29.ダリウスの想いは届かない
「は、離して」
「嫌だ」
発熱のせいで異様に熱い身体から、ドクドクと早鐘のような鼓動が響く。先程よりは落ち着いた、掠れた低い声が耳朶を打つ。
「俺は、あの日の夜にはこう出来ると思っていた。儀式が終われば二人きりになれる、エレナをついに抱きしめられると」
その声がひどく優しく聞こえて、エレナはダリウスの胸の上で顔を上げた。ダリウスの目が愛おし気に細められてエレナを見つめている。
「俺の腕の中にお前がいる事を、どんなに夢見ていた事か。それが花なんぞに邪魔されて……その怒りを、お前にぶつけて。愚かな男だろう、もっと冷静でいられれば、ほかにもやり方はあったはずだ」
訥々と後悔を口にする声は許しを請うようで、群青色の瞳は夜明けの空のように優しい。こんなダリウスは知らない。
エレナはどうも戸惑ってしまう。そしてこんなに優しげなのに、放してくれる気配は全くない。
ダリウスは微かに微笑んだ。
「二人きりなのは、エレナが俺を見つけてくれた夜以来だな。婚約の儀が終わるまでは間違いがおこらないようにと、二人にはしてもらえなかった。……そんなに俺は手が早いと思われていたのか」
王宮ではダリウスと二人きりになる事は無かった。会うときも必ず教会の者が付き従っていた。
「確かに手を出さない自信がなかったから我慢していたが、こんな事なら……」
抱きしめる腕の力がわずかに強くなり、ダリウスの瞳が熱を帯びる。片方の手がエレナの頭を押さえるように掴んだ。
エレナは怖くなって話をそらした。
「は、初めてお会いしたのは聖花祭では」
「もっと前だ。……残念だがあの時の記憶は消されたのだろう。俺は絶対に忘れない」
そういって懐かしそうに微笑む。
「……もう死ぬのだと思って泣いていたらエレナが来てくれたんだ……なあ、僅かでも、覚えていないか? モンフォール家に居た幽霊、車椅子の弱った子供を」
「え?」
同じような話は、セドリックもしていた。
なぜ、ダリウスがその話をするのだろう。モンフォール家の車椅子の坊ちゃんは、朧げに覚えている。だが、それは……
「それは……セドリック様では」
「覚えているのか?」
ダリウスは嬉しそうに笑った。
「俺はあの時、モンフォール家に匿われていて、倅のセドリックという事になっていた」
「え、では、……もう一人は」
「もう一人は、本物のセドリックだな。俺の従者をしていた」
車椅子の坊ちゃん、従者の少年。荒れた秘密の庭。
車椅子の坊ちゃんがダリウスで、従者がセドリックだった?
「庭を見つけて、白い花の中に母上がいる景色を見せてくれただろう。あれから俺たちはお前に教わった通りに庭を整えた。春には素晴らしい景色になった。お前もいたらよかったのに」
戸惑うエレナに、ダリウスは熱に浮かされたように語る。
「俺は、エレナのおかげで回復した。あいつがお前に習ったやり方で庭を整備するのが妬ましくて、庭いじりの為に体力をつけた。病と言うより衰弱や心の方が問題で、外で活動するのが良かったようなんだ……もう絶対に、お前にみっともないところを見せたくなくて、次会うときまでに誰よりも強くなろうと……」
だんだん声がかすれていく。ついに言葉が出なくなり、はあはあと苦しそうに息をした。
「ああ、クソ」
ダリウスは悔しそうに目を閉じた。そのまま息を整えるようにゆっくりと深呼吸する。
そして最後の力を振り絞るように身体を持ち上げて反転し、エレナを組み敷いた。
「だ、ダリウス殿下?」
「俺がどんなにお前を想っているか。花が咲いたら、思い知らせてやろうと思っていたのに」
苦しそうなやたらと熱い目でエレナを見下ろし、自嘲するように口の端を上げ、乾いた薄い唇を赤い舌で舐める。ちらりと牙のような犬歯がのぞいた。
何をするつもりなのか。怖い。
両腕を頭の上でまとめて握られて動けない。顔を背けたくても頬に手があり、それもできない。エレナはどうしようもなくて固く目を閉じる。早くこの時間がすぎて欲しい。
ダリウスの頭が降りてきてエレナの首筋に埋まった。ふー、ふー、と、息が当たってぞくっとした。
そのままダリウスは動かない。
そして、エレナを閉じ込めていた腕の力が徐々に抜けた。
「まだ……伝えたい事が……。眠ってしまったら、もう会えない気がする……眠りたく無い……ああ…えれな、…………だ……」
熱っぽい掠れた声が耳に落ちる。
最後は朦朧とした、呂律の回らない声で何か呟くと、ダリウスは眠りに落ちた。
エレナはようやく腕の中から抜け出すと、改めてダリウスの顔を見つめた。
眉間の皺。苦しそうに寝入った表情。……見たことがある気がする。
出会った時に何があったかまでは思い出せない。でも、元気になって欲しいとは思ったはずだ。
エレナは力が抜けたダリウスの体勢をなんとか直し、掛布を整え、最後にダリウスの眉間の皺を指でほぐした。
「坊ちゃん、元気になったのね……」
少しだけ表情が和らいだダリウスに、エレナは心の中で別れを告げる。




