1 テト/禁止技
「いろいろ、言いたいことはあるけど、とりあえず」
そう言ったテトは、ホットのコーン茶が入ったカップを持ち上げて、一口啜った。
ホテルの広いラウンジで、昨日アフタヌーンティーを嗜んだ時と同じ席に、テト、ユング、ソラ、ユングが着席している。
ソラが、隣に座っているググの肩に頭を預け、気だるげに朝食のパンに手を伸ばした。
ググの目が気まずそうに食堂の辺り一面を見渡し、キョロキョロと動く。
ユングはというと、眠そうで、ホテルの備え付けの白いルームウェアをそのまま着てきていて、大きなあくびをした。テトがそれから何も言わないので、赤い前髪を指先で整えてから、ユングが口を開く。「とりあえず……?」
「キリは連れて帰る」
ソラが見る、テトの珍しく真剣な表情だった。
ここにいる誰のことを見ているわけでもなかったが、その目は確実に何かを見つめていた。
ソラは、食べようとしていたパンをまた皿にそっと置いた。
「僕は死んでも大丈夫。でもみんなには協力してほしい」
テトのそれは、たとえ人の思考が読み取れるユングではない残りの二人にも本気で言っているのだということが伝わったが、ユングは二人を案ずるかのようにそれぞれ一瞥し、
「ぼ、僕は……テト兄のことも大好きです。でも、テト兄に協力したら、僕は大好きな先生を裏切ることになりますから……僕はそもそも、キリさんを探す先生についてきて、先生のために行動していて」
「わたしも」
ユングの話を遮ったソラが腕を組んだ。
「もう、テトに協力する理由はない。昨日でわかってくれたんじゃないの? わたしの出したあの『条件』だって達成してくれたわけだし。あんまり意味なかったけど。わたしはあの子がいなくてもどうでもいいし」
それに、とソラは続けて、
「もう、ググがいるから。しかもググにはなおさら、協力する理由はないでしょ? 手を引くために帰らされたわけだし。ググのこと巻き込むわけにもいかないし、わたしはググと一緒に帰る」
ね。そう言って、ソラはググの腕に自分の腕を絡めて近寄せる。
二人の意見が意外だったのと、ソラがググにひっついているのを見たテトの口がぽかんと開いた。そして両手を広げ、「まじで言ってる?」
「バカなの?」ソラはようやくパンに手をつけた。それを口に運び、咀嚼しながら目を細めて言った。「無条件でもうそんな危ないことに付き合うわけないでしょ。仕事だってあるし。ただでさえ、穴開けて飛び出してきてるのに……もう帰りたいし」
連日の疲労もあってか、もうテトは言い返さなかった。
軽く頭を横に張って「わかったよ」とだけ言い、あとは四人で黙々と朝食をとるだけだった。
⬛︎
各々部屋に戻り準備をし、ホテルを出ると、なぜだか周りはやたら静かで、人がほぼ歩いていない上に、車の通りもなかった。昼時なので、ある程度の通行量はあるはず。それぞれがなんとなく違和感を抱いていたものの、あまり会話をする雰囲気でもなかったので、帰るためのタクシーを探しながら、四人は静かだった。
静寂を先に破ったのはユングだった。何か、変ですね、などと独り言のようにぶつぶつ言いながら、顎に手をやり、「車、手配しませんか?」
「そんな簡単な発想が思い浮かばなかったとは」
テトは項垂れ、携帯端末を取り出してすぐに車を手配しようとする。
が、機能が立ち上がらずに、画面には小さくエラーの文字が表示されるだけだった。外で、しかもこんなありきたりの道端で、オフラインになることは有りえない。
「……エラーだ」
「はぁ?」
テトに続いて、ソラが端末を取り出し、ググ、ユングも自分の端末を取り出し、画面を見てすぐにお互いの顔を見合わせる。
テトは口を尖らせ、肩をすくめた。「こんなん有り得る? 一昔前とかじゃないんだぞ?」
「と、とにかく」ユングはすでに焦っている様子で、「車は諦めて、電車に乗るとして、駅に向かった方がいいかも。ここまで人が歩いてないのもおかしいです。人のいるところへ……」
