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第四章

第四章


 試験の結果はそれなりのものだった。

 ロカとツユの順位としては二十番以内には入れたようで。二人はおちこんでいたけれど私としては、悪くないと思っている。確かに筆記試験が足を引っ張ったところはあるようだけど、どの科目も差はない。苦手という科目がなかったのはいいことだ。実技はかなりの評価だったし。

「この順位では学園対抗大会は無理でしょうか」

 不安げな表情に笑いかける。ロカにそっと手を伸ばす。

「結果がまだ出ていないのにそんな顔しないの」

 伸ばされた手に自ら頭を合わせてくる。

「同じことの繰り返しになるけれど、一年生で選ばれなかったから残りの学年でもそうとはならないのだから。精進するしかないわ」

 ツユにも同じように。

「足りないところは、この休暇期間に復習しておきます」

「しっかり休むことも大事よ。無理はしないでね」

「二週間の予定です。ホクシャさんは寮に残られると」

「ええ。来年の研究室を決めるために、興味のある先生の研究室に訪問できるの。できるかぎりできることをしておきたいから」

 休暇期間中のするべきこと。

 もちろん課題もでるけれど、それ以上に二過程後に研究室の志望を提出する。休暇期間と二過程で卒業の方針を考えなければならない。先生との相性も大きいからちゃんと考えないと。

「ではまた戻ってきたら挨拶に伺います」

 それぞれ荷物を抱えて、門をくぐっていった。姿が見えなくなるまで見送って寮にもどろう……。

 ふと最上階の窓から半分体を乗り出している人の姿を視界にはいった。

 ……何してるのあの方は。

 少しだけ速度をあげて執務室へむかった。

「失礼します」

 声をかけてはいる。

「危ないですよ」

 窓の桟に腰かけているギンシュ様に声をかけた。

「落ちそうになったら助けてくれるか?」

 私の声掛けに楽しそうに笑っている。

 はあ。

「そもそも落ちるような危ないことをしないでください」

 早くそこから動いてほしい。お行儀の悪いことをしないでほしい。

 差し出した手を握り返して降りてくれた。

「側付きにそこまで言われてしまってはいけないね」

 言葉としてはいけないことをしているという認識なのかもしれないけれど。

 その割にはうれしそうなのはなぜ。

「帰省しないのか」

 帰省によって人が減ってるのもあって、注意はしないけれど、ソファに横になっている。

「はい。ギンシュ様もされないと言われていましたね」

「ああ。先生と全く課題の話ができてないからな」

 ここでいう課題は卒業課題。

「お疲れ様です」

「ありがとう」

 用意していたものをだす。

 少し暑い季節になってきているから、今日はアイスティーにしてみた。

「ああ。おいしい。これはいいね」

 いい笑顔をむけてくださった。

 よかった。アイスに向いているものを選んだけれど、ちゃんと淹れられてよかった。

 一瞬顔を見る。顔色は悪くない。疲れている様子もそんなにない。

「しっかし」

 視線が机にうつった。外出と外泊届の書類。

「結構あるな」

 記入が終わっている外出届の提出ファイルをめくっている。長期休暇とはいえ書類提出は必要で、最低一週間前に提出が義務付けられている。

 軽く杖で紙をなぞった。そういえばギンシュ様の杖を近くで見たのは初めてのはずなのに。その形にすごく見覚えがある。

 どこでみた?

「ええーと」

 確認されているのは不備のあったもの。

 受け取られたのはギンシュ様。この紙をどこで受け取ったのか、誰からだったのか記憶をたどっている。紙とギンシュ様をつなぐ糸がふわふわと漂っている。きれいな色。これはギンシュ様の残滓の色か。サクランボのような色。

