第5話 世界地図を手に入れました
冒険者になって三日目。
昨日、初めて受けた依頼の途中でロックスチールボアを単独討伐し、なぜかその日のうちにD級からC級へ昇格したチェルシーは、早速次の旅の準備を始めていた。
といっても、まず必要なのは装備でも食料でもない。
「地図が欲しいです!」
王都シュタルグラードの冒険者ギルド本部で、受付へやって来るなりそう言ったチェルシーに、ヘンリーは眼鏡越しの視線を向けた。
「地図、ですか?」
「はい。できれば世界全体が載ってるやつ!」
ヘンリーは手元の書類を置き、わずかに眉を上げた。
「随分と大きく出ましたね」
「世界中を旅するつもりなので!」
迷いのない返答に、ヘンリーは一瞬だけチェルシーを見つめ、それから納得したように頷いた。
「そうでしたね。グスタフからも聞いています」
「昔から言ってるので!」
チェルシーが胸を張ると、ヘンリーは受付の横にある棚へ目を向けた。
「でしたら、冒険者向けの世界地図がありますよ」
「本当ですか!」
チェルシーの顔がぱっと明るくなる。
ヘンリーは棚へ向かい、細長く折り畳まれた羊皮紙を一つ取り出した。丈夫そうな革紐で留められている。
「冒険者ギルドが発行している世界全図です。主要な大陸、国家、都市、港、街道、山脈などが記載されています」
「世界全部?」
思わず身を乗り出すと、ヘンリーは地図を受付台の上へ置いた。
「現在、ギルドが把握している範囲では、ですが。冒険者ギルドはルクシア王国内だけの組織ではありません。東の大陸をはじめ、他国にも支部があります。そのため、国家ごとの詳細地図ほど細かくはありませんが、主要な大陸は一通り載っています」
チェルシーは、まだ折り畳まれたままの地図へ食い入るように目を向けた。
「いくらですか?」
「三ゴールドです」
普通の宿なら三泊ほどできる金額。決して安くはないが、チェルシーに迷いはなかった。
「買います!」
即答し、財布を取り出す。
昨日はロックスチールボアの討伐報酬だけでも十ゴールド入った。素材の買い取り分もある。旅をするために必要なものなら、惜しむ理由はない。
代金を支払って地図を受け取ると、チェルシーはその場で革紐を解いた。折り畳まれていた羊皮紙を、受付台の上へ広げていく。
「わあ……!」
思わず声が漏れた。
見覚えがある。前世で何度も眺めた、『ドラゴンファンタジア』のワールドマップだ。大陸の形も、海岸線も、山脈の位置も、大まかには記憶と同じだった。
現在いるルクシア王国の東には、大陸同士を繋ぐ巨大な橋があり、その先には別の国が治める東の大陸が広がっている。北には海を隔てた寒冷地があり、南には広い海が広がっていた。
「すごい……本当に同じだ」
「何と同じなんです?」
不意に声をかけられ、チェルシーは顔を上げた。ヘンリーが不思議そうにこちらを見ている。
「あっ、いえ! なんでもないです!」
危ない。前世のゲームの話は、まだ誰にもしたことがない。
慌てて地図へ視線を戻したチェルシーは、そこで別のことに気づいた。
「町、多い……」
ゲームのワールドマップには、大きな町やダンジョンしか表示されていなかった。だが、目の前の地図は違う。
知らない小都市や村、宿場町、港。それらを繋ぐ街道や、近くを流れる河川まで、ゲームには名前すら出てこなかった場所がいくつも記されている。
「こんなにあったんだ……」
チェルシーは指先で地図をなぞった。
前世で知っていた世界より、ずっと広い。
ゲームでは通り過ぎるだけだった場所にも人が暮らし、何もなかったはずの場所にも町がある。
「全部行ってみたいなあ……」
ぽつりと声が漏れた。
ゲームで見た景色を、自分の目で見たい。それが旅に出た一番の理由だった。けれど今は、ゲームで見たことのない景色だって、同じくらい見てみたい。
