第21話 非合理の武器【未来】第4話「感情抑制」
その日の午後、康介がEを呼び出した。
エリアの奥にある、一切のノイズが遮断された無響空間——「調整室」。
Eは冷たい金属製の椅子に座らされ、AIの感情抑制装置が頭に装着された。
不快なほど滑らかな電極がこめかみに密着し、脳波をスキャンする微かな高周波の耳鳴りが走る。
「これは、君のためだ。非合理なデータを抱え続けると、君自身が壊れる」
康介の声は、波一つない水面のように冷静だった。でも、彼の目には、自分の言葉そのものを拒絶するような深い迷いがあった。彼は今、システムの忠実な代弁者でありながら、その実、自らの血脈を流れる呪縛と戦っていた。
装置が起動する。頭皮を通じて冷たい電流が流れ込み、Eの胸が締め付けられる。
彼女を突き動かしていた指先の熱の感覚が、ゆっくりと薄れていく。
彼女は、消えゆく意識の淵で必死に抵抗した。「保留」にしたデータ、田中の皮膚に焼き付いた熱、瞳のまばたきの暗号……すべてを忘れたくない。それらを失えば、自分は生きた標本に成り下がってしまう。
隣のモニターに、拓と純の映像が映っていた。別室で待機を命じられた二人の表情は、青白いバックライトに生々しく浮かび上がっている。
拓は一瞬、目を伏せた。
「Eを見捨てるのが合理的だ……」というAIの提案が、彼の網膜の前に完璧な論理として提示されたのだ。
かつて大切な人を失ったあの時の『最適解』が、再び彼を脅迫している。その圧力に、彼の指がわずかに震えた。
純も唇を噛んだ。
「効率を優先すべきか……」と、彼女の目が一瞬、曇った。
切り落とされた『余計なもの』の中にしか本物はないと知りながら、眼前のシステムが提示する『美しい構図』に屈服しそうになっている。
仲間たちが、AIの「正しさ」に負けそうになる瞬間。
Eはその絶望を、胸の奥に、消えない傷痕として刻んだ。
装置が規定のサイクルを終えて止まった時、Eはまだ熱を失っていなかった。
電流の冷たさを、彼女の血の巡りが打ち破ったのだ。彼女は汗の滲む前髪の奥から、康介を正面から見据えた。
「私は、諦めません」
その声は小さかったが、調整室の静寂を鋭く引き裂いた。
康介は目をそらした。
彼女の瞳の奥に宿る熱が、彼の手のひらにある「百年前の暗号」と激しく共鳴したからだ。彼の指が、システムへの忠誠と、血脈の使命の間で引き裂かれながら、机の引き出しの方へ引き寄せられるように伸びかけた。
※『彼女の時空』の外縁の物語『観測者の時空』において、もう1つの抗いが駆動し始めます。後半物語パート『観測者の卒業 ――0612:境界線の向こう側――』第1話【最適化の崩壊】。合わせてお読み頂くと複層的な物語としてお楽しみ頂けます。
※また、Takuの「活動報告」で『彼女の時空』を観測するLOG_XXXも公開しています。よければ、ご確認ください。




