プロローグ
「こ、こういうのは! 結婚してからでしょう!!」
「まって、エレナはどこまでならいいの!?」
「ど!? も、もう! キスから全部です!!」
ばたんと扉が締められ、中からがちゃりと鍵をかけられた。
失敗した……!!
久々のヴァル・フルール、昼間は久しぶりに湖まで行った。暑い季節、キラキラひかる湖面、裸足になってスカートを捲り、足を水につけてはしゃぐエレナが可愛すぎた。
足を滑らせて転びそうなエレナを支えて、そのまま抱き上げてキスをしたりした。
エレナは軽いキスなら、少し恥ずかしそうにしながらも自分からもしてくれる。
たっぷり遊んで夜、またもやニヤニヤしながら「2階には、行きませんよお〜」と言うメアリーに少し感謝しながら、エレナの部屋に侵入した。
寝静まった村、夏の虫の声の中。廊下の窓から月あかりが入って明るい。そっとエレナの部屋のドアを開けた。
鍵が開いていたから、待っててくれたのかと思い、心が躍った。
「セドリック?」
エレナは起きていた。手元にランプを置いて、何かやっているようだった。
以前プレゼントしたネグリジェを着ていた。
それを見て、これはもう、エレナも待っていてくれたのだろう、と、確信した。
「眠れない? どうしたの?」
エレナは立ち上がってセドリックの方へやって来た。
無垢な笑顔に、慌てる事はないと自分を落ち着ける。
「おやすみの……キスをしようと思って」
そう囁くとエレナは少し恥ずかしそうに、上目遣いでセドリックを見る。
セドリックはエレナの顔に手を添えて、まず頬に口付けした。
「おやすみなさい」
エレナはくすぐったそうに言って、背伸びしてセドリックの頬にキスを返す。
離れようとするエレナを抱き寄せて、唇を奪った。
「あぅ、」
昨日から二人になるたびに深いキスをしていた。やっと少し慣れたのかおとなしくなり、自分から口を開ける。それが嬉しくて夢中で貪る。
「?」
途中から、やたらと腰を引こうとするので何かと思い一度離すと、エレナの目が下の方を向いている。
「なんか、……ポケットに入ってる?」
「……ああ、」
セドリックも男である。
想いの通じ合った彼女が、自分が用意した部屋で用意した服で顔を赤らめてキスに応じてくれているのだ。
だから、エレナの腰を抱き寄せて、
「ベッドに行こう」
と、囁いた事は当然の流れだったし、ムードも満点だったと本人は思っていた。
しかし残念ながら、それでやっと訪問の意味に気がついた元聖女に、結婚もしてないのに何事か!?と、部屋から叩き出されたのである。
「エレナ〜」
扉の前で情けない声を出していると、ふと視界の隅にランプが見えた。メアリーが階段の下で生暖かい表情で見上げていた。
そうしてセドリックは翌日帰るまでエレナに警戒され、キスはもちろん抱き締めることもかなわなかった。
++
「お前は本当に軽々しく頭を下げるな」
「頭を下げるだけで済むならいくらでも下げます」
ダリウスの目の前には頭を下げたセドリックがいる。
「別に頭を下げる事でもない。届出だけなら一週間で良いだろ?」
「……あと、口が堅い神官の紹介と話の分かるアッシュフォード家の当主の兄弟がどこからか出てくると助かります」
「増えたな……それは貸しだぞ」
「お代というのもなんですが、ここに」
セドリックは鞄から数枚の書付を取り出す。
「現在婚礼可能な聖女の、名前と性格と背後のつながりの一覧が」
「なんだ?」
「最初は殿下の新しい出会いのためにと思って作成していたんですが。作ってみたら僕も知らない事がありましてね。見てください」
示したところには「sister」の欄。そこにはそれぞれ他の聖女の名前が書かれている。
「ヴィスコー公爵家とつながりのある聖女は最初から当然除外されているかと思いますが。それ以外の聖女も気を付けないといけない」