この地図に載っていない場所も、きっとたくさんある。そう思うと、ますます胸が高鳴った。
「気に入りましたか?」
「はい! 大事に使います!」
勢いよく頷くチェルシーに、ヘンリーは穏やかな声で付け加えた。
「旅先では、地図を過信しすぎないようにしてくださいね。古い街道が使えなくなっていたり、新しい道ができていたりする場合もあります。各地のギルドで最新情報を確認することをお勧めします」
「分かりました!」
チェルシーは地図を丁寧に折り畳み、革紐を結び直した。
これから何度も開くことになるだろう。そう思うだけで嬉しかった。
◇
ギルドを出たチェルシーは、中央広場までやって来た。
朝の広場は今日も賑やかだった。クシュリアーナ像のある大噴水からは澄んだ水が流れ、その奥では四面時計の針が時を刻んでいる。
噴水近くのテーブル付きベンチへ腰を下ろすと、早速、買ったばかりの世界地図を広げた。
「さて……」
次はどこへ行こう。
行きたい場所ならいくらでもある。東の大陸に北方の雪原、砂漠、火山、海。ゲームで見た場所を思い出すたび、候補が増えていく。
「でも、いきなり遠くまで行かなくてもいいよね」
まずは王都周辺から、行ける場所を少しずつ巡っていけばいい。
地図へ顔を近づけたチェルシーは、シュタルグラードの北西にある地名を見つけ、指を止めた。
「旧王都……」
その名前には覚えがあった。ゲームにも登場した場所だ。
現在の王都シュタルグラードへ遷都する以前、ルクシア王国の中心だった都市で、今ではほとんど廃墟となっている。そしてゲームでは、その奥に残る古城に――。
「首無し騎士……」
思わず小さく呟いた。
ゲームに登場したボスの一体。全身を重厚な黒い鎧で包み、大剣を振るう首無しの騎士だ。
チェルシーは前世で、あのボスが結構好きだった。
「かっこよかったんだよねえ……」
単純に、見た目が。
巨大な鎧に擦れた外套、重い大剣。暗い古城に立つ姿が、とにかく格好良かった。
しかも設定を調べてみれば、生前は旧王都を最後まで守った騎士だったという。それもあって、印象に残っている。
「古城も見たいな」
王都からなら、そう遠くないはずだ。地図の上で道を追っていると、不意に聞き覚えのある声がした。
「あっ! 姐さん!」
「ほんとだ姐さんだ!」
顔を上げたチェルシーの目に飛び込んできたのは、三つの見事なリーゼント。
ポッキオ、ガルヴォ、アルフォトだった。
「リーゼントさんたち!」
「その呼び方で三人まとめるのやめてくださいよ、姐さん!」
ポッキオが苦笑しながら歩いてくる。
「王都まで無事着いたんすね!」
「はい! 皆さんが教えてくれた道、すごく安全でした。ありがとうございました!」
チェルシーが頭を下げると、ガルヴォが「そりゃよかった!」と嬉しそうに頷いた。
その隣で、アルフォトの視線がチェルシーの胸元に留まる。昨日交換されたばかりの、ブロンズ色のバッジだ。
「姐さん、冒険者登録したんすよね?」
「しましたよ!」
元気よく答えたチェルシーを見て、アルフォトは少し首を傾けた。
「いつですか?」
「一昨日です!」
三人が顔を見合わせた。
ポッキオがもう一度、チェルシーの胸元を確かめる。
「それ、C級っすよね? もう上がったんすか?」
「はい! 昨日上がりました!」
チェルシーが頷いた途端、「昨日!?」と三人の声が綺麗に重なった。周囲を歩いていた人が何人か振り返る。
「いや、姐さんが強いのは知ってますけど! 一人で強盗四人しばいてましたもんね」
「しばいて……?」
ガルヴォの言い方にチェルシーが首を傾げると、ポッキオも困惑したように口を開いた。
