彼の名は
アルデランカの菜園を先にお読みください。
喧噪とは外れたところに青年が一人食事をしている。
一口食べては真剣に手元の手帳に何かを書き込んでいる。
気になったアンザはこっそり近づいてみた。
彼が食べているのは寒い日にぴったりの具だくさんスープだ。
栄養価を上げるためにヤギの乳も入っている。
夜食から食堂の新メニューに格上げされたアンザのレシピだ。
好評のようで連日早々に無くなるそうだ。
アンザが食堂に来ると料理長はどのくらい食べられているか教えてくれる。
先ほど最後の一杯が出たという。
幸運にも彼は間に合ったようだ。
少々気は引けたが好奇心には勝てなかった。
青年の手帳をを覗くとどうやらスープの材料を書き出しているようだ。
隠し味にほんの少しだけ入れた薬味の名も書いてある。味覚が鋭いのだろう。
それよりアンザが驚いたのは別のことだった。
青年の文字に見覚えがあった。
ちょっと角ばった見本のように美しい文字。
「あっ」
アルデランカの菜園主。
アンザの声に気がつき水色の静かな瞳がアンザを見上げた。
「アンザさんですね。とてもおいしくいただいています」
料理長が料理名を考えるのが面倒だからとアンザ考案のレシピはすべて「アンザの○○」と呼ばれているためアンザの名は勝手に広まってしまっている。
だが顔と名前が一致している人はそう多くない。
名前を呼ばれたことに思わず息が詰まった。
「っ、そう、ありがと」
「もう少し、何か足らないようなきがするのですよ」
カナンがとんと手帳を叩く。
うん。正解。
あと一つだけ足りないものがある。
「チコの実を入れるの。体が温まるから」
「なるほど」
納得だと青年は微笑んだ。
誰でもいいと思ったけれど、アンザは何度も菜園の主を想像してみた。
彼はちょっと想像とは違う。
こんなに優しく笑う人だなんて予想外だ。
アンザのことを知っているなんて予想外だ。
「ねぇ、あんた名前は」
「カナン・スフィアです」
その日、菜園の主に名が付いた。