「ああわかった。俺が渡しておくよ」

 つながったのか。

 物にも記憶はある。それと自分をつなぎあわせることで足りないところを補う。

「ありがとうございます」

 別のファイルにいれてご自身のかばんにしまわれた。

「さて。……このクッキーおいしいな」

 またドカッと座ってつままれたクッキーに目を少し大きくされた。

「お口にあってよかったです」

 合わせて用意したもの。

「そうだ。これ。君に」

 はいと差し出されたのは、一一輪の花。いつからか定期的、当たり前になりつつある行為。

 私に花をくださる。

「ありがとうございます」

 受け取った花を花瓶に生けて、枯れる前に持って帰って部屋に置くようにしている。

 今回の花は。

「ブーゲンビリアですね」

「ああ。花に詳しいね」

「いただいたものを調べたりしているので。少しずつ知っていっています」

 花瓶はこれがいいかな。いくつかあるけど、全部一輪挿しのもの。……白色だから花瓶は少し色がある方がいいかな。ううん。

 花瓶を並べている棚の前で立って眺めていると。

「これなんてどうかな」

 後ろから手が伸びてきた。今振り返っちゃだめだ。この距離で振り返ればきっと腕が当たってしまう。

「はい」

「……ありがとうございます」

 少し場所をずれてから振り返る。

 浅い桜色の花瓶。

 ああ。確かに。とてもかわいらしい。

「うん。いいかんじだね」

 花瓶を机におく。自分の選択に満足げ。

「はい。そうですね」

 こんな風に笑う姿は少し幼く見える。……。

「そういえば、花はどうしているんだ?」

「押し花にして、このようにしおりを作ったりしています」

 ちょうどつかっているのがあったから前にならべた。

 うん大丈夫だ。問題ない。

「きれいにできてるんだな。小さい花であれば押し花もいいな。俺にもおしえてくれないか」

 手に取ったのはソバのしおり。

「はい。お望みであれば」

 ブーゲンビリアは押し花よりもこのままで残したいかな。

「ありがとう。ああ……そういえば」

 なんだろう。

「花で思い出したが。両手に花だったな」

 見送りを見ていたのだろう。

「はい。可憐で愛らしく、華やかな花に囲まれていました」

 ロカとツユのこと。

 花か。双子で、見た目は同じでも性格は全く違うあの子たちはきっと違う花。

「とてもかわいらしい二人ですから。嫉妬されないように気をつけないといけませんね」

「自慢の後輩でうれしいよ」

 とても楽しそうでなにより。

 ラン。

 ……。何の音?

「悪い俺だ」

 ギンシュ様が端末を取り出された。

 ……初めてかもしれない。ギンシュ様が私の前で端末を取り出されたのは。というか鳴ったこともなかった。私も基本的に音がならないようにしているけれど。

「いかがされましたか?」

 ギンシュ様の様子がおかしい。明らかに動揺されている。

「……ああ。悪い。少しはずす」

「いえ私が出ます談話室にいますので」

 駆け足で部屋をでる。あの様子……。

 初めて見た。あんなにも顔色を悪くして。

 ……。やっぱり気のせいではなかった。朝起こしに伺った時に、何度か見た。

 寝不足や機嫌が少し悪いときに見たあの眼をされていた。

 色が違った。赤ではなく。青。デルフィニュームのような色。とてもきれいで。

「大丈夫だろうか」

 それが見えたってことは、精神的に揺らぎがあったということ。何かしらの連絡が入ったのだろうか。

 それに、眼の色が違うなら普段の色はきっと……。

 他者から自分の姿が違って見える魔法は複数あるけど、ギンシュ様のは自分自身にかけているもののようだった。眼の上に別の色の膜をかさねている。あの様子だと一日中というか本人の意思に応じて自動的に発動するようになっているのだろう。はあ。常に魔力を一定量使用している状態なんて……。体に良くない。眠っている間はさすがに発動していないにしても。そっと左足を見る。息苦しいとはまではいかないにしても疲れるだろう。別に眼のことを言ってほしいとは願わないけれど、もう少しご自身の体をいたわってほしい。

 ……さて。談話室の掃除でもしておこうかな。……。定期的に掃除はしているから、細かいところを……。時計の音が響く。ふう。それなりにキレイになったかしら。一周する。……うん。問題なし。ドアを見る。廊下に人はいない。ギンシュ様は執務室からでてはいないか? いや。いまいる。……。

