第五章
第五章
「何かあったのかな」
お父様のお庭を耕すために、二人で草刈りをしていた。
「少し休憩しようか」
お父様の優しい声は、私にだけ向けられている。
「アベリア。今日はいい天気だから、冷たいものにしようか」
お父様の所作はとてもきれいで、無駄がなくて。お母様とはまた違う目を引くものがある。
「はい」
お父様が用意してくださった紅茶はとてもすっきりとしていて。スッと鼻に抜ける。
ふう。おいしい。ああ。私もこんなふうに淹れられるようになりたい。
「さて。僕たちのかわいいアベリアを困らせる悪いうやつはどんなやつかな」
「お父様……」
私に向けられるお父様の表情は、いつだってやわらかくて、優しいもので。だけど。私になにかあるとそれは危ないものになる。だから。
「その名のように、強く、可憐で、謙虚な僕たちの娘」
お父様の手が伸びる。
「アベリア」
お父様の声が、手のかかる子供に向けるようなものにかわった。
「自分の力で君はなんでもできてきたから、これからもそうするんだろうね。そんなアベリアのことを僕たちは誇りに思っているよ。でもね」
頭をなでていた手が頬に降りてきた。
「まだ学生のうちは、僕たちを頼ってほしいな。といっても話を聞くことしかできないけれど」
「お父様……」
その手はとても優しくて。お父様が私に触れるとき、それはいつだって割れ物に触れるようで丁寧で。私を見るその眼は、ここでしか。お父様からしか向けられることのないもの。
……黙っていることはこの場合正しくないか。
「彼女らしいといえば彼女らしいことだけれど。僕を信じていないという点も彼女らしいね」
お父様に先日の出来事を事細かにお話した。
「このことは僕から話すと伝えていたんだけどね。のらりくらりと話を後回しにすると気づいていたんだろう。僕の事を彼女は嫌っていただろ?」
その言葉にうなづいていいのだろうか。
受けた印象としては。
「お母様とお父様では少し異なる印象を受けています」
「そうだろうね」
……どこか嬉しそう。
「彼女のいう通り、結婚の話はでているけれど、卒業後のこと。向こうの気が変わらないとは限らないし、君の言動を縛る行為をしたくないからね。君の今の回答は正解だよ」
「ありがとうございます」
お父様が触れるのは結婚の話だけか。
記憶のことは……。
私から触れていいことなのだろうか。
……。
……。
よし。
「お父様」
「どうしたんだい?」
「……私の記憶はどこか一部書き換えがされているのでしょうか」
聞いてしまった。
「彼女がそんなこといっていた。ねぇ……」
「……お父様?」
聞くべきではなかった?
お父様の態度としては特段の変化はない。
といってもお父様は全てを消されてしまう人だから。
「記憶に手を加えたわけではないよ。少し思い出しにくく箱にしまっているだけ」
大したことではないというように言われるけれど、簡単な魔法ではない。
「記憶の話をする前に、一つ確認をいいかな。こんな言い方をするといろいろと考えてしまうかもしれないけれど」
「なんでしょうか」
「記憶の話と結婚の話は別で考えてくれるかな?」
……関係しているということを示唆している。
「お父様」
卒業まで考えるといったけれど答えは決まっている。
「大丈夫です。どんなお話であったとしても、混同いたしません」
ギンシュ様と結婚するなどありえない。
「なら始めようか」
お父様の手が伸びた。
「目をつむってくれるかな」
「はい」
この子が……。
はい。ほらご挨拶。
はじめまして。アベリア・ホクシャです。
きれいな動きね。さすがフリージアの娘。
ありがとうございます。
年は?
六さいです。
ティバルトとは一歳ちがいなのね。
ご子息ですか?
ああ。……この子ほど優秀ではないが。本当にしっかりした子だね。
おかあさまー。
こら。お客様の前だ。
……あ。もうしわけありません。
いえ。お元気でなによりです。
ティ……。ティバルト・カイロです。
はじめまして。ティバルト様。アベリア。
……アベリア・ホクシャです。
……。
ティバルト?
あ。ごめんなさいおかあさま。……アベリア? むこうにお庭があるんだ。見に行かない?
……おにわ? ですか。
うん。僕もていれをしているくかくがあって。……どうかな?
アベリア。よかったわね。
いってきます。
ほらこっち! すぐだから。
はしるなぁ。こけるわよ。
ここ。どう?
……きれいです。
よかったぁ。色をそろえたんだ。
あらあら。ほんとうに綺麗なあお色ね。
お母様。
ティバルトが選んだ花よ。
ネモフィラですね。ティバルト様のお瞳のようで、とても美しいです。
僕のめ?
