第103節 決戦 終合目 ~決着~
わしは折れた剣の先を見つめたままのトラひげの前に立ちはだると、その刃を突き付けていた。
しかし心の内ではその刃、つまり授かった霊剣のあらたかさを図らずも思い知らされたことで、背筋がうすら寒く感じるほどの戦慄を覚えていた。
(これが霊剣の神威というものなのか。)
未だ我が魂がこの体に留まっていられることが信じられない。
わしはおのれの手の中にある匕首の凄まじき威力を思い返さずにはいられなかった。
あの時――我らが決戦の勝敗を分けるに至ったあの勝負に挑んだ時、わしはおのれ自身でも確とは言えぬほどに小さく小さく間合いを詰めていた。
もはやわしもトラひげも口を堅く結んだきり、息遣う気配など微塵も見せてはいなかった。
ここに至りては、息を吸うの吐くのといったことなど妨げでしかない。不用意にそれをして、おのれの呼吸の隙を突かれでもすれば、為す術も見出せぬまま斬り伏せられてしまうことだろう。
「……。」
「……。」
互いに言葉も動きも見せぬまま、それでも斬り結ばれているのは我らが纏いし闘気だけだった。
その目には映らぬ気迫と気迫はどうにかして相手の隙を見出してやろうと、容易には動けぬ我らの肉体に代わって先ほどから何度も何度もその刃を交えていた。
そして――わしが、もう一歩と呼ぶにはあまりにも烏滸がましいと思えるほどにわずかに間合いを詰めた時、その瞬間は訪れた。
鋭い眼光と共に弾け飛んできたトラひげの殺気がわしを襲った。
(来るっ!)
その振り下ろされた一刀は凄まじきものだった。
わしは迫り来た、我が魂を冥界へと誘わんとする死の息吹に吹かれまいとするが、奴の闘気が我が足元を搦め取っていて、その場から動くことが遅れていた。
(拙いっ!)
そして、トラひげの全精力が籠められた渾身の一撃は躱す暇もあらねばこそ、わしは頭で考えるよりも体の方が勝手にそう判断して受け流しにかかっていた。
――しかし、その結果は実に敢え無いものだった。
(まさか、これほどのことができようとは。)
わしは、奴の脇に落ちているとある物がどうしても気になって視線をチラリと移した。
そこにあるのは一片の鉄。トラひげの持つ十拳剣だった物の片割れだった。
我が匕首は重くのしかかってきた奴の必殺の一撃を受けると、そのまま止めるでも流すでもなく、いとも容易くその刃を斬り飛ばしてしまっていたのだ。
「もはや勝負はあった。大人しく降伏なされよ。悪いようにはせぬ。」
「貴っ様……!」
わしは興奮するおのれを抑えつけて、さも悠然であるかのように勧告した。
そしてその一方で、おのれの不覚に悔しさを隠すことなくわしを睨みつけ、ギリと歯噛みするのはトラひげだ。
「命まで取るつもりはない。さあ。」
わしは今一歩を踏み出して、我が勧告を受け入れるよう促した。
トラひげを助命する――それは偽りなき本心からの勧告だった。
勿論、最初からこやつの助命を考えていたわけではない。
――暴虐の大王。悪王。およそ品格と呼べるものを持ち合わせ不、更には民を慈しむことも知ら不。此男不敬天之神。此男不畏地之神。――
それがこのクマ国の制圧を任された際に聞かされていたこやつの評。
そして、実際にこのクニを訪ってみれば有無を言わせる間もなく捕らえられ、いざ言葉を交わしてみても端々に滲み出るのは奴の粗暴さ傲慢さばかり。
これらのことを鑑みても確かに評判に違わぬ男だと思えた。
だからこそ、このような暴虐の大王は誅滅してこそのクマ制圧だと思っていた。
(そう。確かに、これこそ暴虐の大王と言えるだけの者よ。)
わしはニヤリと嗤った。
