第四話 喇叭水仙(ラッパスイセン):報われぬ恋、そして尊敬
〔ふるる、ちゃんと聞こえる?〕
〔感度良好ー! すごいねこれ、ネクロファージって何でもあり?〕
今ラミアとフルールは、海中深くにいる。夢幻の心臓と言えど酸素がないと生きられない。互いにボンベを背負い、シュノーケルを着用中で発声が出来ないため、通常手段での会話は不可能。
なので、ネクロファージをその身に宿した者同士だけが可能な、ルナタイトケーブルを通して精神波を交換する方法で意思伝達を行っている。
〔ルナタイトで繋ぐだけで、こんなテレパシーみたいに会話出来るなんてステキ!〕
意識して思考を言語化しないとうまく伝わらないが、漠然とした感じでなら感情なども伝わる。心が通じ合っているように錯覚して、大喜びしているのだろうとラミアは考えた。
〔急ぎましょう。トローリングを始めるとそれなりの速度を出すわ〕
〔オッケー! まさか潜水艦から殺しに来るなんて思ってないよね、きっと〕
二人はサブマリンスクーターのアクセルを回して加速し始めた。今回の任務は、フロリダ沖でトローリング中のクルーザーに海中からこっそり近づき、奇襲で標的だけを殺害すること。
ラミア一人だったら高高度降下を選択するところだが、前回の様子ではフルールには難しい。
〔およ? およよよ?〕
〔ちょっとふるる、どこ行くのよ?〕
〔なんか引っ張られ――〕
フルールは何かに引きずられるようにしてラミアから離れていき、ルナタイトのケーブルの長さが足りなくなって交信が途絶える。クルーザーは徐々に動き始めていた。
(まさかあの子、釣り針に? ありえない、コメディーじゃないんだから……)
ルナタイトのダガーは携帯しているはずである。糸を切るよう身振り手振りで指示しても、そもそもこちらを見ていない。そのままどんどんと海面近くへ引かれていく。
(仕方ないわ、本気を出す!)
ラミアはサブマリンスクーターを手放し、酸素ボンベも捨てて全力で泳いだ。みるみるうちにフルールに追いついていくが、惜しくも先に釣り上げられてしまう。糸を切るべく白薔薇を発動しながら、ラミアは海中から飛び上がった。
「どーもー、暗殺者だよ!」
片手を上げて間抜けな挨拶をしているフルール。その身体を釣り上げている糸をラミアは無言で切った。呆気に取られている標的たちを置き去りにして、フルールを海中に引きずり込む。
〔何やってるのよ、相手唖然としてたから大丈夫だったものの、我を取り戻したら蜂の巣にされてたわよ? あなたは逃げるふりをしなさい。私は引き返して殺ってくるわ〕
〔ご、ごめん……。頑張ってみる……〕
再び全力で泳いでクルーザーを追い越し、今度は前方から船上に上がる。まだ船尾付近に標的がいることを確認すると、白薔薇を発動しつつ神速のダッシュで飛び込んだ。
「今の、人魚だったのか? 足生えているように見えたが……」
「人魚がスキューバするか? 暗殺者とか言っているように聞こえ――」
標的の言葉はそこで永遠に途切れる。斬り飛ばした首が落ちるより早く、ラミアは海に飛び込んでいた。
(間抜けな奴らで助かったわ……)
戻ってくると考え、全速力でクルーザーを走らせ逃亡を図らなかったのは、不幸中の幸いと言えた。何しろ遠い沖合の海上。暗殺者が来るなどとは、露ほども思っていなかったのだろう。
§
〔ふるる、今日はちゃんとやるのよ。声出しちゃ駄目よ? 玄関開けた瞬間狙うからね?〕
〔オッケー、これ声出さなくても会話出来るから大丈夫〕
今回は高級住宅街ど真ん中での暗殺任務。都合よく人気の少ないところに行く予定が見つからなかったため、事前に敷地内に侵入して身を潜め、玄関前での奇襲で始末する計画。
(何故だか嫌な予感がするわ……)
前回の任務でのフルールの失態を思い出した。海中の釣り針に引っかかるなど、狙ってやることは難しい。本当の偶然のアクシデントで間違いない。だが彼女の普段の言動を見ていると、また何か馬鹿馬鹿しいことをやらかしてしまいそうな気がしてならない。
〔あ、あの車そうじゃない?〕
フルールの言うとおり、敷地内に入った二台の車両から、計六人が降りてくる。ガードらしき人間の氣は四つ。差し引きすると、標的の他に、誰か一般人が混じっているようだ。
〔息を潜めて。もし相手のガードに手練れが混じっていた場合、あなたは気付かれるわ〕
〔大丈夫、バレてないみたいだよ〕
確かに気付かれてはいないように思える。しかし、一般人の目撃者が出るのは気が進まない。作戦を変更してやり過ごすかどうか、ラミアは迷った。どちらにせよ、今は動けない。予定外の一人がどんな人物か確認して、相手次第で行動を決めようと息を潜め続けることにした。
六人は脇の暗がりに潜んでいる二人に気付いた素振りはなく、玄関の明かりの下に姿を現す。それを見て、突然フルールが立ち上がった。
「あー! あー! メラニー・ブレアだ! サインちょうだい!」
(何をやっているのよ、この子は!)