「でも冒険者って、登録したら全員D級からっすよね? さすがに一日で上がるとは思わなかったっす」
「ああ、それはですね」
ようやく何に驚かれているのか分かり、チェルシーは事情を説明した。
「昨日、初めて依頼を受けたんです。癒しの森でヒールリーフを二十株採ってきました!」
「いいっすね。最初はそういう採取依頼から――」
ポッキオが頷きかけたところで、チェルシーはその先を続けた。
「その途中でロックスチールボアに襲われたので、倒して」
三人の動きが止まった。
「何を?」
「ロックスチールボアです」
ガルヴォがゆっくりと色眼鏡を押し上げる。
「いや、それは聞こえたっす。一人で?」
「はい」
しばし沈黙が落ちた。やがてポッキオが頭を抱える。
「強盗四人倒すのと話が違うっすよ、姐さん!」
「そうなんですか?」
チェルシーが目を丸くすると、ガルヴォも身を乗り出した。
「違いますよ! ロックスチールボアって、C級が何人かで狩るやつっすからね!?」
隣でアルフォトが真顔になって頷く。
「俺らでも三人で相手するぞ」
驚いてそちらへ目を向けたチェルシーに、ガルヴォが胸を張って付け加えた。
「俺ら、もうすぐB級ですからね!?」
三人はC級冒険者。しかも十年近く冒険者を続け、B級昇格も見えている中堅だ。
チェルシーが強いこと自体は、三人とも最初から知っていた。初めて会った日に、強盗四人を一人であっという間に叩きのめしている。
それでも、登録した翌日にC級の討伐対象を単独で倒し、昇格するとは思っていなかったらしい。
「でも、襲ってきたので」
「襲ってきたからって普通は倒せないんすよ!」
ポッキオが声を張る横で、アルフォトは少し考えてから、ぽつりと言った。
「まあ、姐さんだしな」
「お前、納得するの早すぎるだろ」
即座に突っ込まれても、アルフォトは特に気にした様子もない。
チェルシーは三人を見比べ、先ほどの話へ戻った。
「皆さん、もうすぐB級なんですね」
「そうっすよ。俺らも十年近く冒険者やってますから」
ガルヴォの答えに、チェルシーは目を輝かせた。
「すごい!」
「姐さんに言われると、なんか複雑だな……」
ガルヴォが遠い目をする。その横から、ポッキオがベンチに広げられた地図へ目を向けた。
「ところで姐さん、何見てたんすか?」
「あ、これ! さっきギルドで世界地図買ったんです!」
チェルシーが嬉しそうに示すと、ポッキオは感心したように地図を覗き込んだ。
「おお。いいやつ買いましたね」
「三ゴールドしました!」
ガルヴォも隣へ寄り、「世界全図ならそんなもんっす」と頷く。
三人がベンチの周囲へ集まると、チェルシーは地図の端を押さえ直した。
「次、どこへ行くか考えてたんです」
「もう次行くんすか?」
チェルシーが即座に「はい!」と答えると、三人はまた顔を見合わせた。
「姐さん、王都来たばっかっすよね?」
「昨日も依頼が終わってから、いっぱい見て回りました!」
「早いなあ」
アルフォトがそう呟く。
チェルシーは、地図の一点を指さした。
「次は旧王都に行ってみようかなって」
三人の視線が指先へ集まった。ポッキオが眉を上げる。
「旧王都? また渋いところ選びますね」
「古城を見てみたいんです!」
チェルシーの弾んだ声に、ガルヴォが顔を上げた。
「姐さん、城とか好きなんすか?」
「好きです!」
正確には、そこに将来現れる首無し騎士も含めて興味があるのだが、それは説明できない。
ガルヴォは地図へ視線を戻すと、王都から伸びる道を指でなぞった。
「旧王都なら、シュタルグラードから北西っすね」
「歩いて二日くらいだったかな」
アルフォトも地図を覗き込み、指先の道を目で追った。
「昔はあっちがメイン街道だったんすけど、今はほとんど使われてないっす」