ええ。お育てになられて花々のようにとても。
花を植え替えたんだ。君が好きだと言っていた色にしてみたんだ。
見てみたいです。
お母様。アベリアと外にでてもいいですか。
ああ。いっておいで。
アベリア。気を付けてね。
はい。
アベリアのことを気にいっているから。今日も来てくれるかどうかそわそわしていたわ。
お母様!
あら聞こえていたの。
ふふ。アベリアと仲良くしてくれてありがとうございます。ティバルト様。
いえ……。
全く私に似てしまって困っているよ。美しいものに目がないから。
だからお母様!
ほらほら。女の子を待たせてはいけないよ。
あ。ごめん。
いえ。
じゃあいこうか。
……。……。……こわい。やだ。いやだ。なに。どうして。どうしたらいい。
お母様。たすけて。いやだ。いやだ。いやだいやだいやだいやだ。こわい。いたい。
お母様たすけてどうしたらいいのわからないよ。いやだよこわいよいたいよ……。
……大丈夫。こわくないわ。
お母様!
もうなにもこわくないわ。痛いこともなにもないわ。大丈夫よお母様がいるわ。安心して。大丈夫だから。お願い。落ち着いてアベリア。息をしっかりして。アベリア。ほらねえ。大丈夫。
お母様……。はぁはぁはあ。
いい子ね。アベリア。
大好きよ。
目を覚ましたのか。まったくどうしてお前が。
……おばあさ……ま。
おまえのせいでこの家は。
黙ってください。
お父様!
アベリア。痛いところはないかい? 傷……はないようだね。気分はどうだい? 眠っていたからのどが渇いただろう。さあ水を飲んで。
お父様お母様は? いっしょにいたはずなのに……。
お母様はケガをしてね。治しているところだよ。
お前のようなものが屋敷にいるなど……。だれだこんなものをいれたのは。
お言葉ですね。この子の前です。控えてください。
だれに口をきいている。
あなたこそ。
……お父様……。
ああアベリア。向こうでお話しよう。
おばあ様はいいの?
いいんだ。……ねえ。
……。
さあアベリアいこう。いつものベンチで話しよう。
……ここですか?
うんさあおろすよ。さて……。まずアベリア。何があったのかお父さんに話してくれるかな。
……はい。……あの日。お母様と一緒にカイロ家にお邪魔をしていて。ティバルト様とお庭で遊んでいて。……男の人たちがやってきて……。ティバルト様が……こわくて……。
うん。もう怖いことはないよ。
ティバルト様は……。
大丈夫。お怪我もなくお屋敷におられるよ。お母様は君を守ったよ。悪い男たちもちゃんとつかまっている。君が怖い思いをすることはもうない。安心して。
でも……。お母様がお怪我を……。
大丈夫だよアベリア。お母様は怪我を治すために少し時間がかかっているだけだよ。だからしばらくお部屋から出ることができないんだ。それでね。お父さんも少し遠いところでお仕事をすることになったんだ。だからアベリアはあの人のお屋敷で暮らすことになる。
……どういう……ことですか……。どうしてお母様もお父様もいなくなってしまうの?……おばあ様が私のせいって。……私がお母様を……?
それは違うよ。
でも。
あの人の言うことを信じてはいけない。
……お父様。
いいかいアベリア。お母様はアベリアを愛している。お父さんはお母様とアベリアを愛している。君が怖い思いをすることも、怪我をすることも望まない。笑っていてほしいんだ。僕は二人の笑顔が大好きだから。だから。お願い。……お父さんにアベリアの笑顔を見せて。
……お父様……。
愛しているよ。アベリア。
赦してくれフリージア。
僕のわがままを。
僕の自分勝手を。
僕の欲深さを。
ごめんねアベリア。
お父さんは全部は守れなくて。
お父さんは自分に正直で。
お父さんは自分の幸せを願うんだ。
「……ああ。眼をさましたんだね。よかった」
「おとう……さま……。あっ私は」
「ごめんね。記憶に触れる魔法は本来眠っているときにするものだから負担をかけてしまったね。二時間ほどかな眠っていたのは」
ゆっくり体を起こす。
整理をしなくては。
記憶をお父様がおこしてくださって。
「……お父様」
「なんだい?」
「お父様が記憶を閉鎖されたのはこれですべてですか」
疑っている……というとお父様に大変失礼だけれどお父様なら、考えられる。
「うん。すべてだよ。安心して」
「……そうですか」
……私はギンシュ様と幼少期に遊んでいた。
事件がおきて……。
「私のせいでお母様がお怪我を……」
「少し補足しようか」
お父様が正面に座られた。
「カイロ家に出入りをしていて、君と彼はよく遊んでいた。そして事件がおきた」
「はい……」
「事件は君が魔力を暴走させたことで解決した。だから君が謝ることも自分のせいだとせめることもしてはいけない。アベリアのおかげで彼は助かったのだから」
お父様……。
「事件のことを両家とも公にしたくなかったようで、内々に処理された。だから記憶を閉鎖された君は何も違和感がなかったと思う。それが当主の願いだったからね」
家の体裁を守られたんだ。……私という存在を隠したかったんだ。
だとしても……。
そこまでする必要はあったのだろうか。
所詮子供の証言。親が表に出さなければ記憶まで手をつけるなんて。
それに私だけということはあちらは覚えているということ?