「はい」

 ノックがされて、ゆっくり開ける。

「いかがされましたか」

 うつむいている。あきらかにおかしい。廊下にはギンシュ様だけ。他はない。

「ギンシュ様」

 そっと手をとった。ゆっくりギンシュ様のお顔があがって。

 ……どうして。

「すまない」

 そんな顔をしているの。握り返された手は震えていて。

「少しいいかな」

 あきらめた声をしているの。

「……どうぞ」

 私にうながされるまま、座って。水のカップを置く。とりあえず正面にすわった。こんなにも力ない姿……。その名に負けないと言っていたのに。

「ありがとう」

「いえ」

 私は変わらない。

 いつもの顔でいつもの声で。そんな私にほっとしたような。少しだけ顔があがった。

「先ほど母より連絡がはいった」

 あがったけど。あがっただけ。声が震えている。

「母にこの休みに帰ってくるようにといわれた。空けることになるがいいだろうか」

 ご実家に帰ることを側付きに伝える声ではない。

 ……そういえば、ギンシュ様は外出もほとんどされていない。

「承知いたしました。……急ぎのものはありますでしょうか」

 業務にもっていく。どうして呼ばれたのかは聞かない。急なことでもギンシュ様のされることに質問は基本しない。ましてや、ご家族に呼ばれたのであれば、それ以上の理由などない。

話を切り替えた私に少し不服そうな表情を浮かべている。……理由を聞くべきなの?

「会議までには戻るが……。俺がいない方が君としては気が楽なのだろうか」

 どういうことだろう。なんでそんなことを言われるのだろう。何かした?

「ギンシュ様……」

 膝をついて、見あげる。首を傾けて、頬を上げて。いつもよりも少しだけやわらかいものになるように。

「ギンシュ様不在の間も、側付きとして、お戻りになった時変わりない学園でお待ちしたいのです。できることをしたいのです。ギンシュ側付きに恥じないように」

「君はいつだって側付きとしてちゃんとしている。これ以上なにを目指す? 君は恥じることなんてなにもない。こんなにも完璧なんだから」

 腕をつかまれた。

「俺はふさわしくないギンシュだ。間違っている。だけど君が完璧に側付きを務めてくれているから俺はギンシュでいられる。君は俺の側付きというが。俺は君の」

「身に余るお言葉。恐悦至極にございます」

 手を重ねる。

「ギンシュ様よりそのように評価をいただけて私は側付きとして自信をもつことができます」

 ギンシュ様に話させるな。かぶせろ。

「これからも精進いたします」

 そっと外す。外された手にギンシュ様の視線を感じる。このままはだめだ。手を包み込む。力をいれると、ギンシュ様も握り返してくれた。

「お気をつけてお出かけください」

 お母様が浮かべていた笑顔を思い出す。たしかこんな風に……。できているだろうか。ギンシュ様の表情は少しやわらかくなった。

「ありがとう」


 門までギンシュ様をお見送りにいった。

「明日の朝には帰ってくるから」

「はい」

「特別急ぎのものはないからゆっくりしていてくれ」

「はい」

「何かあれば連絡してくれ。すぐに戻ってくるから」

「はい」

「えっと」

「ギンシュ様」

「ん?」

「手を」

 ずっと握りしめられていた。迎えの方が門にいるのに、待たせてしまっている。

「……ああ」

 名残惜しそうに手をはなされた。

「お気をつけていってらっしゃいませ」

 行きたくないのだろうか。迎えの方のほうを見ようとしない。私がとても見られている。

「ギンシュ様。お戻りの時間をまたご連絡いただけますか」

「ん?」

「紅茶とお菓子を用意してお待ちしております」

「……俺のすきなの?」

「はい。ギンシュ様のお気に入りのを」

 少しだけ表情が明るくなった。

「わかった。約束だからな」

「はい。もちろんです」

「行ってくる」

「いってらっしゃいませ」

 やっと迎えの方の車に乗られた。はあ。

 ……昨日のあれは何だったんだろう。帰宅を言われただけでなんで私の事で……。何か言われたということか。

「戻ろう」

 考えるのをやめよう。聞かない限り正解はわからないのだから。

 車が見えなくなったのを確認して、部屋に戻るために向きを変えると。

「……いかがされましたか」

 久しぶりにお姿を拝見した。

「学園長」

「寮長と側付きが仲睦まじい様子でなによりだよ」

「ありがとうございます」

 大丈夫。

 いつもの笑顔を浮かべて。声を整えろ。

 大丈夫。問題ない。

「実は君にお願いしたいことがあってね。いいかな。ホクシャくん」

 何かを抑えているかのような声。

 お忙しい方だからあまりお会いする機会がない。少し緊張する。

「はい。なんでしょうか」

 学園長は少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら、ついてくるように私をうながした。黙って後ろをついていく。少しだけさっきの表情が頭を回ったが、すぐに片隅によけた。今はただついていくだけ。何をお願いされるのかわからないけれど、可能なことなのだろう。……側付きとして? それならギンシュに一言いいそうなものだけれど。それとも。いや……それはないか。

