57. ファーレン・アントネリ
ファーレンは、暗闇の中を歩いていた。
そこには救いもなければ、希望もない。
ただ、死なないために生きている人生。
誰も頼らないし、頼れない。
彼女はスラム街で育った。
ボロボロの布切れを身にまとい、毎日食べるものを必死に探す生活。
かび臭く汚い路地裏で藁を布団代わりにし、寝る毎日。
人を信じることはなく、人に信じられることもない。
ただただ、孤独だった。
5歳のときには、母が死んだ。
父は物心ついたときからいなかった。
過酷な環境で生きていくために、何度も盗みを働いた。
見つかればただでは済まない。
最悪、殺される可能性だってある。
スラム街の、それも身寄りのない子供だ。
殺したところで、罪には問われない。
なくなっても誰も悲しまない命だ。
そんな中、ファーレンが生きてこれたのは、不思議な力のおかげだった。
それは魔法と呼ばれるもの。
魔法を使って、誰にもバレずに盗みを成功させていた。
盗むこと自体、悪いこととは思わなかった。
何が善で何が悪かを知らなかった。
そもそも、そんなことを気にしていられるほどの余裕がなかった。
スラム街での生活を一人で2年間も続けた。
その頃はガリガリにやせ細っており、今にも死にそうな状態で生きていた。
そして、あるとき、ファーレンのもとに白い装束に身を包んだ女性がやってきた。
今でもあのときのことは覚えている。
歳は30ぐらいだろうか。
赤い髪をした綺麗な女性がファーレンをスラム街から連れ出してくれた。
彼女は名はソフィー。
ファーレンの人格形成に大きな影響を与えた人物だ。
実のところ、ファーレン自体には確固たる信念はない。
自分というものがない。
自分を育ててくれた人のようになりたい、と。
それだけがファーレンの意思だった。
ソフィーは優しかった。
自分にたくさんのものを与えてくれた。
色々な話を聞かせてくれた。
美味しいご飯を食べさせてくれた。
温かい毛布を用意してくれた。
教育を施してくれた。
愛情を注いでくれた。
ファーレンという空っぽの器を満たしてくれた。
ソフィーとの出来事は、ファーレンにとって何よりも大切な記憶だ。
だけど、一緒にいられる期間は短かった。
出会ってから1年と半年後、彼女はこの世を去った。
ソフィーの想い、思想、信念、理念、目的、目標、その全てを受け継ごうと決めた。
しかし、ファーレンはソフィーではない。
どんなに真似をしようとしたところで、本人ではないからボロが出る。
「……私はどうすれば良いのでしょうか」
わからない。
今まで自分で考えたことがなかったから。
ソフィーがいなくなってから、自分を導いてくれる存在がいなくなった。
学園では、聖女としての振る舞いを心がけた。
それもソフィーがそうするだろうと考えて、真似しただけだ。
ソフィーなら、きっと誰にでも救いの手を差し伸べる。
ソフィーなら、きっと穏やかに笑う。
ソフィーなら、きっと相手を尊重する。
ソフィーなら、きっと……。
そうやって考えて行動してきた。
「ファーレンさん。あなたはどういう人になりたいですか?」
そうやって、ソフィーが聞いてくることがあった。
「あなたのようになりたいです」
一切の迷いを見せずに答えた。
そうすると、ソフィーは困ったように笑っていた。
「私のようではなく、あなたがしたいことをして、なりたいものになってください」
ファーレンがなりたいものがソフィーだ。
それが全てだ。
でも、きっとソフィーはそれを望んではいない。
自分がしたいことはなんだろうか。
本当にドミニクさんを助けたかったのだろうか。
いや、彼を助けたかったというのは本心だ。
それが、自分の考えでなくても、ソフィーならそれを願う。
そして、ソフィーが願うなら、それがファーレンの願いだった。
でも、オーウェンに言われた言葉が頭から離れない。
―――全部を助けるってのは傲慢だ。いつか本当に大切なもの、手放すことになるぞ。
わからない。
本当に大切なものが何かがわからない。
誰かを救おうとするのは間違いなのだろうか。
ソフィーなら、どうしていただろうか。
もっと、正しいやり方があったのかもしれない。
手段を間違えたのか、目的を間違えたのか。
正しさってなんだろうか。
わからない。
本当にわからないことばかりだ。
「私はどうしたら良いのでしょうか」
ファーレンは、誰もいない空間に向かって呟く。
だが、その問いかけに応えが返ってくることはない。




