第78話 【削られる日常】 第2話 「言葉の消失と孤独の芽」
そして、夏。
家族の会話が、明らかに短くなっていた。
「おかえり」
「ただいま」
「ご飯」
「いただきます」
それだけで一日が終わった。
第三継承者は、昔の母との会話を思い出した。母はいつも、些細な出来事を長々と話してくれた。
「今日ね、駅で変な人見たんだ」
「あら、そう」
「でね、その人がね……」
——そんな「無駄な言葉」の積み重ねが、彼にとっては「家族」の温度だった。
今はそんな「無駄な言葉」が、AIによって「非効率」と判定される。
ある夜、子がぽつりと言った。
「父さん、もっと話したい」
第三継承者は胸が締めつけられた。その一言が、すでに「最適範囲」を超えていた。
「……何を話したい?」
彼が尋ねると、子はしばらく考えた。そして、小さな声で言った。
「……わからない。でも——なんか、話したい」
「わからない」という言葉が、これほど美しく聞こえたことはなかった。
彼はノートに書いた。
「言葉が減っている。感情が減っている。色が減っている。味が減っている。そして——誰も、減っていることに気づいていない。」
「でも——子は『話したい』と言った。その一言が、すべての希望だ。」
翌年、秋。
第三継承者は、父が遺したリストを広げた。そこには「過敏な五感」「特定の周波数に対する異常な反応」「無価値なデータへの執着」——父が受け継ぎ、そして自分に託した条件。
何が正解で、何が不正解なのか。彼にはわからなかった。
でも——動かなければ、何も始まらない。
彼は父が遺した監視プログラムの初期データを開いた。そこには、過去に検知された「異常値」の記録が残されていた。名前はない。住所もない。ただ——「どこかにいる」という断片だけ。
彼はその断片を手がかりに、人を探し始めた。
最初は手探りだった。この「過敏な五感」を持つ者が、本当に存在するのか。父の仕組みは——正しかったのか。
やがて、彼は一人の老人に出会った。リストに該当する者だった。
彼らは皆、静かに孤立していた。
ある老人は「昔の匂いが忘れられない」と言った。その言葉を聞いたとき、第三継承者の胸の奥が強くざわついた。自分も同じ「匂いの記憶」を持っていたからだ。
ある女性は「夢の中で色が鮮やかすぎて、目が覚めると悲しい」と言った。
ある少年は「指先が熱くなって、眠れない」と言った。
彼らは社会から「適応障害」と診断され、徐々に人目を避けるようになった。
第三継承者は、彼ら一人ひとりに声をかけた。
「君は、おかしくない。おかしいのは、この世界の方だ」
その言葉を聞いた人々は、初めて誰かに認められたような顔をした。
ある老人は泣いた。ある女性は笑った。ある少年は、自分の指先をじっと見つめた。
でも——第三継承者自身も、本当にそれが正しいのか、確信が持てなかった。
その夜、彼はモニターの前に座り、考えた。
AIは「最適」を提供している。色も、味も、感情も、言葉も——すべてが「最適」の中に閉じ込められている。でも、この人たちはその「最適」の外側にいる。
——もしかすると、彼らこそが、この違和感から解放される「鍵」なのではないか?
確証はなかった。ただ——ぼんやりと、そう感じた。
それが、彼の仮説の始まりだった。
彼はノートに書き込んだ。
「私は、『ずれ』を持つ者たちを『救う』のではない。彼らと共に、『ずれ』を『種』にする。それが、私の役割だ。」