「お客さんがきていてね。その方の学園の案内をお願いしたいんだ。といっても卒業生だから説明することはないと思うよ。校舎の寮談話室を使うといい。休日だから使用している生徒はいないようだからね」

 どうして生徒がいないのかは聞かない。休日とはいえ使用している生徒がそれなりにいるけれど、きっと学園長にはわかるのだろう。

 今学園敷地内に人がどの程度いて、どのあたりにいるのかが。

「承知いたしました」

 それに、寮談話室ということはきっと先輩だ。ギンシュ寮卒なのだろう。

 ふう。

 学園長室のドアノブに手がかかった瞬間、息をはく。

「またせたね」

「失礼いたします」

 深く頭をさげて。

「あら。大丈夫ですよ。こちらこそなんの前触れもなく失礼いたしました」

 女性の声。

「彼女に学園内の案内をしてもらうから。お願いするね」

 頭を上げる。

「承知いたしました」

 もう一度深く一礼をして。

「よろしくお願いいたします」

 声のした方に一礼して。

「ギンシュ側付きのアベリア・ホクシャと申します」

 ……。息がとまった。

「よろしくね」

 とてもにこやかな笑みを浮かべているその方は、私が一番お姿を見ている方ととても似ていたから。

「お願いいたします」

深く頭をさげて、顔を作り直す。

 大丈夫。落ち着け。

「では、失礼いたします」

 ドアをあけて、眼だけで廊下に人がいないのを確認して、外に出ていただいた。

「さて、教室をみたいわ。そうね。三年生の教室をお願いできるかしら」

「承知いたしました」

 目を合わせない。

 失礼かもしれないが、そんな余裕はない。

 今ちゃんと顔を作れているのだろうか。

 声は変わっていないか。

「懐かしいわ」

 時折そんなことをいいながら。お互い音を立てない。

「こちらが三年生の教室がある階になります」

 一歩横にずれて、道を開ける。軽く頭を下げて。

 うん。先をいかれた。

 前を通ったのを確認できたから、ゆっくり頭をあげて、背中を見る。

 ……。どこかで見たことがある。

「そういえば」

くるっと振り替えられた。

「名乗っていなかったわね」

 口元だけが笑っている。

「カンナ・カイロ」

 かいろ……。そうだったのか。道理で似ているわけだ。

「あら。驚かないのね」

 表情はそのまま。

「私はあなたの主人の母親なのだけれど」

「どこか似ていると感じていました。もしかしたらとは……。改めてご挨拶を」

 私も表情を変えない。同じように笑って。

「六十四代目ギンシュ ディバルト・カイロの側付き アベリア・ホクシャと申します。ご子息には大変お世話になっております」

 大丈夫。私は変わらない。

「ほんと。そっくり」

 その笑顔は私に向けられていない。私を通して誰かを見ている……。

 そっくり?

 言葉だけをとれば、お父様やお母様。……まさか。

「そういわれても驚かない。……いえ。表情を変えないとは。本当にそういうところまでそっくりなのね」

 やっぱりお母様を見ている。知り合い? お母様のご友人にこの方は……。記憶をたどる。……。わからない。全員を覚えているわけではないけれど、この方を忘れるとは思えない。

 この方はとても美しい。

 お母様とは正反対の美しさ。

 そんな人を忘れるなんてありえない。

「あなたが私を覚えていないのも無理ないわ」

 黙っていることにした。下手なことは言わないに越したことはない。

「私もこの教室で学んだわ。あの子は学年が一つ下だったけどよく私に会いに来てくれて。ドアのところで私を呼ぶ声がとても好きで。放課後いつも待っていたわ」

 ギンシュ様の教室の前。中に入らずのぞくだけ。

 とても懐かしそうな顔をされている。

「あの子はとても人気があって。男子生徒から羨望のまなざしをうけていたけれど、そんなこと気づいていなくて。まっすぐ私を見てくれた。それが私とっても嬉しくて。自慢だったわ」

