第102節 死闘の証言者
台上で行われていた血闘が決着した光景が目に飛び込んできた瞬間、わたくしは吸う息が詰まってヒッという情けない音を漏らしていた。
それは、もし余人に聞かれたら貴人にあるまじき臆病者との誹りを受けそうな音。
しかしそんな貴さの欠片もないような音も、続いて聞こえてきた人が床の上に倒れる音と、観衆の一瞬のざわめきによって、無かったことにされていた。
(終わっ……た……?)
そうして次に正しく息を吸い直した時、わたくしは結論を出すことを躊躇っていた。
この悪夢は早く終わって欲しいという気持ちと、こんなに簡単に終結してよいはずがないという気持ち。そういう、自分でもよく分からない二つの相反する思惑がわたくしの中でぶつかり合っていた。
今では辺りは妙な静けさに覆われていて、自分の心の音が感じられるほどになっていた。
台上に見える姿は一人だけ。倒されたもう一人は欄干の陰に隠れてその姿を確認することはできない。
「はあ……。」
わたくしはどうやら久しく忘れていた気がする息を吐き出すということをした。
すると、すでに抜けていた腰にこれ以上にまだ抜けるものがあったようで、背中を吊っていた緊張の糸がぷつんと切れてしまい、腰がみっともなく丸まってしまう。
もう、その場からすっかり動けなくなってしまっていた。
(本当に……終わった?)
今どうなっているのかをあらためて整理してみる。
わたくしは忘れて丸まった背中を正すことも忘れて、たった今見たばかりの決着の瞬間を思い返していた。
そう。言葉通りに見ている者を息詰まらせたこの血闘に決着がついたのはほんの一瞬の出来事。
――ジリジリと焦げ付いて今にも発火してしまいそうな、それでいて身震いしたくなるほどに冷たい緊張感が宮殿の麓にまで伝わってくる中、台上の二人はお互いに睨み合ったまま本当に凍り付いてしまったかのようにピクリとも動かなかった。
しかし、それでも少しずつお互いの距離は縮まっていたようで、先に動いたのは大王だった。
いざ自分の間合いに入ったと見た大王は、先手を取って渾身の一撃を白面の舞娘に振り下ろした。
鋭く空を斬り裂く音がわたくしの耳にまで届くほどのその一振りは誰にも躱せるはずがない。
白面の舞娘はその不可避の一太刀を受け止めようとした。
しかし、大王の剣は止まることもなければ、その向きを変えることもなく、鋼刃と鋼刃が交わる一瞬きりの物打ち音を残して、そして彼女を両断に斬り裂いていた。
いかな達者と言えど、小さな匕首で大きな剣の一撃を受け止められる道理はない。
武芸に疎いわたくしですら分かる失態を犯した白面の舞娘は、その衝突で弾け飛んだ首と共にその場に崩れ落ちていた。
――それがこの勝敗の顛末。
そして沸き起こった歓声も、どういうわけか後に続こうという者がなく、今ではこの辺り一帯は何とも奇妙としか言いようのない静けさに支配されていた。
(本当に、本当に……終わった?)
わたくしはにわかに訪れた悪夢の終焉がどうしても信じられず今度は息を吸うのも忘れて、ただ目に入ってくる光景を認めることに必死になっていた。
台上に見えるのは一人だけ。
見えるのは剣を振り下ろしたままの大王。そして、欄干の影に倒れて見えなくなったのは白面の舞娘。
両者の間にあった緊張感は急激に薄らいでいて、二人とももうそれ以上の動きを見せることはない。
どう見ても勝敗は決したように見える。ならば……。
大王が次に為すべきことは高らかに勝利の宣言をすること。わたくしはそう思い、その動向を注視した。
(……あら?)
しかし大王は動かなかった。
いつまで経っても剣を振り下ろした格好のまま微動だにしない大王に、わたくしだけでなく民も兵も、この場に居合わせた全員が怪訝さを隠さなくなっていた。
(まさか、死んで……?)
いいえ、それはありえない。と、わたくしはその不吉な考えをすぐさま否定した。
いかに大王の受けた傷が深いものだったとしても、まだ死んではいないはず。何故なら、大王はたった今も肩を大きく上下させているのだから。
息をする死人というものをわたくしはついに聞いたことがなかった。ならばやはり大王は生きている。
しかし、それならばなおのこと己が勝利を高らかに宣言してほしい。
どちらが勝つにせよ、そうするより他にこの戦場と化した祭祀を納める方法がないとそう感じられてならなかった。
(そうでしょう。)
わたくしは誰に対するでもなく同意を求めていた。
そうしてこの場に居合わせた誰もがその注目を宮殿へと向けていた。
(早く。)
きっと誰もが同じ思いのはず。
それを聞かないと納まりが付かないし、安心できないから早く。と、わたくしは願っていた。
――そして、その沈黙がついに打ち破られた。
しかしその沈黙を打ち破ったのは、大王の勝ち名乗りではなく観衆のどよめき。
それが見えた時、わたくしもまた悲鳴なのか歓声なのかはっきりしない声を上げてそのどよめきに加担していた。
何故大王の勝ち名乗りを待つことなくどよめきが起きたのか。――それは、斬られたはずの白面の彼女がムクリと起き上がったから。
大王の十拳剣に斬り裂かれたと思われた彼女はいくらか息を弾ませながら立ち上がると、不思議そうに自分が手にしている匕首を眺めていた。
(これは……?)
どうなっているの?彼女の首は大王の剣によって斬り飛ばされたのでは。
事情が呑み込めずに目を白黒させていると、その答えを導き出す暇も待たずに白面の舞娘が動かないままの大王にその匕首を突き付けて降伏を呼びかける声が聞こえてきた。
「もはや勝負はあった。大人しく降伏なされよ。悪いようにはせぬ。」