「向こうは混乱して記憶があいまいらしい。でも君は違った。錯乱していたとはいえちゃんと覚えていた。そのうえもともとアベリアは魔力が多いからね。あの日まで暴走させたことがなかったことの方が不思議だと言っていたよ。僕としては成長によって感情的になったとしても暴走することはないだろうって考えていたけれど、当主は考えなかった。何の拍子に記憶が思い起こされてはって」
一度ここで区切られた。
……なにかあるのだろうか。
お父様の続きをまとう。
「……あの人は君と僕をあまり好ましく想っていないからね」
……。
このましくない。
「どうして……ですか。おばあ様がそんなことを?」
「あの人にとって一番大事なのは娘のフリージア、お母様だよ」
確かにお父様のおっしゃるとおりおばあ様はお母様の事をとても愛している。
だとしても。お父様と私をどうして?
「もともと結婚自体お許しをいただけていなかったからね」
そういえばお母様もそうおっしゃっていた。
「先に行っておくね」
お父様の笑みがきえた。
お父様はお母様と私のこと以外あまり興味を持たれないところがある。そのせいか他者にたいして言葉を選ばれない。
「僕はあの人の事をあまりよく思っていない。義理の母だけれど。愛する妻の母親だけれど。愛する娘の祖母だけれど。残念ながら、僕にとっては赤の他人だ。だからこれは僕の意見。きみもそうであれとは思わない。君の判断で、あの人のことを思ってくれたらいい。僕は残念ながら、あの人に嫌われている」
……確かにおばあ様はお父様に対する態度はあまりよくはない。
「あの人は僕が邪魔で邪魔でしかたないようでね。何かと理由をつけて離縁させようとしていたんだ。それもすべてはお母様を自分の次の当主とするためにね」
お父様はあきれたという表情。
「お母様も最初は僕との結婚も無理だって」
お父様とお母様は学園で出会って、恋仲になった。
と聞いている。
それを聞いた時不思議に思った。
すべては家のため。
それが口癖のおばあ様が自由に恋愛を赦されたとは考えにくい。
「僕が卒業するまでの終わりの決まっていた交際って彼女は割り切っていた。はじめにそういわれていたからね。僕が告白したときに」
「お父様はそれでいいと?」
「その場ではそういわないとそもそも付き合ってもらえなかったからね。……彼女の家を知っていたからそう言われるもの仕方がないと思えたし」
落とされた目はとても寂しそうで。
「……彼女にとって自分はそこまでじゃなかったんだって思ったしね」
とても悲しい笑顔。
……お母様とお父様の学園生活をちゃんと聞いたことはなかったけど、ホクシャという家を理解していれば交際自体考えにないかもしれない。
……終わりありきの関係。
「……でも結婚して私が」
「うん。お母様が家を捨てるって」
「え」
すてる?
どういうこと?