 あの子はお母様のことだろう。お父様もお母様はとても人気があったとお話されていた。

 その中で自分を選んでくれたことを本当うれしかったと。

「卒業後もよく会いに来てくれた。あなたが生まれて、一緒に遊びに来てくれたこともあったのよ。私の屋敷でティバルトとも遊んでくれて」

 知らない。いくら幼いころの記憶とはいえ、忘れるなんて。

 ありえない。

「あなたの記憶をあの男は書き換えてしまったから。ほんとにあの男はあなたの事を何もわかっていないわ」

 何を言っているのだろうか。

 あの男。お父様の事? 書き換える?

「記憶の書き換えがどれほど高度なものか知っているでしょう?」

 何もわからない。何を言っているの……。

 私がギンシュ様もあったことがある?

 遊んでいた?

「大丈夫よ。落ち着いて。ゆっくりお話しするわ」

 猫なで声にぞわっとした。

 先ほどまで何もかもが変わった。

 顔も。声も。距離も。

 ……気持ち悪い。

 失礼な気持ちが出てきた。

 だめだ。しまえ。隠せ。とざせ。

「……談話室もご案内いたします」

 顔をあげて。笑った。

「ええ……。お願いするわ」

 戻った。

 にこやかな笑顔。でも。もう見れない。まともに目を合わせられない。

「本当にあの子といるみたい。あの子もそうやって感情を隠して。表に出すのはいつだって笑顔だけ。言葉と声と表情がかみ合ってないから、それが嫌だという人もいたようだけど、私は大好きよ」

 この人も同じだ。言葉と声と表情。ちぐはぐだ。

 笑顔なのに。

 私のことが嫌いだ。

 好きなのは母だけ。

「あらあら」

 ずっと顔を近づけられた。

「距離を詰めても変わらないか」

「到着いたしました。談話室にも思い出がございますか?」

「そうね。あの子と話をよくしていたわ。ここ。席は決まってここだったわ」

 そういって窓際の席につかれた。

「ここが私で、正面で向かい合っていたわ。紅茶をいれてくれて。その日あったことを私が話して、あの子はいつも笑顔で聞いてくれていたわ」

 懐かしそうに外を眺めている。

「あなたも座って。そのほうがお話しやすいわ」

「失礼いたします」

 正面に座った。

「ほんとあの子とこうしているみたい。あの子も音を立てない子で。ここに来るまでもそうだったけど足音一つなかったわね」

 それはこの方もだ。

「本当に懐かしい。……ねえ」

 瞳がより大きく開かれている。

「覚えているかしら。あなたは人数の関係で指導生にならなくて。私とっても嬉しかったの。あなたとの時間があることがうれしかったわ。こうして勉強して。あなたはいつも上位で。実技ではみんなあなたと対戦することを嫌がってて。ふふっ」

 思い出したかのように口元を手で隠すように笑った。

「男子生徒相手にあなたは身体強化だけで押し切って。試験の趣旨にはそっていたけれど先生たちも驚いた表情で。私は笑いをこらえるので必死だったわ」

 お母様との思い出だろう。……お母様身体強化なんてされたんだ。意外。

「みんなあなたがそうやって静かに笑っているものだから、そんなことしてくるとは思っていなかったのね」

 お母様が静かに笑う……。私の記憶の中にあるお母様もそういう人だ。

「人形のようだという人もいたけれど。私は好きよ。私がどんな話をしても、その笑顔で聞いてくれていて。他の人に向けるものとは違うって思っていたの。私にだけ本当の表情で。他の人が作っているもので。そう思っていた」

 声のトーンが下がった。

 同時に部屋の温度もさがった。

「それが間違っていたの。私もその他と同じだった……。それに気づいたのはあの男と一緒にいるところを見てしまったから」

 怖い。

 表情に出ていないだろうか。

「あの男と楽しそうに話していたわ。他のやつは気づいていなかったけど私はわかった。だって……。あの男を映していた瞳は私があなたに向けていたものだったんだから」

 先ほどまでの笑顔が消えて。

 私をにらんでいる。

 私を見ている。

「そして子供が生まれた。あなたよ。アベリア」

 汗が背中を通った。

「あなたの母親のフリージアが私は大好きで。感情を伝えてもらえなくてもよかった。何も返してもらえなくてもよかったの」

 お母様への想いは本心。

 私に対する感情も本心。

「でもだめだった。私は求めてしまった。……あなたの興味を」

 興味……。お母様がこの方にたいして興味がなかった?