――しかし祭りの会場に忍び込み、その雰囲気を肌で感じた時、その考えに雑念が生じた。
祭りでは身分の上下や兵民、老若男女問わず皆が心からこの祝祭を楽しんでいる様子だったからだ。
(こやつがただの悪王であれば、民たちからこれほどの歓喜を引き出すことなど到底できはしまい。)
わしは嫌でも考えを改めねばならなかった。そのぐらい民たちの喜色はわしの想像をはるかに超えて大きく、かつ遠慮のないものだったのだ。
――そういう意味では、まあいい大王なのかも――
であればこそ、いつか「ひいの君」から聞き出したトラひげの寸評とも一致する。
あるいは正面から正々堂々とねじ伏せた相手であれば、そこまで遠慮してやる気など起きはしなかったのかも知れない。
しかし此度のように搦め手を用いて、それでもなお這う這うの体で勝利した相手を無下に扱えば、残された兵はもちろん奴を慕っている民にも必ずや遺恨ができてしまうだろう。
それでは例えこの地を征することができたとしても、その後の暴動や反乱に悩まされることは想像に難くないし、そのような征服に一体どれほどの意義があるというのだろうか。
(そして何よりも――)
わしは目の前で未だ敵意を剥き出しにしたまま一向に諦めようとせぬ男の姿を見て思った。
――そして何よりも、わしがこやつの剛勇を気に入ってしまった。ぜひ配下に加え、共に同じ景色を目指し同じ道を歩ませてみたい。
なればこそ今は生かしておいて、今すぐは無理だとしても機を見て懐柔を試みるが善なる策というもの。
(トラひげよ。貴様、良王であり勇者でもあることが幸いしたな。)
わしは抵抗する術を失ったトラひげに向かって、さらに一歩ずいと踏み出した。
「さあ!」
そしてわしは、奴の首元に切っ先を容赦なく突き付けて、事ここに至っては拒絶のしようのない決断をトラひげに迫っていた。
「大王よ、決断を!」
「……。」
トラひげはそのこめかみに見事なまでの青い筋を浮かべ、依然として変わらぬ悪鬼の如き形相でわしを睨みつけながらブルブルとその体を震わせていた。
しかし、さすがにおのれの敗北を受け入れざるを得なかったようで、物言わぬまま随分と短くなった十拳剣を握る手から、籠めていた力を抜いた。
奴の手から離れた剣はガランと重く乾いた音を立てて奴の足下に転がった。
(やった!我らが野望は成ったぞ!)
ついにこのクニの大王がわしの前に屈したその姿に、我が胸中は会心の感情で溢れ返ろうとしていた。
しかし、これで終わりではない。もはや戦意を失いつつあるとはいえ、奴の手勢はまだ無傷のままで残っているのだ。
わしは愉悦に浸るのもそこそこにせよと自らを戒めると、もはや満足に動けぬことが分かっているトラひげをその場に放りおき、宮殿の中央に移動して高らかに降伏を呼びかけた。
「さあ、クマの兵たちよ!見ての通り、お前たちの大王は我が掌中に収まったぞ!お前たちの負けじゃ!大人しく武器を捨て投降せよ!無駄に命を捨てることはない!」
すると、ザクという音が耳に入って来た。
この勧告に呼応した我が精兵が、この機を逃さずクマ兵への圧力をより一層強めたのだ。
(モリヤか……。如才ない奴め。)
わしは我が兵を指揮している、加わってからまだ日の浅い我が臣の有能さに感心した。
クマ兵たちははじめこそその勧告を受け入れるべきか訝しみ、戸惑ってもいたようだったが、その内の誰か一人が手にした得物を手放した音がすると、その音は瞬く間に周囲に伝播し、ついにはその場に座り込む者、へたり込む者が続出した。
こうして我らがクマ国征服劇は一先ずの勝ちを以って決着を見た。




