立つ? 座る?
ロヒさんが小屋へと戻る時に小さな木の玩具のようなものを渡してきた。
二本の小さな木の棒が一箇所で繋がっているが、お互いの棒は繋がっている場所を軸に自由に回転するようになっている。
「その棒を『念動』で自由に動かせるように練習しておいて」
「ねんどう?」
「うん。ラプ君からまだ聞いていないかな? 魔法の一種だよ。魔素をその棒へ纏わせて棒を動かすんだ」
そう言うと俺が持っているその棒の、自由に動く方を回転させる。ロヒさんはその玩具へ触れるどころか、指一本すらも動かしてはいない。
まるで生きているかのように、ゆっくりと動きだし、ぴたりと止まり、また動きだす。
「最初は手を翳して魔素を動かすことに意識を集中させれば、その内動かせるようになるよ」
そう言うとロヒさんは小屋へと帰っていってしまった。
「ねんどう……」
ラプからはまだ教わっていない魔法だった。
指で軽く棒へ触れるが、その二本の棒は思ったよりは硬く繋がっている。ロヒさんは軽々と回していたが、それ程簡単な事ではないと感じた。
「手を、かざす……。だっけ?」
左手に棒を持ち、右手をその二本の棒へと翳す。
ラプに教わっていた魔素の操作を思い出しながらやってみるが、棒はピクリとも動かなかった。
「時間、かかりそう……」
見た目ほどは簡単ではないようだ。
一時間ほど、小さな二本の棒と格闘していると、「ピクン」と反応する。あと少しで動かせそうだ。
「なにをしているの?」
急な声に驚きながら後ろを振り向くと、そこへ立っていたラプが俺の手元を覗き込む。
俺は二本の棒をラプへと見せた。
「ロヒさんが、動かせるように、なれって」
不思議そうな顔をしてラプがその棒を見詰める。
突然、くるくると棒が回りだし、ラプは俺へと笑顔を向けた。
「うん。簡単だね。明日中にはできるんじゃないかな?」
「……」
「寒くなってきたし、今日はもう中に入ろうよ」
そう言って、俺へと背中を向けるラプ。俺はいつものようにラプへと背負われて小屋へと戻った。
それから一週間ほどで、木でできた玩具は不自由なく動かせるようにはなった。
ただロヒさんやラプのように早くは動かせない。
「それじゃ、今度は風魔法で棒を浮かせて、その浮いた状態で動かしてみようよ」
風魔法と念動を同時に使うらしい。難しそうだ。
「難しいかもしれないけど、飛びたいのであれば必要な練習だよ」
俺のしかめっ面を見てラプがそう言うが、風魔法で物を浮かせるには微細な操作が必要になる。その状態で念動まで使うなんて、逆立ちで山を登るようなものだ。いや、その方がまだ簡単だろう。
風魔法を使って木の棒を浮かせようとするが、浮いたと思った次の瞬間、念動なんて使う間もなく地面へと落ちてしまう。
「まあ、練習は必要だね。僕は小屋の掃除をしてるよ」
ラプは笑って小屋へと帰っていった。
上手くいかないと、こんな事はすぐに飽きてしまう。ラプもロヒさんも俺のためにやってくれているのだと思うと飽きたとも言っていられない。早く二人の期待に応えられるようになりたい。
しかし、やっぱり飽きてしまう。俺はいつの間にか眠ってしまっていた。
この高い山の山頂は寒い。
でも今日は日が高く登るにつれて気温がかなり上がっていたようだ。厚着なのでじっとしていても汗をかきだすくらいの暑さになっている。
夢を見ていた。
身体が動かし難い。
藻掻くように走る。
後ろには二人のセビナ兵がいた。
一人は槍を持ち、もう一人は剣を持っている。
二人は俺を追い掛けてくる。
表情は判らない。
俺は思うように走れない。
突然、セビナ兵が俺の前に立ちはだかる。
後ろから来た二人のセビナ兵が俺の身体を羽交い締めにすると、前に立ち塞がった兵士が剣を振り上げた。
「うわぁっ」
目の前にはラプがいた。心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
「……だいじょうぶ?」
「……あ、うん……、だいじょうぶ」
「汗、いっぱいかいてるね」
そう言うとタオルを俺へと渡した。
何度目の夢なのだろう?
何度も見ている。何度見ても嫌な夢だ。慣れるなんて事はないだろう。
「お昼だよ。小屋に戻ろう」
「うん……」
その日、あまり晴れない気分を引き摺って一日を過す事になった。
この夢を見た日は、その日一日がどんよりとした憂鬱な日になる。これは一生続くのだろうか?