 そんなこと考えられない。

 私の知るお母様は……。……あれ。

 記憶にあるお母様は。

 優しい笑顔で。

 穏やかな声で。

 私を。私を。

「あの男と子供にあの子は感情を向けた」

 愛してくれている。

「想像つかないでしょう」

 私をあざ笑うかのような。

「ホクシャ家の人間らしい姿に私は心惹かれたの」

 ……ホクシャ家。

 ホクシャ家は、入った家の地位、名声、繫栄のためだけに生きる駒として存在していた。その実力が認められ、そしてある時期に名家にホクシャが当主伴侶として数多くいたことにより、引く手あまたとなった。

 だからホクシャ家はそうすることがすべてになった。

「あの子はいつも笑っていて、それ以外の感情を見せてなかった。だからあの子が私に興味がなくてもよかった。それがホクシャであり、フリージアだと思ったから」

 耳をふさぎたいと思ってしまった。

 自分の顔をみたい。

 崩れてしまっているのではないか。

 顔に出ていないか。

「そんなあの子があの男を好きになって。学生の間のだけの遊びだと思った。家が赦さないと思ったから。あくまで学生の間だけ。卒業すればすべて元にもどると思った。何に対しても、誰に対しても、無関心である。ただただ静かにほほ笑んでいる。あの姿を私はもう一度見たかったのに」

 私のお母様はそんな人ではない。

 他者にたいして無関心だなんて。

 私にちゃんと教えてくださったもの。

 その時、その人に最も適した接し方をすること。

 興味がなければそんなことできない。

 何が最適かなんて相手の事を知らないとできないことだ。

「あなたをつれて私に会いに来たときは別人だった」

 窓の外を眺めている横顔はその日を思い出しているようで、とても遠い目をしている。

「昔話が長いわね。本題にはいるわ」

 私を見ている。

「アベリア・ホクシャ」

 とりあえず目をあわせておく。

「あなたを」

 がしゃどん。

「かあ様!」

 ギンシュ様?

ガンと足音をたてながらギンシュ様がこちらに向かってこられた。

「どういうことですか。かあ様」

 見た事のない顔をされている。

 とても母親に向ける目とは思えないもので。

「感情的になってはいけないといつも言っているでしょう」

 寒い。

 あまりの冷たい声に部屋の温度も下がったように感じた。

「目の色があおいわよ」

 こちらも親子の会話とは思えない温度に目をさげた。

「いまさら隠す必要もないでしょう。この子は気づいているわよ」

 バッとこちらに顔をむけられた。

 その目はいつもの色に変わっていた。

 ただただいつものように笑った。と思う。

 この方とお会いしてからうまくできているか自信がない。

「はあ……」

 息を吐かれて、手を眼にあてられた。

「私の昔話が長かったのね。まさか戻ってくるなんて。まあいいわ」

 ご子息がいるというのにそちらに目を向けない。

「私の娘になって」

「かあ様! なにをかんがえているのですか」

「あなたにとっても悪い話ではないと思うの」

「俺を無視しないでください」

「卒業後、ティバルトと結婚して、カイロ家に入るの」

「かあ様!」

「ホクシャ家としてはそれが当たり前でしょう。まあ歴代の方々が嫁がれた家に比べたら幾分か低い家かもしれないけれど、見知った人間のもとに嫁ぐのも悪くないと思うのよね。私はあなたをちゃんと嫁として向き合うわ」