「僕とソラが駅なんか行ったら大騒ぎになっちゃうだろ。人が全然いないのはたしかに変だけど、むしろ今は好都合だよ」
「じゃあ、どうしろっていうの? ひたすらに車を探せばいい? 人すらいないのに」ソラはすでに我慢できていないようで、強めの口調で、かつ早口でテトに言う。「帰れないより、電車乗って騒がれたほうがマシでしょ」
「僕は帰るわけじゃないし。ジュノさんのところに行ければいい。駅には行きたくない。だったら、こっから別行動だな」
ソラは何か言いたげだったが、何も言わずに腕を組んでテトを睨むだけだった。そんなソラを見て、何を考えているのか大体把握したユングが、とってつけたような笑顔を見せて軽く手を挙げる。
「あの! 僕、わかりました! とりあえずそこの商店街入りませんか? 人がいたら、そこで配車お願いしてみればいいですし、いなかったら、そのまま駅に向かえばいいですし。それに、さすがに商店街には誰かしらいますよね?」
いなかった。
どの店もシャッターが降りていて、人が歩いていないどころか、店もやっておらず、昼間だというのに、この場だけどんよりとしていてまるで夕方のようだった。
商店街の道の中央で、四人は横並びになり、立ち尽くす。どことなく肌寒いような気もした。全員、歩き進める気もなく、立ち尽くしたまま、ソラがワンピースの袖から伸びる細く白い腕をさすった。
ググが屋根のかかった空を仰ぐ。気温といい、人通りのなさといい、ここだけ現実味がなく、むしろ悪夢の中にいるようだった。ユッケを食べようとユングと入ったあの飲食店での一件もあり、やたら不気味に感じる。それに、不安の他に、なぜだか誰かしらに無理やり怒りを覚えさせられているような気がした。
「すごく……嫌な予感がします」
ユングがぽつりと言った。
「誰だよ、こんなとこ来ようって言ったのは」イライラとしながらテトが言うと、
「でも、ついてきたのは君だろ」
テト、ソラ、ユングの三人が一斉にググを見たところで、それが自分から発せられた台詞だとようやくググは理解した。自分が強い口調でなにも考えずに言ったのが信じられず、思わず唇に手をやる。
「……は?」この時点で、テトも正気ではなかった。「昨日からむかつくんだけど、お前」
お前、と言われるや否や、ググの中の何かスイッチのようなものが勝手に誰かに押された感覚になっていた。もはや、先ほどの自分から発せられた強い口調への驚きはなくなって、誰かに操られたかのようにゆらゆらとテトのもとに近寄り、テトの胸ぐらを掴む。
テトは動揺しなかった。ググの目を見つめ、無表情で、
「やるのかよ、僕と。石頭のくせに」
ググがそのままテトを引き寄せ、そして突き飛ばすように軽く押した。
それだけだったのに。
まるで、車に轢かれたかのように強い衝撃でテトが飛ばされ、数メートル先の飲食店のシャッターに背中を打ち付けられる。バン、と強い音がした。
「ググ兄……やっぱり」
ユングが両手で口元を覆う。ソラはというと、ポカンと口を開けて、ググとテトを交互に見ていた。「ググ、どういうことなの……?」
「てめえ」テトが、両手をつき、よろよろと立ち上がり、虎のような目でググを睨みつけた。「隠してたな」
勿論ググにはそんなつもりはない。湧き上がる怒りとまだ僅かに残っている理性との間で、ググは自分の手のひらを見つめた。なぜ、テトを吹っ飛ばせるほどの力があるのか全くわからなかった。有能力者であれば当たり前にできたことかもしれないが、これまでの自分ではありえないことだった。
「隠してたんじゃ、」
ない。
ググがそう続けようとした時だった。
ググの目の前に、一瞬の速さで商店街備え付けのアルミのゴミ箱が飛んでくる。テトが力任せに手をかざし、飛ばしてきたのだった。
