26.黒い鬣の獅子
カシャン、と、金属音がしてリゼは朧げに覚醒した。
こんな最中に、リゼは良く寝ていた。一日色々あって疲れていたし、少し自棄になっていたのもある。すぐ殺されるわけでもないしセドリックが見張りで側にいるので、いざとなればなんとでもなるだろう。
と言う事で、拉致監禁されたとは思えないほど堂々と眠っていた。
カシャン、とまた音がした。
「リゼ、おい」
呼ぶ声がする。今日は聞きたくなかった声だ。夢の中まで苦しめるのか。
「おい、大丈夫か!?」
カシャン、とまた音がする。渋々起き上がって見ると、鉄格子の向こうにダリウスがいた。
なぜか泣きそうな顔をしている。
「リゼ、ああ無事で良かった」
「あら、ダリウス様。どうなさったのです?」
仕方なく寝台から降りて、鉄格子越しに向き合う。一人でのんびり寝てたのに、起こされて不満だった。
「エレナに振られましたか?」
「なっ」
「下にセドリックもいるようですし、私はしばらくこちらにいても大丈夫ですよ」
ダリウスは驚いたように目を開いてリゼを見る。リゼはつまらない気持ちでその目を見返した。ダリウスの視線がおろおろと泳ぎ、シュンとした顔で俯く。
そして、次の瞬間、ダリウスは膝をついた。
「すまなかった! つい、はしゃぎすぎてしまった。後でちゃんと話せばいいと思って、リゼを疎かにしてしまった。傷つけるようなことをしてしまった。許してくれ」
「……俺のところに来いとおっしゃっていたので、そういう事かと」
「違う、お前の侍女として雇う、と、そういう意味だった」
「あなたが、どれだけ彼女が好きだったかは私も知っています。私は義務と責任のための妃ですから、あなたの気持ちに不満を述べる権利はありません。エレナが嫌がるなら親友としてエレナの味方をしますけれど」
「……以前にエレナが好きだった事は確かだ、幼い頃からの憧れで拠り所だったから、それは否定しない。でも今は違うんだ。周りは色々言っているが、あれは友人の妻だぞ。今更、俺がなんとか思うわけがないだろう」
「……」
ダリウスは片膝をついてこちらを見上げている。群青色の目がろうそくの明かりに照らされているからか、必死で、不安げに揺れているように見える。
「俺は、リゼがいいんだ。リゼを愛しているんだ」
忠誠を誓う騎士のように、ダリウスはリゼに言った。愛している、という言葉にどきりとする。
……それならば、いいのだろうか。私も、……好きだと思っても?
そう思っても、やっぱり、胸につかえたあの一言がある。
「……愛などわからないと、期待するなとおっしゃいました」
「あの時は、俺の都合で妃に来てもらったのだから、出来るだけ縛らずにと……いや、それは言い訳だな。確かにあの時はとんとん拍子で決まってしまって、俺も気持ちが追い付いていなかったのだ」
またしょぼしょぼと俯くダリウスがだんだん可愛く見えてきた。
ダリウスはのろのろとポケットを探り、緑の宝石のブローチを取り出した。消え入りそうな声で続ける。
「離宮にこれを置いて行っただろう。最近はいつもつけてくれてて嬉しかった。これは、俺が初めて、俺が良いと思った物ではなくて、相手が喜ぶものは何かで選んだ」
恭しく、片手に収まるほどの小さなブローチを差し出した。
「……もう一度、受け取ってくれないか」
「……」
見つめあう事しばし、ダリウスは全く引く気配がない。リゼは真摯な視線に耐えられずにおずおずと手をのばす。
鉄格子の隙間から手を出してブローチを取った。
その瞬間、手を取られて引っ張られる。
「きゃ」
鉄格子のおかげで転びはしなかったが、その場にリゼも膝をついた。ブローチを掴んだ手は離してもらえず、その手に何度も口づけられる。
「ああ、やっと触れられた」
「ダリウス様?」
「もう我慢するのはやめだ。ここまでみっともない姿を見せればもう吹っ切れた」
ちゅ、ちゅっと音を立てて口づけして、リゼの手を両手で包んで頬に当てる。
強くて熱い視線が真正面からリゼに突き刺さった。愛おしそうな、満足そうな、獣のような視線だった。
我慢できないというように口の端が上がる。ぺろりと唇を舐める。ちらと尖った犬歯が見えた。
リゼはつい唾を飲み込んだ。ダリウスのこんな笑顔は見たことがなかった。
「お前が俺を愛しているかは聞かない。それはどうでもいい。俺がお前を愛しているんだから」
黒い鬣の獅子。
そういわれているのは、王族で、髪が黒くて、怖そうだからだと思っていた。実際には真面目で優しい人だと思っていたのだが。
「これからは覚悟しろよ」
唸るような声で囁かれて、なるほどこういう事か、と、妙に納得してしまった。
何がきかっけなのかよくわからないが、どうやらリゼは、獅子を起こしてしまったらしい。
「なんだ君たち、本当に夫婦だったのか」
鉄格子を挟んで手を握り合っているという、何とも恥ずかしいタイミングで、あきれた声がかけられた。
階段から上がってきたヴァリオンがつまらなさそうに背を壁に預けてこちらを見ている。
いつからいたのかしら……? リゼは顔が熱くなる。
ダリウスは平然と立ち上がり剣を抜く。リゼを守るようにヴァリオンに向き合った。
「ならばもう、確認するまでもないか……」
ヴァリオンがぱちりと指を鳴らすと、階下からガン、ガン、とけたたましい足音がいくつも聞こえてくる。
「少々狭いのでね、ひとりずつしか上がってこられない。ダリウスは私よりは強いだろうが、公爵家の騎士は何人倒せるかな」
狭い階段から鎧を身にまとった騎士が上がってくる。まずは一人。もう一人の頭が階段に見えた。ヴァリオンは壁際に引き、騎士がダリウスの前に立ちふさがる。




