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第173話 第27024層の僕

「……気をつけてくれ。突然こんな奇跡の力をひけらかせば、資源を奪い合う暴動が起きるかもしれない。だから、少しずつ……自然な形で、村を豊かにしていくんだよ」


 十年前。自分と同じ顔をした、巨大で心優しい男から託された忠告。

 第27024層のアフリカ・ゼノビアに相当する過酷な荒野で、十八歳の僕はその言葉を、愚直なまでに守り抜いていた。


 魔法の因子によって、僕には水や緑を瞬時に創り出す力が備わっていた。

 しかし、僕は決してその魔法を人前で使うことはしなかった。干からびた大地の上で、僕は飢えと渇きに苦しむ村人たちを集め、ボロボロのくわを握りしめて言ったのだ。


「みんな、諦めないで。僕にはわかる……ここを掘れば、絶対に水脈がある気がするんだ!」


 村人たちは半信半疑ながらも、僕と一緒に鍬を振るった。

 炎天下の中、手のひらの皮が破れ、血豆が潰れ、全身が泥と汗にまみれる。その過酷な肉体労働の中で、僕は密かに『魔法』を行使し続けた。


 村人たちの鍬が振り下ろされるタイミングに合わせ、気づかれないように極小の『土の魔法』を放って岩盤を柔らかく砕く。

 さらに、地中深くで枯れ果てていた地下水脈を探り当て、『水の魔法』で新たな水源を創り出し、みんなが掘り進めている井戸の底へと少しずつ誘導していく。


「……出たぞ! 水だ!!」


 数週間の泥臭い労働の末。ついに濁った水が湧き出した時、村人たちは抱き合って歓喜の声を上げた。

 魔法の奇跡ではない。彼ら自身の汗と涙で掘り当てた、命の水。

 僕は泥だらけの顔を拭い、彼らと共に手を取り合って、子供のように笑い合った。魔法は、あくまで『彼らの努力を裏から支えるためのインフラ』でしかなかった。


          ◇


 それからの日々も、泥にまみれた土木工事と農業の連続だった。

 風と土の魔法で少しずつ地ならしを行い、水路を拓く。そして、あの巨大な僕から貰った『一粒の麦穂』。これこそが、この荒野を救う最大の希望だった。


 僕はその麦の種に、何年にもわたって『自然魔法』を微量ずつ流し込み続けた。

 魔法で一気に成長させるのではない。この過酷な気候でも枯れない強靭な品種となるよう、世代を重ねるごとに少しずつ生命力を強化していくのだ。


 やがて、その麦は荒野に根付き、豊穣な金色の波となって大地を覆うようになった。

 僕は村の長老や若者たちに農業のイロハを教え、自らも泥にまみれて働き続けた。休むことなく、自らの魔力と体力を削り、他者のためだけに生きる。


 そうして、十年が経った。


 かつて飢えと渇きに苦しんでいた絶望の荒野は、豊かな緑と張り巡らされた水路に囲まれた、数万人規模の巨大な都市オアシスへと発展していた。


「聖者様……どうか、我が子に祝福を」

「ああ、神の御使いよ。あなたのおかげで、私たちは今日も生きています」


 市場を歩けば、人々は地面にひれ伏し、僕の足元に口づけをして祈りを捧げる。

 僕はもはや、一介の青年ではなかった。数万の民衆から絶対的な信仰を集める、生きた神のような存在になっていた。


 だが、僕自身は依然として粗末な布を一枚纏っているだけだった。

 美味しいものを食べたい。楽をしたい。恋がしたい。

 そんな『僕』という個人の私利私欲や自我エゴは、十年間、ただひたすらに民衆のために自己犠牲を払い続けた結果、とうの昔に摩耗して消え去っていた。


 今の僕の心にあるのは、ただ一つ。

 『世界と、この愛しき民衆たちの平穏』を願う、文字通りの『概念』としての祈りだけだった。


          ◇


 そして。ついにその日が訪れた。


 パリーンッ!!


 突如として、オアシスの空が幾何学模様にひび割れ、世界そのものが眩い光に包まれ始めた。

 あの日の僕たちが言っていた、『約束の日』だ。


「そ、空が割れたぞ!?」

「世界の終わりだ! 神の怒りだ!!」

「聖者様! 聖者様ぁぁっ、どうかお助けを!!」


 都市の広場は、凄まじいパニックに陥った。

 数万の民衆が泣き叫び、逃げ惑い、絶望に満ちた声を上げて僕の元へと殺到する。


 広場の中央に立つ僕の体もまた、足元から眩い光の粒子へと変わり始めていた。

 だが、僕の心に恐怖はない。ただ、怯える子供たちを安心させるような、穏やかで慈愛に満ちた微笑みが自然と浮かんでいた。


「恐れることはありません。愛しき子らよ」


 僕は両手を広げ、光の中でパニックに陥る数万の民衆たちに向けて、静かに、そして世界中に響き渡るような優しい声で説法を始めた。


「これは、終わりではないのです。私たちが、より大いなる一つの流れへと還るための……大いなる祝福の光なのです」

「しゅくふくの、ひかり……?」


「なるようになる。すべてを受け入れ、その身を光に委ねなさい」


 僕の全身から放たれる、圧倒的で絶対的な『平穏』のオーラ。

 それは恐怖に怯える民衆たちの心を、春の陽だまりのように優しく包み込んだ。

 泣き叫んでいた母親も、震えていた男たちも、次第に安らかな顔になり、争うことをやめて静かに膝をついた。


 誰も逃げない。誰も泣かない。

 数万の民衆が、僕と同じように微笑みを浮かべ、静かに祈りを捧げながら、空から降り注ぐ光の中へと溶けていく。


「さあ、共に還りましょう……」


 純粋な慈愛と、究極の自己犠牲。

 すべてを受け入れ、完全に自我を捨て去った『第27024層の僕』の精神は、数万人分もの強烈な信仰の重みと共に、静かで神々しい光となって次元の壁を越えていく。


 その果てしなく純粋で、美しすぎる祈りの光が。

 やがてこの世界にどれほどの『恐るべき事態』を引き起こすのか、今はまだ、誰も知る由もなかった。

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