③ 初期捜査
神谷は遺体の傍に膝をついた。
石床に広がった血は、すでに粘りを帯びている。
時間は、それなりに経過している。
だが――
「……妙だな」
指先で、床の血痕をなぞる。
広がり方が限定的だ。飛沫も少ない。
壁や天井にまで散った形跡はない。
(近い)
刺された瞬間、刃はほとんど密着していた。
距離がない。
振りかぶって刺したのではない。
押し込むような、至近距離の一撃。
神谷はゆっくりと立ち上がる。
「争いは?」
後ろの騎士が答える。
「ほとんどありません。室内も、この通りで……」
視線を巡らせる。
確かに、荒れていない。
台座もそのまま。
物が倒れた形跡も、引きずった跡もない。
(抵抗していない)
あるいは――
(できなかった)
神谷は遺体の腕に目を向ける。
防御創は、ほとんど見当たらない。
(不意打ちか)
それも、極めて近距離で。
「顔見知りか……」
無意識に言葉が漏れる。
背後で、誰かが小さく息を呑んだ。
この密室に入ることができた人間。
それは限られている。
いや――
神谷は、そこで思考を止める。
(違う)
ゆっくりと、部屋全体を見渡す。
入口は一つ。
隠れる場所はない。
結界は正常。
改めて確認しても、条件は変わらない。
(侵入は不可能)
それでも――
神谷の視線が、短剣へと戻る。
(この距離で刺した“誰か”がいる)
矛盾ではない。
むしろ、事実は一つに収束している。
神谷は静かに口を開いた。
「犯人は、この部屋にいた」
空気が止まる。
誰もが、その言葉の意味を理解した。
だが同時に――
それを否定する材料も、すでに揃っている。
「……しかし」
騎士の一人が、戸惑いながら口を開く。
「それでは、おかしいでしょう。ここには――」
「いない」
神谷が、言葉を継いだ。
短く、断定的に。
再び沈黙が落ちる。
視線が、室内を彷徨う。
壁。床。天井。
誰もいない。
隠れる場所も、ない。
出入りも、不可能。
それでも――
「いた」
神谷は、わずかに目を細めた。
「この距離で刺している以上、そうとしか言えない」
誰も反論できない。
血痕が、それを証明している。
近距離。
不意打ち。
抵抗なし。
条件は揃っている。
なのに――
「……消えた、ということですか」
誰かが、かすれた声で言う。
神谷は答えなかった。
ただ、静かに周囲を見渡す。
(違和感)
論理は通っている。
状況とも一致する。
だが――
(決定的な何かが、足りない)
あるいは。
(前提が、間違っている)
神谷はもう一度、扉へ視線を向けた。
重く、閉じられた世界。
その中に、確かに“誰か”はいた。
だが今は――
どこにも、いない。




