50.居心地の良い場所
エレナはそのネグリジェを着て眠れない夜を過ごした。
結局、セドリックは来なかった。
考え過ぎだったと申し訳ない気持ちになりながらも、ほっとした。
ただ、ほんの少しだけ、心の片隅で残念に感じていたのは気づかないように努めた。
「眠れなかった? 少し疲れた顔してる」
朝食に降りていくと、セドリックが気遣ってくれた。
メアリーがにこにこしている。心なしか朝食が豪華だ。
「坊ちゃん、あまり無理させてはいけませんよ」
「させてないよ…… そうだ、また王都に行かないといけないから、また暫く来られない」
「あら、そうなんですか? 残念ですねぇ、せっかく……」
「いろいろ後始末もあるし。王宮は出禁になるかもしれないから、そうしたらもうここに住むよ」
「それは楽しみですねえ」
セドリックはいつもと変わらない様子だ。
「では、名残惜しいけれどそろそろ行く」
準備を終えたセドリックは一人馬車に乗り込もうとする。
そう言えば、馬車で来るときいつも御者は同じ男だ。この御者の男は村に泊まるときはマーサの家に泊まっているようだ。外からヴァル・フルールに来るのは、この御者と小間物屋だけだ。
この集落の事を知っている人も、本当に限られている。
徹底的に出入りを制限していることに改めて気が付いた。
「まって」
エレナはセドリックの袖を掴んだ。
「私も行く」
「……王宮に行くんだ。連れて行けないよ」
「でも、何かお家のお手伝いとか、できるんじゃないかと思って」
「ありがとう。でも駄目だ。ここで待ってて」
セドリックの笑顔が、有無を言わせない迫力を帯びる。
「わ、私、外に出ても逃げないわよ」
エレナは咄嗟に言った。ここから出さないようにしているように思えたのだ。
でも逃げたくて言ったわけではない。もう少し、セドリックと一緒に居て確かめたかった。
セドリックは少し目を丸くしてから穏やかに微笑んだ。
「……エレナはここにいて。王都はエレナを知っている人が多い」
セドリックは袖からエレナの手を外して、馬車に乗り込んだ。
◆◆◆
「すぐに帰ってきますよ。坊ちゃんはエレノア様が大好きですからね」
その後、皆が消沈しているエレナを慰めてくれた。
セドリックと離れ離れになったのが悲しくて落ち込んでいるように思われた。
そうではない。少し違う。誰かに話を聞いてもらいたくて、エレナはギースの研究室に逃げ込んだ。
勝手にハーブティーを入れて、ギースと自分の前に置く。
「……自白の効果など入っておらんじゃろうな」
「失礼ですね」
「何が聞きたい」
「漠然と、怖いんです。気がついたら後戻りできなくなっていて。でも後戻りしたいわけでもなくて」
「ただのマリッジブルーと言うやつじゃ」
「そう、ですか? ギースはここから出られないって言ってましたけど、嫌じゃないんですか?」
エレナは色々考えて、行動をあからさまに制限されているのが嫌なのかな、と思った。
でも今までだってできない事ばかりだった。教会の暮らしより、今の方がずっと自由だ。
「嫌とは思わん。本気で出ようと思えば出られないこともない。言い方が悪かったな、ぬしもやろうと思えばいつでも逃げられる」
「どういうことですか?」
「柵も檻もない。道は街道につながっている。森は危険ではあるが、数時間歩けば村に出られる。外から来るときは迷路のようになっているから知っている者しか来られないが、ヴァル・フルールから出るのはそんなに難しくない」
「じゃあ、なんであんな言い方を」
「ここより良い暮らしができるとは思えない。外での身分がない。この二つじゃ。でもやろうと思えば何とでもなる。ここから離れられないのは、結局ここを選んでいるからじゃな。居心地よい場所を提供されて、選ばされているとも言えるかもしれんが」
ギースはエレナを見る。
「もし何とかしたいなら、何とかするやり方は簡単に思いつく。ここから出たいか」
「いえ」
「主人殿は嫌か」
「いえ。セドリックは、好きなの」
そう。セドリックは好きだ。
それも考えた。そのうち教会に戻るということを前提に考えていたから考えないようにしていたが、初めて見た時からなんて素敵な人だろうと思っていた。
いつも穏やかで優しくて、エレナの事を考えてくれる。
好きになってもいいなら好きに決まっている。
でも、好きだと気づいた時には結婚することになってたって、何かおかしくないだろうか。
ヴァル・フルールもそうだ。ここに居たいなと言ったときには、本当はもう出られなかった。
だから結果的には、このままで良いのかもしれない。好きな場所で好きな人と暮らす。
でも何かモヤモヤとするのだ。
気がついたら、与えられた物だけで幸せになっていた。
ギースは、何を悩んでいるのかわからんとフクロウのように首を傾げた。




