23.初恋の相手
「おい、聞いたぞ、あいつは無事なのか!?」
ダリウスが離宮に飛び込んできたのは、まだ日が明るい時間だった。
リゼはダリウスを迎えて応接間に通す。珍しくセドリックを伴わずに一人だった。
「おひとりですか?」
「ああ、セドリックは王宮にいる。事情はセドリックから聞いた。まだ隠していることはありそうだが……あいつは俺に平気で噓をつくから。一週間前からヴァリオンと内通していたそうだ」
「一週間前から!?」
全くそんな気配は無かった。いつも通りダリウスとリゼを補佐し、周囲にさわやかな笑顔を振りまいていたのに。
ダリウスはそわそわしている。いつも落ち着いているのに、どこか浮かれているようにも見える。
「まったく、あいつなら上手くやるだろうと思って任せたのに」
「何がどうなっているんですか? エレナに少し聞きましたけれど」
「エレナは隠れていた先からヴァリオンに攫われたらしい。セドリックが寝返るふりをして、エレナをリゼに助けさせたんだと」
「エレナは自分もスパイで、ダリウス様と私を引き離す役割なんだと言っていましたけど」
「ははは! 面白い。セドリックはそれは言ってなかったな」
笑った!?
ダリウスが声を上げて笑うなど初めて見た。
事態が動いて気分が高揚しているのか、いつもより明るい気がする。
「エレナはここにいるんだろう? 昨日リゼが助け出してくれたと聞いた」
「ええ……」
「俺からも礼を言う。おかげでうまく行ったようだ」
「ただ、ヴィスコー公爵から条件は出されました。神の子が生まれたら乳母の候補にと」
「それだけで済んだなら上出来だ」
楽しそうなダリウスの声を聞きながら、リゼはなんとなく面白くない気持ちになってきた。
「エレナの無事を確認したい。呼んでくれないか」
そう言われて少しだけ躊躇した。
しかし、何を嫌がる事があるのだろうかと、リゼは思い直す。
そもそも、私は愛など期待せず、子を産むという約束だ。……夜にダリウスが優しいのも、それは役割であって愛ではないわけで。
俯いたら、胸につけたブローチが目に入った。
……そうだ、私は私なのだから、何を嫌だと思う必要があるだろうか。
エレナは扉の外に控えていた。ダリウスに近づくなと言われた事を守っていたようだ。
「メアリー、王太子殿下にご紹介します。中へ」
「はい」
侍女として呼び込んだエレナを見て、ダリウスはほっとした顔をした。
「お久しぶりです、ダリウス殿下」
「ああ。変わりないか、無事で良かった」
エレナは少し気まずそうな顔でぺこりと頭を下げた。
王太子に対してそれはどうなのかという態度だったが、ダリウスは気にした様子はない。それどころか微笑んだ。目の端が優しい。
「なぜこんな事になったんだ? セドリックに守られていたのではないのか?」
「私が、言いつけを守らず村の外に出たのです……」
「どうして。セドリックの事だから不自由無いようにしていただろう」
「そうなのですが……す、すこし、嫌な事がありまして……」
エレナはしどろもどろになって目を逸らす。
「すぐ戻るつもりだったのです。村から屋敷まで行くだけのつもりで」
「嫌なこと?」
ダリウスが眉間の皺を深くする。
「あ、いや、違うのです。多分、わ、私が、ものを知らなすぎで」
「セドリックが何かしたのか?」
「あ、いや、ええと」
エレナは真っ赤になって首を横に振る。オロオロして答えないエレナに、ダリウスは呆れたように言った。
「……もし、嫌になったのならいつでも俺の所に来い。リゼもいるし、何とかしてやる」
え? と、リゼは耳を疑った。
俺の所に来い? それは、どう言う意味?
リゼが戸惑っていると、エレナがふふふと笑った。
「そうですね、リゼと一緒にいられるならそれもいいかもしれません」
「だろう? このままここにいるといい」
ーー妻と愛人よ? 嫌でしょう?
ーー真実の愛には、苦しめられるわよ
コルネリアとセレネの言葉が胸に浮かぶ。
もしやダリウスは本当に、今でもエレナが好きなのだろうか。エレナのためにリゼを選んだのだろうか。エレナを側に置くために……
でも、だったらどうだと言うのだろう。
私だって、エレナの動向が知りたくて話を受けた。最初から、義務と責任の話だったのも分かっていた。不満も文句も言えた立場ではない。
自分に言い聞かせながら、知らずに、胸につけていた緑のブローチを触っていた。
そういえば、ダリウスがエレナに贈っていた宝石は濃い青の物が多かった。……ダリウスの瞳のような。
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夜にまた来る、と言ってダリウスは慌ただしく王宮へ戻っていった。
「はあ、やっぱり少し緊張するわね。ダリウス殿下は、何というか、圧が」
エレナはほっと息をついた。リゼは不安を悟られないように努めながら問いかける。
「ダリウス様とは、会っていたの?」
「いいえ、モンフォールの領地でお会いしたけど、それきり。その時、二人で話をすることがあって、それからあまり怖くはなくなったの。ダリウス殿下も、笑えば親しみやすいというか」
えへへと笑うエレナは、小動物が少し慣れてきたようなかわいらしさがある。
「そういえば、嫌な事って何かあったの?」
「あああ……」
エレナはまた赤くなって顔を手で覆った。
「あのね、ああ、さすがにリゼにも言えない……と、とにかく、セドリックが、酷くて」
「セドリックが?」
「この間、セドリックが半日帰ってきたとき、結婚したのよ。私たち」
「え!? まって、セドリックのお相手って、男爵家の御令嬢だって聞いたけど」
「それ私のことね。聖女のエレナが死んだことになっちゃったから、今はエレノア・アッシュフォードっていう名前で生きてます」
「そ、そうなの……早く、伯爵夫人に挨拶したほうがいいわよ」
リゼは人間関係に疎くてぼんやりしている親友の嫁姑問題が心配になってきた。
モンフォール夫人はセレネと同様、上下関係礼儀作法に結構厳しい。
「私もしたいし、王都にも来たいんだけど、セドリックが自由に行動するのを許してくれないの。それで、この間もゆっくり話もできず帰っちゃったから、私頭にきて」
エレナはセドリックに閉じ込められているのだろうか? そういえばモンフォール夫人が、別荘から出さないと言っていた。それは、エレナにはつらいだろう。
「そうだったの……」
「それで抜け出したらこのようなことになってしまい……」
エレナはあはは……と力なく笑う。「正直、すべてが終わった後が怖い」と目をそらしてつぶやいた。
リゼは頭の中で整理する。エレナとセドリックは結婚したという。セドリックは妻を溺愛して閉じ込めていると聞いた。ダリウスはエレナのことを愛している。
セドリックからエレナを奪い返したいのか、それとも落ち着いたらセドリックの妻を愛妾にでもするつもりなのだろうか。
……そう考えていたら、気分が悪くなってきた。正妻以外に愛人を囲ったり、立場が下の人間の妻を召し上げたりする貴族がいることは知っている。しかし真面目なダリウスがそんなことをするとは今まで思えなかった。
今夜はダリウスと一緒に寝たくない。夜に来ても、エレナと一緒に寝ることにして帰ってもらおう……