「そうなんですか?」
顔を上げたチェルシーに、ポッキオが頷く。
「今の王都に移ってから、わざわざ旧王都方面へ行く人も減りましたからね。ただ、石畳が残ってるから、道自体は分かりやすいっすよ」
示された古い街道をたどりながら、チェルシーは道沿いの地名を探した。
「途中に町は?」
「大きいところはないっす。小さい宿場が一つあったはずだけど、今も宿やってるかなあ」
ポッキオが考え込むと、ガルヴォが横から付け加えた。
「食料は往復分、少し余裕を持って用意した方がいいっすね」
チェルシーは頷き、水場についても尋ねた。街道沿いには井戸がいくつかあるというが、古いため使えないものもあるらしい。
「ちょっと待ってください。書きます!」
鞄から筆記具を取り出し、買ったばかりの世界地図の余白へ、教えてもらった情報を書き込んでいく。
旧街道を徒歩で二日。食料は往復分と予備。古い井戸と小さな宿場はあるが、使えるかどうかは分からない。
「姐さん、地図に直接書くんすか?」
「その方が忘れないので!」
手を動かしたまま答えると、ポッキオが笑った。
「まあ、冒険者の地図なんて最後は書き込みだらけになりますけどね。俺らのもひどいっすよ。危険な道とか、飯うまい店とか、全部書いてます」
「美味しいお店も!?」
チェルシーは勢いよく顔を上げた。ポッキオが面白そうに目を細める。
「そこ食いつくんすね」
「大事じゃないですか!」
旅先の食事は重要だ。力を込めて言うと、三人が揃って笑った。
やがてガルヴォが地図へ視線を落とし、さらに一つ教えてくれた。
「旧王都の古城周辺は、魔物がほとんど出ないって話っす」
「出ないんですか?」
意外に思って聞き返すと、ガルヴォは古城の位置を指した。
「昔の加護がまだ残ってるらしいっすよ」
アルフォトも頷く。
「だから危険な場所ってわけじゃない。ただ、人がいない」
「静かなところっすね」
ポッキオの言葉を聞き、チェルシーの胸が少し高鳴った。
ゲームでは違った。首無し騎士が現れる旧王都は、暗く、おどろおどろしく、不気味な場所として描かれていた。でも今なら、まだ違うのかもしれない。
「ますます行ってみたい……」
思わず漏れた声に、ポッキオが苦笑する。
「姐さん、本当に変わった場所好きっすね」
「だって、見たことない場所に行くの、楽しいですよ!」
チェルシーは笑い、もう一度地図を見渡した。
東の大陸に北の海、南の島々。遠い山や砂漠もある。まだ行ったことのない土地が、いくらでも広がっていた。
「私、この世界全部見てみたいんです」
三人が黙った。チェルシーは気づかず、地図を眺めたまま続ける。
「昔から、知らない土地の話を聞くのが好きだったので」
また口を滑らせかけた。慌てて言い直し、何事もなかったように顔を上げる。
「だから、一つずつ行ってみようかなって」
ポッキオが口元を緩めた。
「世界全部っすか」
「はい!」
大きく頷くチェルシーを見て、ガルヴォが笑う。
「姐さんなら、本当にやりそうだな」
アルフォトも静かに頷き、地図の余白へ目を向けた。
「そのうち地図、真っ黒になりますね」
「それ、いいですね!」
チェルシーは嬉しそうに地図を見下ろした。
真新しい羊皮紙には、まだ旧王都周辺の情報が少し書き込まれているだけだ。けれど、これから旅をするたび、きっと何かが増えていく。
自分で歩いた道や見つけた場所、教えてもらった情報。また行きたい場所や、知らなかった町の名前も。
「よし。次はここ!」
チェルシーは旧王都の場所へ、小さな印を付けた。
王都シュタルグラードから北西へ、徒歩でおよそ二日。
かつてルクシア王国の中心だった、今は静かな旧王都。
チェルシーの世界地図に、初めて新しい旅先の印が付いた。