ググの右手が反射的に前に出された。何をどうしようと思ったわけでもなく、それは無意識だ。
テトの思惑とは外れ、ゴミ箱はググの手のひらから数十センチ離れたところでピタリと止まり、浮き続ける。
ソラやユングがやったわけではない。紛れもなく、自分の力だった。
ググの右手に自然と、さっきから湧き上がっていた怒りのようなエネルギーが集まる。手のひらが熱くなっているような気もした。
ぐぐぐ、と、自ら手に力をこめると、ゴミ箱がピシピシと割れそうになる石のような音をたてる。
「ググ兄」
唇を震わせ、ユングがググを呼んだが、遅かった。
バン、と大きな音をたて、ゴミ箱は破裂し、中の缶や生ゴミも弾け、露出し、ガチャガチャ、ビチャビチャと音を立てて地面に落ちる。それはアルミ製とは思えない、まるで人間の内臓が破裂したような、脆い素材のような弾け方だった。
どっと疲れが襲い、ググの呼吸は深く、そして荒くなる。短距離走を何回か繰り返したかのような疲れだった。これまでの自分ではあり得ない力を発揮した己の手のひらを見つめて、そしてググはテトのほうを見た。
彼に怒りはないはずなのに。誰かに怒りを覚えさせられていて。
始末しろ。
誰かにそう囁かれている気がした。
なんだ、有能力者だったのか。
自分と同じくよろついているググを見て、テトは乾いた笑みを浮かべた。ググに対してこれまでどこか気を遣っていた自分が馬鹿馬鹿しい気がした。
それに、あの速さで自分を吹っ飛ばした挙句、あのアルミ素材のゴミ箱を潰すのではなく破裂させられたということは、そこらへんの有能よりも力が強い可能性が高く――恐らく、自分と同じくらいか――
なぜ有能であることを隠していたのか。無能力者のフリをしていても諸々面倒くさいだけだ。
しかし、テトにもそれ以上あれこれ考える余裕はなかった。昨日の一件関係なしに、ググを誰かに無理やり「敵」として認識させられているような、そんな感覚がした。
いや、紛れもなく、敵だ。
(ソラのことも、キリのことも、こいつが)
「テト兄、ググ兄」両手を挙げ、ユングが言う。「落ち着いてください。この場所、おかしいです。僕、わかります。きっと誰かの――ジンの力が――僕たちが、おかしくなるように支配されようとしてます。飲み込まれたら……終わります」
テトとググの視線がぶつかり合う。息の荒いググと、まだ体力が有り余っているテトが、お互いに歩み寄った。
先に殴ったのは、テトだった。能力も行使せず、ただ、拳でググの顔面を殴っただけだった。
ググがよろめいたところで、テトがググの服を掴み、そのまま地面に押し倒す。
ググを掴む両手に力が籠る。
テトの血管が黒く彩られ、服から覗く首から頬までの血管が浮かび上がった。
「テト兄! それは禁止技ですよ!」
「見てやる」うわ言のように、テトが言う。黒い血管が浮かび上がる範囲がどんどん広がり、それはまるで黒い稲妻のようだった。「お前が、誰なのか。全部」
震える片手で、ググがテトの首を掴んだ。その手にはじょじょに力が籠り、テトの首をゆっくりと時間をかけて締めていく。
「見てみろよ」
その声は、ググの声ではないようだった。声どころか、表情も。
ニヤリと笑みを浮かべ、ググはテトの首を絞めたままどこか楽しそうに続けた。
「見れるもんなら」
テトの呼吸さえも、早くなっていく。本来ならもう対象と自分は対象の精神の中に堕ちておかしくない時間だ。ハニの時も、ここまで時間はかからなかった。疲れてはいるものの、ググは毅然としていて、目もハッキリと自分を見据えている。そして、不敵に笑っている。
怒りの次は、恐怖だった。
テトは、ある人物を思い出す。
ハニの精神の中にもいた、あの仮面の男。
――自分の父親を。
「誰なんだ……? お前」
首を絞められながら、震える声を絞り出し、そう問うた瞬間。
ばつん、と、テトの頭に電流のような痛みが走り、テトはググの体に倒れ込んだ。