……お母様がえっ。まって。
「信じられないよね。驚くのも無理ないよ。僕もそういわれた時、本当にフリージアかって疑ったもの」
思い出されたのか少し笑みが明るいものになった。
「母親にとって自分の価値を彼女は正しく理解していたんだ。正しすぎるぐらいに正確に。だから彼女はそれに従おうとしてずっと生きて。……そしてそれを受け入れることは自分の子どもにも受け入れさせることになることを恐れたんだ」
「……私に?」
「……お母様は家を大切に思っていたからね。家を離れることも、家を途絶えさせることもしたくないと言っていたけれど、妹さん。おばさんだね。彼女が家を継ぐと宣言したんだ。地元の学校に入学が決まった時に。そしてその年の学園対抗大会の代表生徒に選ばれた。それで妹に任せようと思ったんだって。なりたいと思っていないものよりも希望する者の方が家にとってもいいだろうって」
叔母様。
数える程度しかお会いしたことがないけれど、年齢としてはお母様より二歳下。お父様の卒業に間にあったのか。
でもだからといってそれで、はい家を捨てる、とはならない。
お母様がそんな風に考えを切り替えるはすがない。
「家の方針をお母様はずっと疑問に思っていた。でもそれがずっと続いてきたこの家の在り方で、守ってきた母親と家を愛していたからね。母親の思いを無下にしたくなかった。それを、妹が引き継いでくれる。妹さんのことをお母様は自分より優秀で、当主は妹さんのほうがふさわしいって考えていたからね。……まあお母様がどんなにそう思っていても、あの人は妹さんのことを全く見てなかったみたいだけど。実際妹さんから言われたんだって。自分が継ぐから家を出て行けって」
……すごい発言。
実の姉に向かってそんなこと……。
「折り合いが悪かったみたいだよ昔から。正確に言えば、一方的に妹さんがお母様を敵対視してたってことらしいけど」
「お母様はそのことをお父様にお話しされたってことは、お母様は家の事がなければお父様との結婚を望まれていたということですか?」
「僕もそうだったらって思ったけれど、残念ながらそうではなかったんだ。学生だしね。お母様にとって僕はそこまでじゃなかった」
……ということはそこからお母様はお父様との結婚をどう考えられたのだろう。
家を継がない。
当主のことを考えない。
……初めてお母様は自由になれたのでは。
ご自分の意思を……。
……すごく怖いことだ。
私は学園への入学以外、私は自分の意思など考えたことすらなかった。
……結婚。……んなら……。
「お父様」
「なんだい」
カップを口に運び口に含まれる動作は、流れるようで。
「私をよく想っていないのなら。どうして事件を利用されなかったのでしょうか」
理由としてはいいのでは。
「問題のある人間として私を島におくり、すべて私の責任とすれば、隠すことも、記憶を封じることもしなくてすんだのに」
手の込んだことだと思う。
「それにそうまでしてあの家との関係を断とうとしたのに、ここにきて私の結婚は何がしたいのか」
「……アベリア」
「おばあ様が私を排除したいと考えているなら、やりようはいくらでもあるのに。どうしておばあ様は」
「……アベリア」
「何をお考えなんだろう」
「アベリアッ」
え……。
お父様の声が。
……怖い。
「ああ……。ごめんよアベリア。大きな声を出してしまって。違うんだ。君に怒っているわけではないんだ」
「……おとう……さま」
「アベリア。かわいい僕たちの娘」
お父様の胸に抱き寄せられた。
「あの人の考えていることなんて君が考える必要はない。君は君の望むように生きたらいい。だれの考えも気にする必要はない。自由に。望んで」
まるで言い聞かせるかのように。
呪いのような。
……でもこれは私に向けてではない。
お母様に向けて。だ。
「あの人の考えに合理性なんてものはない。すべては娘を自分のもとに置いておくことだけ。だからその時その時のいい道を選んでいるだけ」
お父様は私に言っていないことがある。
そんな気がする。
それがきっとこの状況を作り出している。
でも何を言っていないのか。何がどうつながっているのか。
お父様は私にうそをつかない。
お話されることは全て真実。
「かわいいかわいいアベリア。僕たちの娘」
まっすぐ私を見つめている。
「僕はお母様と君を守るよ。そのためならなんだって」
お父様の手が私の頬を撫でる。
「アベリア。僕の愛する娘」
「お父様……」
「君の笑顔は本当にきれいだ。だから笑って。それが僕にとって何よりもの喜びだよ」
……笑おう。
「私も愛しています。お父様」
盲目的に。
「ここ数日、あなたに関することでよくない噂を耳にしたわ」
「さようですか」
「あら。……ふふっ。そんなことどうでもいいのかしら?」
「そういうわけではありませんが。……噂の内容などどこまでが真実かなど当の本人にしかわからないことでしょう」
「全くの嘘でたらめは噂されもしないと思うけれど」
「似たような噂が以前出ていれば、やっぱり以前の噂もそうだったんだとなるのでしょう」
「あなたの耳にも届いているのね。なら。ギンシュはどうしてなにもしないのかしら。自分の側付きに関するものだというのに」
ギンシュ様と私の噂。
恋仲だとか。そして痴話げんかで側付きをやめようとしているという全く嘘の噂話。
ギンシュ様……。あの方の耳にも届いているからこそ、何もしない。
「何もしない。それが答えではありませんか」
「あらあら」
楽しそうに笑っておられるけれど。
「お口にあうといいのですが」
「ありがとう」
まだ部屋にいるのは私とリョクスイ様だけで、いつも一緒に行動されているキタ先輩がおられないのが気になる。
学園対抗大会にむけて、運営に関する会議。
あれからギンシュ様とは少しだけ別行動をしている。といっても帰省がなくなったけれど側付きとしての業務は問題なくしている。
単純にともにいる時間が減ったのだ。
そっといつもの立ち位置に戻った。
「座って? その方が私も話しやすいわ」
ふわふわとした笑顔で、私にも変わらない態度で接してくださり、促された。
リョクスイ様は本当に空気が柔らかい。
「……失礼いたします」
でも圧がある。
「ふふ。おいしい」
「よかったです」
目を伏せて、軽く頭を下げる。
キタ先輩の紅茶を普段飲まれているリョクスイ様にそう言ってもらえて光栄。
「ねえ」
「はい」
「ギンシュのことどう思っているの?」
……どうとは。
噂に対するギンシュ様の対応についてか?
