侵入と撤退
―過去―
平和に見えていた基地内が騒然としたのは、俺が基地に入ってから僅か二週間後のことだった。
道を走る車や兵士が増え、銃声がしきりに鳴り響いている。
俺がアパートを出ると、道を走っていく兵士が、俺を呼んだ。
「おい、貴様も早く来い!」
「何があったんだ?」
「南のゲートが突破されたらしい」
「何だって?」
あの堅牢なバリケードが突破されるとは思っても見なかった。
見張りがゾンビを間引いている限り、絶対に破られることはないと思っていたのだが……。
俺はすぐに装備を整えると、武器庫に向かって走り出した。
「おい、早く乗れ」
急に横から声をかけられ、顔を向けると、長田が車の運転席から顔を出していた。
「助かる。武器庫まで頼む」
「了解した」
ジープが急発進をしたため、道路にタイヤ痕がくっきりと残った。
俺は、運転中の長田に聞く。
「南側のゲートが破られると、どれくらい困る?」
「あそこには食料のメイン貯蔵庫がある。あそこの食料が無くなれば、一気に餓死まっしぐらといったところだ」
「なるほど、それは不味いな」
「総力を挙げて侵入してきたゾンビを撃退しようと試みてはいるが、どうも腑に落ちないことがある」
「ゲートがなぜ破られたかってことか?」
「それもあるが、数が異常なんだ。まるで、他のゲートにいたゾンビまで引き連れたかのように」
「人為的ってことか」
「あるいは、そうかもしれん」
ジープが急停車して、またもやタイヤ痕がくっきりと残る。
武器庫に到着したのだ。
武器庫の前には、部下の姿もある。
「隊長、どうぞ」
紬が俺に銃と弾薬を渡す。
「ありがとう。よし、全員ゲートに急行するぞ」
―???―
(……あれ? 銃を構えられて、銃声がなって、それで、どうなった?)
ゆっくりと手に力を込めてみる。
感覚はある。
体に痛むところもない。
ゆっくりと目を開ける。
「ぐ……おぉ……!」
負傷していたのは、隊長の方だった。
右手で握り潰すように押さえた左肘から、ボタボタと血が流れ落ちている。
撃ったのは、第三班の班長だった。
「俺たちは、チェスや将棋の駒じゃない。撃たれれば痛いし、死んだらおしまいだ。少しは、身に沁みてわかったか?」
「貴……様ッ……」
「お前が失敗を認めないという理由で、殺されるわけにはいかない」
更に、弾丸を放つ。
一発、胸に。
一発、眉間に。
隊長はそのままごろりと寝転がるように倒れ、動かない。
―過去―
南側ゲートに近づくにつれて、反対方向に進む味方がちらほら見えてきた。
負傷者が出ているようだ。
もっとも、ゾンビに怪我をさせられた時点で、助かる道はない。
となると、後ろに下がっていく味方は、ゾンビによって負傷したわけではないのだろう。
要するに、フレンドリーファイアだ。
新兵が多く、銃を撃つことすらままならないが為に、ゾンビと味方を誤認したり、単純に誤射をしてしまうことが多々あるのだろう。
ただ、幾らなんでも綺麗にゾンビと兵士が分かれきっている状態では、中々起こらない。
つまり、南側ゲートは味方とゾンビがいり乱れて混乱していることが分かる。
「大分大変そうだな」
長田が呟くように言う。
俺は後ろを振り返って、部下達を見た。
やはり、表情がかたい。
特に、紬だ。
翔は平然として……というか、憮然としている。
「みんな、心配するな。訓練した通りでいい。ピンチになったら俺が助けてやる」
俺の言葉も、大して意味はなかったようで、相変わらずかたい表情をしている。
今からゾンビと戦うのだから、仕方ないだろう。
「おい、見えてきたぞ」
長田が言うので見てみると、南側ゲートの壁のようなものが見えてきた。
そして、そこにいる黒い人だかり。
あれの一匹一匹がゾンビだとすると、確かに人為的にかき集めてきたのかというほど大量だ。
その人だかりに対して無数の銃弾が襲いかかるが、中々倒すことはできず、その間に続々とゾンビが雪崩れ込んでくる。
これでは、焼け石に水だ。
「……こりゃあ、空爆が必要なレベルだぞ」
英人がそう呟いたのも納得だ。
「紬と悟郎と翔は、横にある建物から援護。悟郎がリードしてやってくれ。英人は俺についてこい」
三人が脇の建物に入るのを確認して、英人と共に、黒い人だかりに向かう。
ゾンビの群れは、無数の銃弾を受けてなお、人の肉を求めて、蠢いている。
「久し振りだな」
俺はそう言って引き金を引いた。
たちまち、数体のゾンビが倒れ伏す。
だが、その屍体を踏み越えて、次から次へとゾンビが迫ってくる。
リロードして、再び銃を構えたとき、上の方から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「烏だ! 突っ込んでくるぞ!」
英人が叫んだので、上を見ると、空から数十匹の烏が急降下してきた。
南側ゲートの対空砲台陣地は、既にゾンビの群れの腹の中だ。
「Shit!」
俺は英人の手を引っ張り、車まで走りながら、烏に向けて引き金を引く。
しかし、走りながら、片手で撃ったところでまともに当たるわけがない。
しかも、奴等は痛覚を感じないから、多少撃たれたところで平然と襲ってくる。
「全員車に戻れ! 一旦退くぞ」
無線に向かって言うと、横の建物から三人が出てきた。
車に戻ると、長田が車をバックさせて、方向転換をした後に、アクセル一杯に走らせる。
車の天窓から上半身を出すと、他の部隊が蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが見えた。
「これは不味いな」
今ここで退却をすると、堀の外側は屍者の領域となる。
生活範囲が一気に狭くなること請け合いだ。
なんとかして烏を倒さなければならないが、それもままならない。
その時、空から、別の聞き覚えのある音が聞こえた。
「ヘリだ!」
一機の戦闘ヘリが飛んできた。
機首に機銃を備え付けている。
そして、やって来る烏に向けて、弾丸をばら蒔き始めた。
烏はたちまち数を減らし、残った烏はヘリ目掛けて飛んでいく。
ヘリは半回転し、中央の方に向かっていった。
当然烏も追いかけるが、そこに待っていたのは、中央の対空砲台陣地だ。
空中に向けて、噴水のように弾丸が飛び、烏は散り散りになって墜ちていった。
「すげぇっ!」
悟郎が叫ぶ。
俺も心の奥底から浮き立つような気持ちになった。
「よし、引き返してもう一度戦線の維持に……」
「残念だけど、タイムアップだよ」
唐突に翔が口を開く。
「どういうことだ?」
「無線。開いてみて」
「あ、ああ」
無線を調整して、本部の回線に合わせると、耳を疑うような文章が流れてきた。
『戦闘員は全員南側ゲートを離れ、至急本部に集合せよ……繰り返す、戦闘員は……』
「馬鹿な! ここでゾンビを抑えなければ、橋までの空間は立ち入りできなくなるんだぞ!」
「どーする? 隊長さんよ」
英人が皮肉っぽく、口を歪めて問い掛ける。
周りを見渡すと、他の人も迷っているが、次々と本部に向かっていく。
「……Shit」
俺たちも本部に向かわざるを得なかった。
喩え俺たちがゾンビを抑えにいったところで、もはや大勢に影響はない。
二年前の戦いと同様、敗北を喫したも同然だ。