「何も聞くな」

「あなたの意思をどこまであの家が考えてくれるのかしら」

「耳をふさげ。なにも聞くな」

「うなづくだけでいいの。ティバルトの妻に。カイロ家の嫁に。ねえ。私の娘になって」

「かあ様はだまってくれ」

 こんなにも大きな声をだされるギンシュ様を初めて見た。

「母親にそんな態度をとるなんて。アベリアに嫌われてしまうわよ」

「彼女と結婚するなんて聞いていません。それにいくらかあ様がそういったって彼女の家がそれを受けるとは限らないじゃないですか」

「家とはほどんと話はすんでいるわ」

「え」

「アベリア。ホクシャ家当主はこの話を受けてくださっているの。あとはあなたの父親とあなたがうなづけばこの話は問題なく進むわ」

「なっなんでそんな話になったんですか」

「それよりどうして戻ってきたの?」

「……とう様から連絡がありました。かあ様が学園に来ているといわれて戻ってきました」

「……はあ。まさかあの人がそんなことするとは想定してなかったわ。私の思ったように動かない人だけれど、この件に関してはあの人に口出しは許していなかったのに。全く。困った人」

 きっとご主人のことを言っているのだろうけど、その声も顔もそんな感じには受けとれないほどにひとごとのようで。

「あなたの父親はきっとあなたがいいと言えばうなづいてくれるわ。ねえ。いいと思うのよね。ティバルトのことをそれなりに知っているし、私は友人の子が来てくれる。他の家よりもあなたをわかっているわ」

「いまここで返事するな。そんな必要はない」

「あなたは黙ってて。これはこの子の問題なのよ」

「俺の妻になるというのなら俺の問題でもあるはずです」

「あら。あなたはこの子が嫁に来ることが嫌なの?」

「それは話が別でしょ!」

「あらあらそんな態度じゃだめよ。ほらアベリアを見習いなさい。私たちの会話を聞いていても眉一つ動かさないで表情を変えないの。あなたもこの子を側付きに選んだのならそれに見合うものになりなさい」

「お話の最中に申し訳ありません。よろしいでしょうか」

お話を終わらせる方がいい。

「何かしら」

 私に向けられた笑顔は今度は私を見ていない。

「このお話は卒業時まで考えさせていただけませんか」

 ここで答えるべきことではない。

「そうね……。いいわ。じっくり考えて」

「ありがとうございます」

「ティバルト。くれぐれもこの子に嫌われないようにね。あえてそんなことをするとは

考えられないけれど」

「かあ様……」

「さて話すべきことは話せたし。あの子にも会えたことだし。そろそろ帰ろうかしら」

「お送りいたします」

「あいいわ。ティバルト帰りましょう」

「嫌です」

「あら。そんな幼い子みたいに拗ねないの」

「拗ねてなんて」

「アベリア」

「かあ様」

「ここでいいわ。楽しい時間をありがとう」

「俺は帰らないよ。送るだけ」

「あら母親に対して冷たいのね」

「俺を呼びだしたのはかあ様でしょ。当の本人が家にいないんじゃあ帰ったところでいみないだろ」

「もうほんと困った子。アベリア。この子の事見限らないでね。いろいろとダメなところがあるけれどいい子なのよ。あなたの事だって気に入ってるし、私もあなたを特別に思ってるからね」

「お気をつけてお帰り下さい」

「ありがとう」

 廊下で私は別れてとりあえず執務室に戻ることにした。

「ホクシャくん。ありがとう。先ほどギンシュと一緒に挨拶に来てくれたよ」

 執務室前。どこからともなく学園長があらわれた。

「そうですか。お役に立てたのであれば何よりです」

 学園長の顔色が幾分がよくなっている。……よほど気になっていたのだろうか。

「彼女は、君のお母様ととても仲が良かったからね。きっと思い出がよみがえっただろうね」

 窓から二人の姿が見えた。

 優しいまなざしで見ておられる。

 そうか。

 学園長はお父様やお母様のときから学園長を務めておられるから知っていているのか。

「長く学園長という立場にいるけれど、誰一人として忘れてはいないよ。どの子も大事な教え子だからね」

 とても優しい表情をされている。

 ……お父様とお母様はどんな生徒だったんだろう。

 あの方の話だとお母様は友人が少ないような印象を受けたけど。

「親子でこの学園の生徒になってくれることはうれしいことだよ」

 ……この方も私を見ていない。

 お母様をご存知の方には私はきっとまがい物に見えるんだな。

 ……それでいい。

 今の私が望んだものだ。

 お母様のように。

 静かに笑みを浮かべて。

「私も、父と母の過ごした学園で同じように学ぶことができ光栄です」

 私らしさなんていらない。



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