ダリウスは渡された書面を見る。よく見る名前の名簿だ。ここから妃を選べと迫られている。
三年前に選んだ名前は、すでにない。
あれでなければ、別に誰でもいい。
しかし、政局を左右するような人物は避けなければならない。ヴィスコー公爵家は兄の母の家だ。
8年前、病床にあったダリウスの影武者が死んだ。死んだ情報は外には出ていないはずだが、そのタイミングで兄が聖女を娶った。
だからダリウスは急いで影武者と入れ替わり、表舞台に戻ってきた。
当時ダリウスは15、兄は20だった。
兄の妻となった聖女の生家はヴィスコー公爵家から多額の援助を受けている商家だ。ダリウスが死ぬのを待っていたのだろう。
そういう事もあり、生家や問題が無さそうか、という事から消去法で選ぶしかないが、とてもやる気にならない。
「殿下のために、内部の情報を教えてもらおうと思いまして。僕が作った問題なさそうな聖女一覧を見せて、いい子がいるか聞いたら、こう言ったんですよ……」
++
部屋から叩き出された日の午前中の話だ。
……なのでまだ距離は取られておらず、ベッタリとくっつきながらエレナに聖女の話を聞こうと書類を見せた。
「これなあに? ”妹”一覧?」
「妹?」
「聖女になると、もう普通に恋愛も結婚もないでしょう? だから聖女同士でパートナーを作るのよね。それが姉妹で、基本的には年上の子が姉になるかな。いろいろ教えてもらうの」
「へえ、……エレナにもいたの?」
聞き捨てならない情報である。いろいろとはなんだ、いろいろとは。
初心な反応からして、そういう関係の相手は同性を含め無かったと思うのだが、自分の前に「パートナー」がいたというのは面白くない。
「聖女になったら結構声かけられて面倒だったから、仲良しの子と姉妹だってことにしたの。婚約の儀の前の日に泣く泣くお別れしたけど。あの後誰かと姉妹になったのかしら」
いたのか。熱い関係ではなかったようだが、少しショックを受けた。
「この一覧、みんな”妹”だわ。でも全員じゃないわね。……あ、私の妹もいる」
「え、どの子!?」
「この、リゼって子。巡礼の時に仲良くなったから、モンフォール家にも一緒に来たはずだわ」
懐かしい、と目を細めるエレナのパートナーであったというリゼという娘が気になるが、必要なのはそれではない。
「この子たちの、”姉”って、わかる?」
「わかるわよ。姉妹関係把握してないと、面倒だから」
リゼはわからないけど……と言いながら、エレナはそれぞれの姉の名前を教えてくれた。
一覧にして、はっきりした。
なるほど、”姉”にも気を付けなければいけないのか。
++
「これで、神官紹介分くらいにはなりませんか? 極秘の内部情報ですよ」
「……いいだろう」
「一時一秒一瞬でも早くお願いしたいのです」
「それを俺に言うか?」
「殿下も早く次を見つけてください。もう気を遣うのも疲れました」
いけしゃあしゃあと言うセドリックの顔を見て、ダリウスはなぜ俺にはこんなのしかいないのかと情けない気持ちになる。
セドリックを恨む気持ちは驚くほど無い。きっとセドリックはそれをわかっていて、平気で傷をえぐるような軽口をたたく。
「姉妹関係か……」
「外部と交流はありませんからね。かなり強い絆になるようです」
「とりあえず、それを考えて消去法でいくと、数人しか残らないな」
「その中に、……入ってますか?」
「お前の興味の為に動くみたいで癪だが」
「気になるくせに」
「……誰でもいいなら、こういうのも縁だろ」
++
親友のエレナが神に召されて一年。リゼに王太子が尋ねてくると言うことになった。
リゼは密かに心に誓う。
妃になれば、二人きりになれるだろう。寝所では隙も見せるだろう。
エレナの仇を討つのだ。