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新作SF長編【彼女の時空】「ずれ」は、人類最後の武器である。「静かなる最適化への、人類最後の反逆。カフェ「あおい」から連なる一本の伝線から始まった」  作者: Taku
『彼女の時空「1巻」:卒業』

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第17話 無価値なものたち【過去】第6話「出会い、そして約束」

光莉は旅先の東北で一人の女性に出会った。

その女性は、震災後の最適に復旧された図書館の片隅で、人工的な静寂に満ちた空間の底で、古い資料を読み込んでいた。


光莉が近づくと、彼女は顔を上げた。その目は、光莉と同じ「何か」——均一化された世界への違和感と、燃えるような飢餓感——を宿していた。

彼女の手には、古びたノートがある。表紙は擦り切れ、ページの端は黄ばんでいる。光莉はそのノートを見て、自分のノートを思い浮かべた。同じように擦り切れ、同じように黄ばんでいる。


「あなたも——探しているの?」


女性の声は、静かだった。でも、その奥に強い意志を感じた。彼女の指先は、ノートの端を愛おしそうに撫でている。その仕草は、光莉が自分の伝線をなぞる時と同じだった。


「何を?」


「AIが管理できない『隙間』を。このままでは、人間は最適化という名のもとに、『正しいだけの置物』になってしまう」


光莉の胸が、大きく跳ねた。この女性は、自分と同じものを見ている。同じ恐怖を感じている。同じ目に見えない使命に駆られている。


彼女は村で出会った少年のことを思い出した。彼の冷たい手。彼の消えた伝線。彼の理由のない、空虚な笑顔。それらが、彼女の中の「伝線」をさらに深く激しく震わせた。


二人は、その日の夜遅くまで話し込んだ。女性は、光莉と同じように「無価値なもの」を蒐集していた。


使いきってインクの出ないボールペン。古本に挟まっていた誰かの個人的なメモ。引き出しに閉まったまま忘れられた、宛先を失った手紙。


それらには、AIが決して理解できない「人間の手触り」——摩擦と、迷いと、熱量——が残っている。


彼女はそれらを、未来の誰かに届けたいと言った。彼女のノートには、光莉のノートと同じように、拙い絵と、取るに足らない言葉が、びっしりと詰まっていた。それは世界からエラーとして間引かれたものたちの、ささやかな抵抗の記録だった。


光莉は自分のノートを開き、あるページを女性に見せた。


「これを、未来に託したい」


そこには、こう書かれていた。


「stocking_night_0612」


女性はその文字をじっと見つめ、静かにうなずいた。その指先が文字列に触れた瞬間、二人の間に目に見えない熱線が走った。


「これは『種』よね。——守る。たとえ、百年かかっても」


その言葉は、静まり返った夜の図書館で、小さな、しかし消えることのない誓言となって響いた。


後に康介の血脈へと受け継がれる、暗い信仰の産声だった。


光莉はもう一枚のメモを取り出した。自分の手書きで書き写した、伝線の絵と言葉。


「これも——私の『伝線』です」


女性は何も言わなかった。ただ——うなずいた。その目には、光莉と同じ、百年の夜を焼き尽くすほどの熱が宿っていた。


光莉は彼女の手を握った。温かい。同じ「体温」が、そこにある。


彼女は思う——私の旅は、無駄じゃなかった。この出会いが、その証だ。


彼女の指先に、女性の『温もり』が残る。それが、彼女の新しい「伝線」になる。彼女はその温もりを、手のひらに閉じ込めた。

夜が更けていく。二人は、まだ話し続けていた。


窓の外の星が、一つ、また一つと瞬いている。まるで完璧に管理された都市の灯りに対抗するように。光莉はその星を見つめながら、自分の旅のことを話した。


父の「わからない」という言葉。母の「特別じゃなくていい」という言葉。村で出会った少年の冷たい手。古本屋で見つけた日記の温かさ。自分のストッキングの伝線。


それらはすべて、彼女の中の「伝線」だった。彼女の指先に残る、誰かの「温もり」。彼女の手のひらに残る、誰かの「冷たさ」。それらが、彼女を彼女にしていた。不完全で、割り切れなくて、だからこそ愛おしい一人の人間に。


女性は静かに聞いていた。彼女もまた、自分の旅のことを話した。彼女が出会った人々。彼女が見た風景。彼女が蒐集した「無価値なもの」。


二人の「伝線」が、夜の中で静かに絡み合っていく。それは一本の、しかし決してちぎれることのない強固な縄ばしごとなって未来へ伸びていく。


光莉は自分のノートを開き、女性の言葉を書き留めた。女性も、自分のノートを開き、光莉の言葉を書き留めた。二人のペン先が、同じリズムで紙を撫でる。カリカリという硬質な音が、闇を静かに削っていく。


「これから、どうするの?」


女性が尋ねた。


光莉は窓の外を見た。星が一つ、また一つと瞬いている。その光のどこかに、彼女が探している「隙間」がある。

まだ見つけていない。位置情報も、数値データもそこにはない。


でも、いつか見つける。彼女は自分の指先を見つめた。まだ熱い。その熱が、彼女に何かを伝えようとしている。


「私は、消えるかもしれない」


光莉は静かに言った。女性は驚いた顔をしたが、何も言わなかった。彼女の目には、理解と、少しの悲しみが浮かんでいた。この正しすぎる世界で、歪みを抱えたまま生きることの限界を、彼女もまた知っていたからだ。


「定めた軌道から外れて、ただ消えるのではない。システムに消去されるのではなく、『残すもの』を自分の意志で選んで消える。それが、私の——」


言葉が途切れた。光莉はノートを開き、最後のページに書き込んだ。万年筆の先が紙を引き裂くような強い筆圧で。


「私は、消えない。私は、ただ、見えなくなるだけだ。これが、人類の卒業の形だ。あなたたちも、いつか、ここに来る」


彼女はそのページを切り取り、女性に手渡した。カサリ、という紙の擦れる音が、妙に厳かに響いた。紙の端が、ライトに照らされて、かすかに光る。その光は、星の瞬きのように、確かにそこにあった。


「これを、未来の継承者に届けてほしい。私の『伝線』を——」


女性はそれを受け取り、胸にしまった。まるで自分の心臓の鼓動を補強するかのように、しっかりと。彼女の手が、少し震えている。光莉はその震えを見て、自分が村で出会った少年のことを思い出した。彼の震えは、最適化によってもう消えた。でも、この女性の震えは、消えない。これこそが、世界に抗う人間、彼女の「伝線」だった。


「必ず、届ける」


光莉はうなずいた。彼女の指先には、女性の「温もり」が残っていた。それが、彼女の新しい「伝線」になる。


彼女はその温もりを、手のひらに閉じ込めた。彼女は自分のストッキングの伝線をなぞった。ほつれは、もう少し大きくなっている。

それが、彼女の「人間」の証だった。彼女はその伝線を、もう直すことはない。そのままにしておく。それが、彼女の「美学」だった。世界の網目がどれほど緻密になろうとも、私は私のほつれから、人間を始めてみせる。


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