ガードたちはすぐに自らの身体を盾にしつつ二人を玄関の中に押し込むと、フルールに向かって銃を構える。腕を掴んで引き倒し、フルールを抱えて逃げ出すしかなかった。
〔ふるる、お願いだから真面目にやって……〕
標的と共にいた一般人は、確かにネットで見たことのある美女だった。だからといって今の反応はあり得ない。彼女がいたのは偶然。しかし、フルールの行動は偶然ではない。
〔お姉様……なんかルナタイトを通して、炎が伝わってくる気がするんだけど……〕
〔仕方ないから、ヘリまで一度撤退するわよ〕
近くの空き家の庭に勝手に着陸させてあった無人操縦ヘリの中へと飛び込むと、自動的に離陸が始まる。ラミアは乱暴にフルールを床に放り出した。怒りの炎は既に反転し、氷の瞳で見下ろした。申し訳なさそうに身を縮こまらせながら、フルールが消え入りそうな声で語る。
「ごめんなさい、任務失敗しちゃって……。でもね、あの人あたしの一番好きな映画女優なんだよ? あれさ、もしかしてあの二人デキてるの? すごいショック……」
ラミアは深く、深く溜息を吐いた。フルールからもっと趣味の話などを聞き出さないとならない。そしてそれをコーネリアスに報告し、同じようなことが起きない状況を、確実に用意してもらう必要がある。そもそも、今回の計画自体、雑過ぎた気もする。
(念のため用意しておいて良かったわ……)
これまではコーネリアスの計画通りで、ほぼ滞りなく成功していた。それでもイレギュラーは起こりうる。その場合の対応方法は、いつも事前に考えていた。今回は元の計画がシンプルな強襲なだけに、失敗はないと判断していたのだが、備えあれば憂いなしとはよく言ったもの。
「それじゃ、行ってくるわね」
「ふぇ!? どこへ?」
「Bプラン」
短く告げると、ラミアはヘリの床のハッチを開け、頭から飛び込んだ。真下は先程の標的の家。上空を通過するよう、飛行ルートを設定しておいた。もう警察が到着するところだった。
ガード二人が庭を警戒し、一人が警察を迎えに門の外に出ている。先程覚えた標的の氣は、女優と一緒に二階の部屋。ラミアはそこへ向かって真っすぐに落ちていった。
(白薔薇、お願い!)
右手の白薔薇を発動し、最大限の魔力を籠めて硬度と斬れ味を高める。魔力の強さに庭のガードが気付いてラミアの方を見上げたが、その時にはもう、白く輝く刀身がシングルルートの屋根を見事に切り裂いていた。そのまま身体ごと屋根を突き破る。
(ごめんなさい、トラウマになったら私のせい!)
ラミアは女優が見ている目の前で標的の心臓を一突きし、すぐさま窓を破って庭に飛び出した。ガラスの割れる派手な音に、上を見ていた警官たちが視線を下ろす。やや遅れて鋭い悲鳴が響いた。その頃にはラミアは、既に壁を飛び越え、隣の家の敷地に逃げ込んでいた。
(何とかなった……コーネリアス、後始末よろしくね。これは理由づけ大変そうね……)
偶然が絡んでいた。予想外のことでもあった。しかし前回の様なアクシデントと呼べるようなものではなく、完全にフルールのミスとしか言えない。そのためフルールは、帰投後にこっぴどくコーネリアスに叱られた。流石にラミアも庇いだて出来ず、ただ見守るしかなかった。夜寝かしつけるのが大変だったことは、語るまでもない。
§
「お姉様、本当にあんなとこまで届くの?」
ラミアが遠方のホテルに向けて巨大なスナイパーライフルを構えると、フルールが首を傾げて訊ねてきた。コーネリアスは流石にやり方を変え、今度は狙撃による暗殺を選択した。
「装弾筒付翼安定徹甲弾っていってね、元々戦車砲用の高速弾頭なの」
「戦車!? そのサイズで?」
「それを小型化したもの。超高速かつ射程距離が長い。もちろん貫通性能も最高級。しかもこれルナタイトのメタルキャップ付き。あのホテルは強固な防弾ガラスで守られてるけど、まともな対物ライフルまでしか想定してないわ。このゲテモノならば抜けるはず」
そのまま標的の滞在している部屋を狙い続ける。ホテルに潜入している諜報員からの情報では、部屋には居るらしい。だが狙撃可能な位置になかなか姿を現さない。
警戒して窓際に近付かないわけではないのだろう。ホテルの案内には、『狙撃不能、安心安全最高のセキュリティ』というアピール文があった。実際その通りとラミアも思う。この場所は六キロも離れている。ここからの狙撃を考えるコーネリアスの方が異常としか言えない。
かなりの時が流れた。既に日付は変わり未明。標的は眠ったと考えるのが妥当だが、いつ窓際に姿を現すかわからない。ラミアは辛抱強くスコープを覗き続け、タイミングを待った。
(フルールを別行動にすれば良かったかしら?)
