窓へ向かう。
内側から厳重に閉鎖。
錠に傷なし。
壁を叩く。
中空音なし。
石材は均一。
床。
絨毯をめくる。
隠し扉なし。
暖炉。
人が通れる広さではない。
神谷は部屋の中央で立ち尽くした。
隠し通路はない。
窓も使えない。
寝た形跡もない。
つまり――
王はここにいない。
最初から入っていないのか。
入って消えたのか。
別の理屈があるのか。
どれにせよ、事実は一つだった。
王が消えている。
神谷の喉が鳴る。
この部屋には、人の生活の温度がない。
使われるべき場所なのに、使われていない空間の冷たさだけがある。
王の私室ではない。
王がいることになっている部屋だ。
その時、廊下で護衛の足音が近づいた。
神谷は即座に燭台の陰へ身を滑らせる。
扉の外から声がする。
「……異常なし」
神谷は暗闇の中で目を細めた。
そうだろう。
異常などない。
誰もいないこと以外は。




