165. 決戦②
「――――虚無」
魔女が言葉を吐いた瞬間。
時が止まったかのように、俺の周りの時間がゆっくり流れる。
そうして、徐々に世界が灰色に覆われていく。
ぞくぞくと、言葉にならない恐怖が背筋を這う。
しかし、その恐れの感情も一瞬だけだった。
直後、世界は全てモノクロへと変わり、恐怖はすぐに消えてなくなった。
恐怖だけではない。
感情そのものがごっそりと俺の中から抜け落ちた。
何も感じない。
何も思わない。
嬉しさも、悲しさも、楽しさも、喜びも、恐れも、怒りも、感情を動かくものがなにもない。
虚無の世界が俺の前に広がっていた。
ここでは、生も死も意味がない。
この世界にも価値はなく、自分という存在もまた無価値だ。
生きている意味もなければ、死ぬ理由もない。
俺という存在にも意味がないなら、意識を捨てて、自我を放棄してしまおう。
存在に意味がないのであれば、生きている意味がない。
だから、死のう。
そもそも、死すら意味がないのだ。
生きていようが、死んでいようが、全てが無意味、無価値。
地面に落ちていく。
どこまでも落ちていく。
何もかもを手放そうとした――そのときだ。
「――――炎神武装」
俺は俺の意思に反して、言葉を吐いていた。
凄まじい熱が、俺の体にまとわりつく。
心の底から溢れ出してくるのは、決して消えることのない激情だ。
怒りが、俺の中から際限なく湧いてくる。
俺が憤りを爆発させたのだ。
感情を捨てるな、お前は俺だ。
ああ、そうだ。
俺はオーウェンだ。
もう一人の俺が、憤りをもって俺の感情を蘇らせる。
感情が炸裂し、身体の奥底から力が漲った。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――――!」
炎神の力が解放された。
直後、俺が地面にぶつかると同時に、砂塵が舞う。
衝撃による痛みはなかった。
全身を覆う業火の炎よって、俺は守られている。
今の俺は何もしていなくとも全身から魔力を垂れ流す状態だ。
魔力の消費が激しく、炎神武装を維持できる時間はそう長くない。
さらに、武装状態で強力な魔法を放った場合、さらに時間が短くなる。
俺は魔女の方を向き、両腕を突き出した。
「極大火球」
俺の両腕から放たれた火球は、人を数人単位で丸々と飲み込むほどの大きさである。
含まれたエネルギーも、大きさに比例して凄まじい。
「無限空間」
魔女は漆黒の異次元空間を出現させる。
火球は異次元の闇に飲み込まれる。
俺は膝を曲げて、
「――引力解放」
ドンッと鈍い音がしたあと、俺の足元の大地が割れる。
化け物じみた脚力で、空高く翔び上がった。
炎神武装によって身体に大きな負担がかかり、筋肉が悲鳴を上げる。
瞬時に魔女に接近し、そして、右手の人差し指を彼女に向ける。
「緋弾」
紅く燃える炎を纏った銃弾が魔女に向かって飛来する。
「空間切除」
魔女の眼前の大気が揺れ動くが、しかし、赤い銃弾が歪曲空間を貫いた。
「ぐ……ぅ……っ」
初めて魔女は表情を動かし、苦痛を訴えた。
続けて、魔女に緋弾を放つ。
魔女は防御を止めて、避けるものの、彼女の身体を赤い銃弾が貫いた。
魔女の動きが鈍った中、俺は彼女の眼前まで距離を詰め、炎を帯びた右手拳を強く握りしめる。
「炎拳――!」
魔女の腹に、めらめらと燃える炎の拳が入った。
魔女は血を吐き、直後、轟音とともに大地に落ちた。
しかし、まだ彼女を倒すには至らない。
魔女はすぐに起き上がり、無表情に俺を見つめてくる。
俺は両腕の掌を魔女に向けた。
今から、彼女を殺しかねないほどの大技を使うつもりだ。
その覚悟で挑まなければ、魔女を倒すなんて無理だ。
一瞬の決断の遅れが致命傷となる戦いで、悩んでいる時間はない。
俺には二ツ星としての、そして、一流の魔法使いとしての責任がある。
「憤怒が劫火となって燃え滾り、灼熱の化身を解き放つ――炎神」
憤りを乗せた猛火が大気を揺らし、轟々と音を立てて、解き放たれた。
凝縮された炎の塊が魔女に迫る。
「無限空間」
魔女は異次元空間を作成し、炎を呑み込もうとした。
しかし、異空間では収まりきらない膨大なエネルギーが、無限空間を突き破る。
「あぅぁぁぁあああぁぁぁ!」
炎に身を包まれた魔女が悲鳴を上げながら地面に伏す。
俺は魔女がナタリーの身体から消え、ナタリーの意識が戻ることを願った。
ぐらっ、と俺の視界が揺れ動く。
魔力の大半を消費してしまい、魔力不足状態に陥った。
「う……くっ……」
炎神武装を解除するが、反動によって頭に鋭い痛みが走った。
俺はこめかみを押さえながら、ゆっくりと地面に降りる。
そして、倒れているナタリーに近づこうとした瞬間――。
「ううぅああぁあ――――」
魔女はうめき声を上げる。
その刹那、彼女は周辺空間から瘴気を吸収し始めた。




