8.教会からベッドの距離
ベッドの上で、エレナはまだこの状況に思考が追いつかない。
「ま、まって」
「もう待てない」
「いや、おかしいわよね?」
「おかしくない、ちゃんと君が望む通りの手順は踏んだ」
セドリックが急遽帰って来る事になったからとヴァル・フルールへ迎えが来たのが今日の早朝。
あれよあれよと花嫁衣装を着せられて、唖然としたまま本邸に連れてこられたら、庭に教会が建っていた。
ひと月前にはなかった小さい可愛らしい教会は、小ぶりの白い薔薇が咲き乱れる庭園に花に埋もれるように建っていた。
それはそれは御伽話に出て来るような清楚な愛らしさで、エレナは思わず目を丸くした。
そんなエレナを見てセドリックは「エレナをイメージしたんだ。気に入ってくれたかな」と、照れ臭そうに鼻を掻いた。
が、私のためにそこまでと喜んだのは一瞬だった。ここに教会があるのは、結婚式の時短の為だったのだ。
「教会って、勝手に建てちゃいけないのよ!?」
「許可は取ったから大丈夫」
「き、教会で式したからって、結婚した事には」
「届出は王都でしてきた。戸籍はちゃんとした。君には話のわかる叔父がいるんだね。快く、会った事のない姪っ子の後見人になってくれたよ」
「親戚なんていないわ!?」
「そうそう、空席になってたアッシュフォード男爵、僕が貰ったから。君はしばらくアッシュフォード男爵夫人。ふふ、嬉しいな。君の家に婿入りしたみたい。モンフォールだと父と混同されて嫌だったんだよね」
エレナはじたばたと暴れるが、セドリックはそれを押さえるのすら楽しそうだ。
「式! あれで挙げたっていえる!? 神官、マーサのお兄さんだったわよね!? 棒読みだったわよ!?」
「神官の免状は買っ……持ってるよ。それに、大聖女エレナがいるんだから大丈夫だって」
「だ、大聖女エレナは死んだんでしょ!?」
参列者もなく、明らかに慣れていない神官。
それでもベールをあげてうっとりと「綺麗だ」と呟いたセドリックはとても幸せそうで、エレナも確かに幸せを感じた。
そこまでだった。
「これでいいよね?」と、笑顔のセドリックにそのまま抱き上げられて部屋に連れ込まれベッドの上に降ろされた。
エレナは教会からベッドまで一歩も歩いていない。これは神への冒涜ではなかろうか。
シーツに縫い止める様に両手を押さえられている。逃がすものかと強い意志を感じる。
ちなみに、まだ、昼前である。
「こ、こんな、あ、明るいのに」
「届出もしたし、式もしたろ? これ以上どう結婚すればいいんだ。僕は明日夜までに戻らなきゃいけないんだよ。今日の夜には立つ」
「そんな、だったらもっと落ち着いてからにしましょうよ」
「今日を逃したら半年は無理だ」
「それなら、半年後に」
「エレナは半年待てるの!? 僕はもう無理、絶対今日君を抱く」
「だ、だ!?」
「心配なんだよ! こんなに可愛いエレナを残していくのは!」
セドリックは珍しく声を荒げる。
「そ、それなら私も王都に連れて行けばいいじゃない」
「できない、まだ君は殿下のウィークポイントとして有効だ。人質にするもよし、貢物にするもよし、使い道は様々だ。まずは子持ちの主婦にでもなってもらわないと人前には出せない!」
「ひ、人妻っていうのもよいと、お義父様がおっしゃってたけど」
「あいつは息子の嫁に、何を言っているんだ!?」
「こ、子供だって、そのうち欲しいとは思うけど、もう少し、落ち着いて」
「落ち着いてるよ!」
痺れを切らしたのか、セドリックはいつもの優しげな目元をキッと吊り上げて、じたばたとするエレナに高圧的に言い放った。
「おとなしくして。無理にはしたくないよ。僕の事好きだって言ってくれたじゃないか」
これは、暴れたらそのまま無理やりやると、そう言う事なのか……?
エレナは息を飲んで、恐る恐るセドリックの目を伺う。そして悟った。
本気だ、この人。
呆然として抵抗をやめたエレナに、セドリックは天使のような微笑みを投げかける。
「わかった? ……いい子だね」
頬を撫でて抵抗がないのを確認して、セドリックはエレナから身体を離してベッドに座った。
「お願いがあるんだけど。こちらに来て、君からキスして」
長い手をふわりと広げてエレナを誘う。
白いタキシードのまま、幸せそうな華やかな笑顔。優雅な仕草はダンスに誘っているかのようで、エレナはつい、どきっとする。
セドリックの顔が、エレナは好きだ。つられてふらりとそばに行ってしまいそうだ。
でも、自分から抱きついてキスしたら、自分から身を任せるような、そんな意味になるのでは。
それも、さっき、無理にでもやる宣言をした男の腕の中に身を投じるのは……
いや、でも、結婚はしてしまったのよね……
断る理由が思い浮かばなくなって来る。
「ね、僕を世界一幸せにできるのは君だけだよ」
キラキラした笑顔を向けて、さあさあ、と、ねだるセドリックの、圧が凄い。美しい顔面を容赦なく武器にしている。
結婚してから、と言い張るエレナを尊重してくれたことは確かだ。忙しい中、手続きに教会の手配、やらずに無理矢理進めてしまうことも出来たはずだ。エレナのために、やってくれた事は確かだ。
柔らかな日差しの中爽やかな笑顔を見せるセドリックに、先ほどまでの情欲は感じられない。
さっきの無理矢理でもやる宣言は間違いで、ただエレナを抱きしめたいだけなのではないだろうか? と、ふと思ったが、慌ててその考えを打ち消す。
この人は嘘つきなのだ。わかっている。この人は平気で嘘をつくのだ。
……でも、意外としっかりした胸に抱き締められるのは好きだ。優しいキスは、好きだ。セドリックは好きなのだ。
エレナは我慢できなくなったのが半分、断れなくなったのが半分の気持ちで身を起こし、セドリックの腕の中に入る。セドリックは腕を広げたまま、期待に満ちた目でこちらを見ている。
恐る恐る唇を重ねた。
一瞬くっついて逃げようとしたが、そんな事できるはずもなく、すぐに抱きすくめられて動けなくなった。
少し硬い、冷たい舌が口の中に入って来きて、エレナを溶かそうとする。
「んん……」
何だか、ビーナスフライトリップみたいだな……と、頭の隅で色気のない植物を思った。




