14.エレナの日常
セドリックが来なくなっても、エレナの日常はあまり変わらなかった。
鳥の声で目が覚め、メアリーと朝食をとり、外に出る。
日に日にヴァル・フルールの大地が黒から緑に変わってゆく。それを見て回るのは、エレナの日課になった。
ヴァル・フルールには、モンフォール家の別荘の他に五軒の小さな家があって、二十人ほどの人が暮らしている。ほとんど自給自足の生活だが、週に一度小間物を売る馬車がやってくる。
欲しいものがあれば頼むと、次に来る時に持ってきてくれる。
ただ、セドリックから、エレナは外の人間には顔を見せないようにと言われていた。
それでメアリーが張り切って、エレナが、というか若い女性が気に入りそうなものがあると貰ってきてくれる。
それでエレナ用の刺繍の道具を一式揃えてもらった。
教会ではよく刺繍をしていた。花の乙女の祈りが込められたお守りとして人気があり、幼い頃からチャリティー用にたくさん作った。
これで、セドリックになにか作ったら喜んでくれるだろうか。
誰か特別な相手に刺繍する事なんて初めてで、何をどう作ろうか考えるだけでわくわくする。
ヴァル・フルールの人達は、セドリックが来なくなったからと言って態度が悪くなる人はおらず、逆に、セドリックに遠慮していた住民達は興味を持ってエレナに話しかけてくれるようになった。
セドリックをめぐってライバル認定されているマリーともだんだん良好な関係を築きつつある。
特に仲良くなったのが、薬草研究家のギースだ。集落では医師のような扱いなのだが、本人は薬草研究家を自称している。
年齢不詳で、二十代にも四十代にも見える。金縁の丸メガネの奥の目はガラスのように透明で、見ようによっては神秘的な男だった。
なかなかの変わり者だが、話し出すと止まらない。何か独自の基準があるようで、人の好き嫌いが激しい。
どうやらメアリーが苦手なようで、それもあって避けられていたようだ。
仲良くなったのも突然だった。いや、これが仲良くなったと言えるのかわからないが。
ある日マリーとハーブを見ているとツカツカとやってきて噛み付くように言われた。
「わしは聖花信仰は好かん。草花は自然だからこそ尊い。エレノア嬢は加護持ちなのだろう、わしの領分に入ってくるな」
新参者がマリーと一緒にハーブの世話をしていたのが気に入らなかったようだが、その言い様にムッとした。
「加護の力の濫用と信仰は別問題です」
「フン、教会は加護の力で希望を見せ掛け、民衆を欺いておる。でなければ王家が重用する理由はないであろ。それは大聖女も野良の加護持ちも変わらぬ」
エレナは物心ついた時には教会にいて、そのまま聖女となった。なので堂々と王家や教会を批判する人間にあったのは初めてだった。
状況から考えると、どうやらエレナ……エレノアが少し加護を持っていると聞いて、草花にそれを使ってマリーを手なずけたとでも思っているようだ。
「加護の力は人を助けます。必要な時は私は使います。でも、草花はできるだけ自然の方が良いと思いますわ。こちらに来てからは、加護の力を使った事は一度もありませんし」
「マリーが君のおかげでハーブが元気になったと言っていたが、それにも使っていないというのかね」
「もちろん。マリーにアドバイスはしましたけれど、ハーブには触っていません。ああ、使った藁には触りましたけど」
「なるほど、藁を使ってのし上がる、わらしべ長者と言うことか」
「藁がハーブの成長を助け、マリーとの縁を結んだと言う意味ではその通りかもしれないですわね」
「そしてわしを釣り上げたとでも言うか」
「あなたに釣り糸を垂らしたつもりは有りませんけど」
そして二人ギャンギャンと言い合いを続けた。何の話なのかよく分からなくなっている。エレナもギースもだんだん早口になり、傍らのマリーはあっけにとられている。
何事かと駆けつけた集落の人々は遠巻きに囲んでハラハラしていた。
「主人殿がこんなに女性の趣味が良いとは思わなかった」
そう言ってギースは皮肉げに笑った。この台詞が、ギースなりの賞賛の言葉だと気づくのには暫くかかった。
それからと言うもの、エレナが散歩していれば声を掛けてきたり、花の種や球根をくれるようになった。
話しかけているのか喧嘩を売っているのかわからないような物言いだが、エレナはギースの話は興味深く、思った事を遠慮なくぶつけ合えるのも新鮮で、言い合うのも少し楽しかった。
季節は春に近づく。ちょうど良い時期のものは、別荘の裏に作ったエレナの小さな花壇に植えた。
もし、エレナがここを去る事になっても、一年は痕跡が残るだろう。運良く根付けば、このヴァル・フルールにエレナの心はずっと残せるかもしれない。
モンフォール家の別荘はエレナの刺繍に浸食されつつあった。メアリーが喜んでくれるので、どんどん増えていくのだ。
春にはお祝いに、聖花教会のように飾りひもを軒に飾ろう。ギースは怒るかもしれないけど。
そんな風に、エレナは「エレノア嬢」として、ヴァル・フルールに溶け込んだ。もうずっと前からいて、これからもずっといるような気持ちになっていた。




