第105節 敗因
トラひげの治療と民の招集。
ほぼ同時に出した二つの指示が完了するのを待っている間、気を利かせたモリヤが兵を伴ってやって来た。
わしの傷の手当てをさせろと言うのだ。
「要らぬ。」
「しかし――」
「うるさい。要らぬと言っておる。去ね。」
わしは無理に追い払うと、更に時が過ぎるのを待っていた。
(しかし……、あれほどの不利な状況であったにもかかわらず、この程度の負傷で済むとは……。)
わしが考えていたのは、決戦の最中からどうにも引っかかっていたことだった。
それは、トラひげの奴は最後までおのれの兵を積極的に使おうとはしなかったということだ。
(まさか、囲むだけに留めるとは。)
わしは首を傾げた。
己が勝ちの要因を鑑みるに、それが最も大きな要素だったと言えるのではないか。
いくら酒に酔っていて、更には得物も有ったり無かったりで誰が指揮を執っているのかも判然とし難い烏合の衆の如き者たちだったとは言え、あれだけの数はやはり孤立していたわしにとって脅威以外の何物でもなかった。
我が兵の乱入前であれば、包囲兵の中から腕に覚えのある者を見繕ってわしの牽制に当てるだけでも十分な支援になるであろうし、我が兵の乱入後であっても、兵を半分に割って半数を我が兵に当たらせて残りの半数で同じことをすればよい。
そうしていれば、奴自身の剛勇も合わさってわしは我が兵らの支援も虚しく討ち取られていたことだろう。
そして、それは奴がその気になりさえすれば容易くできる事でもあったはずなのだ。
それでも奴はその選択をしなかった。
何故か。
トラひげは肝心なところでわしを侮り、下手を打ったということだろうか。
(いや、違うな。)
わしはその考えを即座に否定した。
わしは奴の剛勇を思い知っている。奴は戦場に在ってそんな簡単なことすら思い付かないほどつまらなく視野を狭くするような男ではないはずだ。
(ならば、やはり……。)
思い当たる節はあった。
――そういう意味では、まあいい大王なのかも――
わしは、民の間から不満を聞いたことがないと言っていた「ひいの君」の言葉を思い出していた。
兵もまた民の一部と言ってしまえば、その通りかもしれぬ。
奴は民が傷付くのを恐れるあまり、つい後手に回ってしまった。あるとすれば、そんなところだろうか。
(それが大王と呼ばれる者のする判断か?)
大王が負ければクニが負けるのだ。クニが負ければ民が負ける。それでもおのれの身よりも民を安んずることを選ぶと言うのか。
しかし、わしはトラひげを嗤う気にはなれなかった。
そして、わしはトラひげの方を見た。
奴はわしの視線に気付くこともなく、気持ちこそ荒々しさが収まっていないようだが大人しい態度で手当てを受けている。
恐らく脚や腕に受けた傷は完治も見込めるだろうが、目や指については絶望的だと言わざるを得ないだろう。
(やはり、そういうことなのだろうな。)
わしは確信した。
わしが敢えて見繕ってやったクマ兵は、鼻息荒くしたままのトラひげに怯むこともなければ憎む様子も見せず、出来得る限りの手当てを奴に施している。
大国の大王にして兵を指揮する将たる者が、名もなき一介の兵に好かれるなどそうあるものだろうか。
――暴虐の大王。民を慈しむことも知ら不。――
存外甘い奴と言えばその通りだが、奴は決して民を慈しむことを知らぬ大王ではない。
聞かされていた評に誤りがあったとは思いたくはないが、それでも目の前の光景が偽りや幻ではないことは間違いのないのだ。
(生かしたのは、やはり正解だったか。)
わしはおのれの判断に誤りがなかったらしいことを誇らしく思っていた。




