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さよなら愛しい人(後日談)

 アリオスでは少々奇抜な姿の青年に見つめられて、カナンは小さく首を傾げた。

 均整の取れた引き締まった体とピンクの髪。

 彼と出会ったのは今日が初めての気がする。その見た目と菓子作りの腕から噂だけは周りから聞き及んではいたのだが、ただの書庫の管理人と城お抱えの菓子職人が顔を合わす機会などなかったのだ。

 だがどこかで会ったことがあるような気はする。そう思ってしまうのは、あまりにも熱心に見つめられているからだろうか。


「……あの」


「貴方がカナン殿? 昔、月影に居た」


「……ええ、そうです。失礼ですがどこかで?」


 カナンが月影に居たのが随分前のことだ。まだ目の前の青年は生まれていないころの話だろう。


「お初にお目にかかります。アリーと申します」


 自己紹介されてもカナンにはアリーと自分の接点など思い浮かばなかった。カナンの困惑が伝わったのだろう。


「母の名はアンザです」


「……アンザ殿の」

 

 それで合点がいった。強い眼差しに厚い下唇。アリーはアンザによく似ている。


「アンザ殿やイマム殿は息災ですか」


 カナンがそう問えば、アリーは少し困ったように頬を掻いた。


「母は元気ですよ。元気すぎるといってもいいくらいです」


「そうですか」


 ちょこまかとせわしなく仕事をしているアンザの姿は容易に想像できた。

 懐かしいと口元が綻んだ。


「父は……多分元気なんでしょうね。亡くなったという知らせは受けていないので」


 父親と仲たがいをしているのだろうか。

 カナンの心情を読んだかのようにアリーは肩をすくめた。


「父と母は離縁したんですよ。もう十年も前になります。母は私を連れてバクスタの家を出たんです」


「そうだったんですか」


 イマムはとても律儀な男だった。

 一体何があったのだろう。考えるだけ無駄だとは分かっている。カナンが持っている二人の情報が随分昔のものだ。

 何もかもあの時とは変わった。


「カナン殿のことは母からよく聞いてました」


「……私のことをですか」


「城の庭に勝手に菜園作っていただとか、料理の隠し味もたちまち見破られただとか」


「そんなこともありましたかね」


 昔のことを若者から聞かされるのは面はゆい。


「アンザさんはずっと料理を?」


 その問いにアリーは苦笑した。


「バウスタの家は下級貴族だけど、じぃさまたちはそりゃぁプライドが高くて、母のことを中々認めなかったそうです。父はどこに言っても母が恥をかかないようにたくさんの師をつけて貴族のふるまいを教え込みました。その師っていうのが古い考えの持ち主で女主人が手ずから料理をするなんてありえないと母は料理をするこを禁止されたんです」


「……まさか」


 アンザから料理をすることを奪ったのか。彼女織りなす根底を?


「あたしや兄たちは手料理をたまに作ってもらえたけど、父はけっしていい顔をしなかった。そんなバクスタ家で私は菓子職人になりたいって夢をもったんです、父なんて卒倒しそうな夢を。絶対に許してなんてもらえないから家を出られる十六になるまでひた隠しにしようと思って、それまでは父が望む以上に武芸に励みました」


 アリーは鎧をつければ見栄えのする兵士だろう。

 菓子の匂いより硝煙のほうがよほど似合うに違いない。陽炎、月影両軍から「菓子職人になるにはもったいない」と声が上がったとか。


「母は気が付いていた。バクスタ家が与える何もかもを捨てて私だけの手を取って家を出ました。故郷の孤児院への仕送りも自分でやると今裏街でお店をやっています。『メリッサの誕生日』っていうお店なの。時間があれば行ってみてください。きっと母も喜ぶから」


「そうでしょうか」


「だって、母はよく言ってました。絶対に美味しいと言わせたい人だと」







 日々複雑になる裏街の通路。

 人通りの少ない裏街でも『メリッサの誕生日』は持ち帰り専用の総菜屋で行列ができるほどの人気だと言う。

 アリーに逢って数日後、裏街に来たカナンは一つため息をついた。

 彼女に会ってどうするというのだろう。

 何も考えなしにこんなところに立っている自分にあきれ果てていた。 

 店の看板はまだ出ておらず、入り口のカーテンは閉まったままだ。

 まだ店が開いていないことにカナンは感謝した。帰ろうと身をひるがえそうとしたとき、店のドアが開いて、茶の髪を三つ編みにした少女が顔を出した。彼女が看板娘のメリッサなのだろう。


「あら。いらっしゃいませ。ごめんなさい。まだ準備中なの」


「……そうですか。では、出直します」


「あっ、ちょっと待って」


 少女は店の中へと飛んでいく。

 慌てて戻ってきた少女の手には湯気の立つ小ぶりな椀があった。


「これ。飲んでください」


「ですが」


「このスープ、いつもあるわけじゃないの。今日は特別に作ってくれたから。あっというまに売り切れちゃうの。お客さんが出なおしたときにはないかもしれないから。朝早くに来てくれてありがとう」


 少女はにっこり笑って引っ込んでいった。ドアのベルがカランと鳴ったきりあたりは静かになった。

 ふうわりと香る覚えのある匂い。


「ああ、あの時の」


 カナンの命をつないだスープ。温かく、ほんのり甘い。

 胃の腑から熱が全身へと伝わっていく。血がめぐり指の先まで力がみなぎるよう。

 美味しいを教えてくれた、アンザのスープ。

 カナンは一口飲むと、ほうと息をついた。

 このスープのおかげでカナンはここにいる。

 壊れそうに危うかった幼いジルフォードを多少なりとも支えることが出来た。

 あの時の選択を後悔はしない。

 深く深く感謝する。

 あの時、生かしてくれた彼女に。


 もう一度出会えたら伝えよう。

 あなたの料理はササン一美味しいと。



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