この小屋へ来てから三ヶ月間、毎日、言葉に読み書き、それに魔法の練習と、様々な事を覚える日々が続いた。
小屋の外は深い雪で、一日中を小屋の中で過す日々になっていた。
ラプとロヒさんが魔法の練習をしている俺の部屋へと入ってくる。
毎日練習をしている魔法は、それなりに使えるようにはなっているけれど、まだまだラプやロヒさんが言うように簡単に扱えるようにはなっていない。
いつものように義足を俺の脚へと合せて眺めている。
何度目になるのだろうか?
「それじゃ、立ってみようか」
「はい。……えっ」
いつもは眺め終わると、義足を外して自分の部屋へと戻っているロヒさんが、今日は立てという。
「大丈夫。私とラプ君で支えるし、ゆっくりでいい。どこかに問題があれば、それ以上はやる必要はない」
ラプはベッドに座っている俺の左側へと寄り添い、俺の腕を自分の肩へと回して置いた。
ロヒさんはラプと同じように右側で腰を落とし、身体全体を固定するように俺を支える。
「ゆっくりでいい。腕で私とラプ君を支えにして立ち上がってごらん」
緊張していた。
これまで装着しただけで終わっていた俺の脚が、今日はその本当の役割を果そうとしている。
俺自身も立つという動作や姿勢は一年以上もやっていない。その感覚も忘れかけていた。
いきなり義足へ体重を掛けるのは怖かったので、ロヒさんとラプの肩へ全体重を掛け、腕だけの力で身体を浮かせた。
それに合せて俺の身体を支えているロヒさんの腕に力が入る。
身体を徐々に起こしていくと、膝の部分から微かに金属が擦れる音がした。
ロヒさんは俺を支えながらその膝を凝視していた。
そのままロヒさんは俺の身体を真っ直ぐに立たせようとする。
俺はまだ腕を突っ張り、義足へ体重を掛けてはいない。
「ゆっくりでいいよ。義足に体重を掛けてみて」
ロヒさんの言葉に従い少しだけ腕の力を弱めた。
脚の切断面が義足へと乗る感触がある。痛みを感じるかと思われた部分は柔らかい弾力のあるものへと乗ったような感触があった。
更に腕の力を弱めると、切断面の感触はそのままで、腰から太股を締め付ける感覚がある。どうやらこれ以上体重を掛けても切断面はあまり圧迫されないようだ。
更に腕の力を抜き、完全に義足へと体重を乗せた。
俺自身の腕はロヒさんとラプの肩に乗せてはいるが力はもう入れてはいない。ロヒさんとラプも俺の身体が前後に倒れないように支えてくれているが、義足へは俺の体重が全て乗っていた。
「たて……た……」
変な感覚だった。
一年以上、立った事がなかった所為か、ひどく高い場所に自分が居るような気がしてしまう。
「どこかに痛みはないかい?」
「はい。痛くはありません」
「そう。よかった」
そう言うとロヒさんは笑顔を俺へと向けてくれる。
「それじゃ、ゆっくりとベッドに腰を降ろそう」
「えっ? あ、はい」
残念ながら今日はここまでらしい。歩けるようになるのはまだ先なのだろう。
ベッドに腰を降ろす。それは、自分の脚があった時にはどうやっていたのだろう? 考えると判らなくなる。
「体重を少し後ろへ掛けて。きちんと支えるから」
「はい」
言われた通りに後ろへ体重を掛けると、ゆっくりとロヒさんとラプがベッドへと降ろしてくれた。
俺がベッドへ腰を降ろすと、すぐにロヒさんは装着していた義足を外しだす。腰や太股に付いていた止め金を外し、すぐに義足の膝部分を凝視していた。
膝を見詰めたまま黙り込んでしまったロヒさんにラプが声を掛ける。
「左も外すんでしょ?」
「えっ? あぁ、そうだね。外そう」
そう言うと手に持っていた義足を床に置き、左脚を外しだす。
「なにか問題でもあったの?」
あまりにも長くロヒさんが右脚の膝を凝視していたのでラプが不安になったようだ。
「ん? 問題……。まあ、心配ないさ。歩くだけなら大丈夫だよ」
「走れないの?」
「……今はまだ、なんとも言えない。もちろん出来る限りのことはするよ」
「……」
ラプの顔が不安そうな表情になるなんてあまり見た事がない。
俺自身よりもラプは不安を感じているのだろう。俺は歩けるようになるだけでも有難い事だと感じている。立つ事すらも出来ない今に比べれば十分な施しだ。
その夜、またあの悪夢を見た。目覚めた朝は寒く、酷く吹雪く日だった。