「すべてギンシュ様のお考えに従います。何かあれば私に指示をされるでしょうから」
「私が聞きたかったのはそういうことではないのだけれど。……ふふふ。そういうあなただからきっとギンシュは選んだんでしょうね。」
楽しそうに笑っている。
「シャロンが気にしていたの。同じ側付きとして、自分の噂で寮長に迷惑をかけることを望まない。あなたはその気持ちが自分たちより強いだろうからって。でも。その心配は不要のようね。よかったわ」
リョクスイ様は楽しそうで。
……この方がそういう感情以外を見せられたことはない気がする。
きっと私たちには。ということだろうけど。
「お心遣い、痛み入ります」
「でも」
笑顔のままなのに。
少しだけ、影が落ちた気がした。
「あまり無理をしないでね。ギンシュに言いにくいことであれば、私に話して」
……。
「はい。ありがとうございます」
「ふふ。……私ね。噂話すべてが嘘とは思えないの」
もとに戻った。
「いつもなら一緒にここに来るのに。今日はあなただけ」
いつもの楽しそうな声。
「ギンシュ様にはお伝えしてあります。時間が合わないため、先に来ていると」
「講義?」
「そうかと」
「あらあら。シャロンと同じね。あの子もそれでまだ来ていないのよ。一人かしらとおもっていたら、あなたがいたから、女の子同士のお話ができるかもって」
ふふふっと笑われるしぐさはとてもかわいらしく。
女子生徒がリョクスイ様とお話したいという希望を出されているのを耳にしているけれど。納得。
「噂話。当人たちから話を聞きたいとは思わないわ。ああいうのは外野が好き勝手しているのが楽しいところもあるから。正解を出されたら、一気に白けてしまう。……とはいえ。立場のあるあなたたちに対してそんなことをするんだもの。不敬に当たると思うわ。考え方次第ではあるけれど」
「どのような噂話であろうとも、あの方が指示をされるはずです。私は側付きとしてただあるだけです」
目を伏せる。
私にはそれしかできないから。
「あらあらあら。本当にあなたはどこまでも側付きとしての立場から動くつもりはないのね。もったいないわ」
にっこりと笑ってそういった。
もったいない。……か。
身に余る言葉だ。
「身に余るお言葉。恐悦にございます」
「本当にあなたはホクシャらしいのね」
……。
何も変わらないしぐさに声色。
初めて言われた。
正確には、言葉になって、誰かの声に乗せられて言われたことが、入学してから初めてだ。
みんな言わないだけで思っているのは感じているけれど。
……そういえば。
入学してから生徒たちの目はそういうので慣れてはいたし、当たり前に思っていたけれど。
この方たちはそれがない。
私がホクシャであることにたいして、色眼鏡はかけられていない。
お立場がそうだからそうなのかなとは思っていたけれど。
そもそもこの立場になれる方なのだから、相手が誰であるかなんてどうでもいいことで。ただただ一生徒として見るだけ。
……側付きになったことでホクシャの色を感じることがへったな。
「すべての生徒に幸多からんことを」
そういって春の雪解けのような笑みを私に向けてくださった。
……ただただ私はいつもの笑顔でうなづいて返した。
これが正解だとは思えなかったけれど。何を言えばいいのかわからなくなってしまって。
この方たちをいると本当に自分が何もできないこと。自分がなにも持っていないことを身に染みる。