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愛の讃歌  作者: 石原裕
第三章 愛の覚悟

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第4話 聡、ワールド自動車㈱の竜崎社長に面会する

 土曜日の夕方、慌しい急ぎ仕事を処理するための休日出勤を終えた聡は、眦を上げてワールド自動車(株)の本社ビルへ入って行った。正面玄関を真直ぐ入った受付で面会を乞うた聡に受付嬢が丁寧に応えた。

「いらっしゃいませ」

「あのう、竜崎社長にお目に掛かりたいのですが」

「はい。あなた様は?」

「川本と申します。それでお判りにならなければ、仲田の知合いの者です、とお伝え下さい。ご不在なら日を改めますし、ご在社であればお目に掛かれる時刻まで待たせて頂きます」

「はい、川本様・・・少々お待ち下さいませ」

受付嬢が取り継いでいる間、聡は唇を引き締めてじっと待った。

やがて、受話器を置いた受付嬢が言った。

「お待たせ致しました。社長は只今来客中ですが、待って頂けるなら、お会いするそうです」

「解かりました。それでは待たせて頂きます」

「それでは、此方へどうぞ」

導かれたのは「第三応接室」と表示された小室だった。

「此方で、どうぞ・・・」

「どうも・・・」

受付嬢はドアを閉めて去って行った。

 

 ソファーに腰掛けた聡の眼に入ったのは「社是」と「社訓」の書かれた二枚のパネルだった。それは竜崎社長の、顧客に対する姿勢と自社の経営についての考え方を簡潔明瞭に集約したものだった。

聡は背広の内ポケットから煙草を取り出して口に咥えたが、火を点けようとして、一瞬、躊躇った。虎穴に入ったような緊張感に包まれて、フーッと息を吐き、徐にタバコとライターをポケットに納まった。

待つこと暫し・・・外の廊下は静かである。聡の気持は落ち着かない・・・

やがて、靴音がし、その音が近付いて来て、聡は身を固くした。

靴音が止まってドアがノックされ、入って来たのは竜崎社長だった。

「どうも、お待たせしました」

聡は立ち上がって名乗り、丁寧に挨拶した。

「川本聡と申します。突然お邪魔致しまして申し訳ありません」

「竜崎です・・・ま、どうぞお掛け下さい」

腰を下ろすと直ぐに竜崎社長が誘った。

「どうです、これからご一緒に食事でも・・・」

「いえ、僕は結構です」

「そうですか・・・」

だが、社長は頷きながらもう一度言った。

「プライベートな話は出来るだけ外でしたいのです。此処は職場ですから」

思いを察した聡は、判りました、と答えた。

「コーヒーくらいなら・・・」

「では、参りましょうか」

 

 案内されたのは近くのレストランだった。二人が席に着くと直ぐにウエイトレスがやって来てメニューを差し出した、が、社長は、どうぞ、あなたから、と言うように聡の方へそれを回させた。

「僕はコーヒーだけで結構です」

「そう・・・それじゃ私は失礼して食事をさせて戴きます。お昼に時間が取れなかったものですから」

「どうぞ、どうぞ」

幾つかの注文を聞いたウエイトレスは、畏まりました、と言って、直ぐに立ち去って行った。

「さて、と・・・あなたは確か由美君の・・・」

「はい、何れ近い内に結婚する心算です」

社長がニッコリ笑って言った。

「先日お逢いしましたな、元町の家で」

「はい」

「私のことは由美君から・・・」

「先日初めて聞きました。それも、僕が強引に言わせたのです」

社長は黙って小さく頷いた。

「僕は彼女と知り合って二年経ちますし、結婚を申し入れてから半年になりますが、彼女は、僕の両親に逢うのも、僕を彼女のお母さんに引き合わせるのも、頑なに躊躇したんです」

社長は聡の話を静かに黙って聞いていた。

「僕はその意味を先日、初めて知りました」

社長が小さく頷いた。

「彼女はあなたに大変感謝しています。だが、別の意味であなたを軽蔑してもいます」

社長の眉がピクッと動いた。

「僕はそのことであなたにお願いがあって、今日、お伺いしました」

「私は真面目な気持で光江さん、いえ、由美君のお母さんを愛して来ましたし、今も真剣に彼女を愛しています」

「然し、あなたにはちゃんと奥さんも子供さんも居らっしゃる」

「そうです、息子はもう直ぐ大学を卒業しますので、その後には私の会社を引き継いで貰おうと思っています」

「不徳ですよ、それは」

「そうです、或は、間違っているのかも知れません。私は、私の妻も子供も偽り続けて来て、今も、偽っている。だが、私はやっぱり心から光江さんを愛している」

「?・・・・・」

ウエイトレスがコーヒーと料理を運んで来た。

「お待たせいたしました」

そう言って、テーブルに飲物と料理を並べた。

彼女が去った後、どうぞ、と社長がコーヒーを勧めたが、聡は黙ったまま俯いていた。社長も料理に手を付けようとはしなかった。

「彼女は苦しんでいます。あなたを決して嫌っている訳ではないのです。いや、寧ろ、あなたが正式の父親であったら、とその方を望んでいると思います。それだけに彼女は苦しみ悩んでいるのだと僕は思います」

「・・・・・」

「このままで、これからも良い結果が生まれると思われますか?」

社長は幾度も頷いた。

「君はなかなかしっかりしている。由美君も良い人に巡り会えた」

「話を逸らさないで下さい」

「いやいや、逸らして訳ではありません。君が言っていることは多分全てが正しいでしょう。然し、私たちはもう若くは無い。光江さんも私も、夫々、それなりに考えている。考えて、考えた末に、今までこうして過ごして来た。そのことを理解して欲しいとは言えない。言えないが、然し・・・」

「狡いですよ、それは」

社長が静かに聡を見つめた。

「経済的にゆとりのある人間だけがそういうことを許されて、自分たちの意思でしたいことが出る。結局、それはエゴであり、倫理、道徳の問題じゃないですか」

「倫理、道徳だって?」

聡は、社長の強張った顔を見て、少し言い過ぎだったかな、と思った。

「君はなかなかはっきりものを言うね。そうか、私たちの事を解って貰うことは無理なんだね?」

「解かりませんね、僕たちには。兎に角、彼女はあなたに感謝の気持を持ちながらも、あなたに綺麗な形で、と望んでいます。お母さんの今後のことは僕たち二人で面倒を見ますので、あなたにも考えて頂きたいと思うんです」

「君っ!」

「今日はこれで失礼します」

聡は丁寧に頭を下げて、席を立った。

「君、一寸、待ちたまえ!」

一人取り残された竜崎社長は静かにナイフとフォークを取って、無感情に料理を口へ運んだ。


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