ホテルに潜入させ、氣や魔力で探って標的の正確な位置を教えてもらうという手もあった。余程厚い壁でなければ、貫通して殺せそうな気がする。が、それはそれで情報伝達ミスで失敗しかねない。そもそもラミアは、狙撃は得意ではない。やはり目視出来るまで待つしかない。
(見えた!!)
眠れなかったのか、標的が酒か何かのグラスを手に窓際に姿を現した。視認出来た顔から、間違いなく指示にあった実業家だと判断した。
足運びから止まる位置を予測し、そこを狙いつつ引き金にかけた指の力を徐々に強くしていく。ほんの一ミリ未満で発射される位置まで絞って保留しようとしたときに、その音は響いた。
グー。……直後に炸裂音がし、弾丸がホテルに向かって飛んでいった。
「お、当たった? 作戦成功! 終わった終わった、お腹空いたー。もう限界だったよ。こんなに時間かかるなら、お弁当持って来れば良かったね!」
(やって……しまったわ……)
ラミアはライフルを手放し、そのまま地面に力なく横たわった。
「お姉様、ほら帰ろ? 音聞いて誰か来ちゃうかも」
「ふるる、外れたわ……任務失敗よ……」
タイミングを外した。狙っていた位置に標的が来る前に、弾丸は発射されてしまった。連射の利かないボルトアクション式。一流のスナイパーなら、すぐさま装填をやり直して撃ち殺せた可能性もある。だが緊張感を殺がれてしまったラミアには、その気すら起きなかった。
事態を悟ったのか、フルールの表情は凍り付いた。恐る恐るといった様子で問い返してくる。
「も、もしかして、今あたしのお腹の虫が鳴いたから……? またあたしのせいで任務失敗。やっぱりあたし生きてる価値ないのかも。死のう……。これ以上お姉様に迷惑かけられない」
フルールの右手に現れた天罰が胸に押し当てられる前に、ラミアはそれを左手で掴んだ。そしてフルールを慰めるためではなく、自分を慰めるために言う。
「ふるる、今のはあなたのミスじゃなくて私のミス。ほら、私ノーキンってやつだから、こういうのは得意じゃないのよ。あの程度の音で外してしまうのは、三流の証拠。一流のスナイパーなら、たとえあのタイミングで自分の心臓を突き刺されたとしても、外さずに射撃を行うわ」
特にラミアの場合、それでも死なないのだから、なおさら落ち着いてやれなくてはならない。そもそも周りの音が聞こえているのは、集中出来ていなかったという証拠。
「お姉様、そんな嘘吐いてまで慰めてくれなくていいから……。お姉様はいつもいつも、あたしのミスをカバーしてくれる。だから尊敬してる。でもね、嘘まで吐かなくていいんだよ?」
しかしフルールは、大きな眼からポロポロと涙を零しながら、震える声でそう主張した。
「本当よ。証拠見せるわ。ダークウェブにはそういう情報、色々とあるから。……ほら見て。書いてあるでしょ? 動画もあるわ、実際に殺されながら当てた人の」
ラミアは自身の端末で、発言の根拠となる様々な情報を見せた。フルールを納得させるためにやっていたが、そのうち段々と自己嫌悪が始まる。
(私って、本当に三流ね……いえ、違うわ。暗殺者としては超一流。三流なのは手段)
自己嫌悪はすぐに怒りに変わった。責任転嫁でしかないが、フルールを守りたい気持ちがそうさせたのか、普段とは全く異なる思考回路が動作した。
「コーネリアスよ。コーネリアスのミスね、これは。私に向いてない方法を指示したコーネリアスが悪い。作戦自体に欠陥がある。すべての責任は彼にあるわ」
失敗した時に備え、Bプランを用意しようとはした。しかし物理的に離れすぎていて、いい案は出ず、一発に賭けていた。結果、一連の任務での初の失敗として記録されることとなった。




