七枚? 九枚?
今日のヴェナの夕飯は銀貨七枚もする豪華なものだ。
国境を越えた記念だと言うが、一番高い食事を注文するのは、この旅の最初から変わっていない。
ヴェナは不味いと言いながらも出てきた食事を全て食べてしまっていた。
確かにヴェナの顔にはラプのような笑顔はないが、むしゃむしゃと食べるヴェナを見ていると、本当に不味いと感じているのか疑いたくなってくる。
「いよいよ明日はエテナに入るわよ」
「うん」
「楽しみだわ」
「……うん」
ヴェナの目にはきっとエテナの街の景色が写っているのだろう。
蝋燭の光だけでこれほど輝けるのかと思う程にキラキラとしている。
「なによ。まだ悄気ているの?」
「今日は人混みに疲れたんだよ」
俺はなんだか人混みに酔ってしまったように疲れていた。
ヴェナに言わせれば活気があるという事らしいが、俺にとってはゴミゴミとした雑踏はあまり好きになれない。
「あれくらいの人混みなんて走り抜けられるくらいになりなさいよ」
「無茶をいうなよ……」
走るどころか歩く事すら難儀をしている俺になんて事を言うのだ。
「好きに飛べるのならばいいのだけどね」
「街中で飛ぼうものなら、あっという間にコソ泥の群がタビトの身包みを剥いでしまうでしょうね」
「怖いな……」
「それも剣を振り回しながらやってくるわ。身包みを剥がされるどころか骨すら残らないかもしれないわよ」
「……」
「まあ、それは冗談だけど、魔法を使うのは気を付けなさい。この辺りは剣を持っている人が多いのだから」
「そうなの?」
「エテナには剣士が多いのよ。剣を持った人が多かったでしょ?」
「そういえば、そうかな」
確かに人も多かったが、その人々の腰には剣が携えられていたように思う。
病気のままこの街へ入っていたら卒倒していたかもしれない。
「どんなに弱い相手でも殺気を持って剣を抜かれればタビトは倒れかねないのだから、魔法だけではなくて目立つ事はしないことね」
「気をつけるよ」
まあ元より目立つ事などする気はないが、立っている間は常に魔法を使っているのだし、気を付けた方が良いだろう。
エテナの街は半日ほど歩けば着いてしまった。
フィオンよりも高く、どこまでも続く城壁の中がエテナの街らしい。
まだ距離があると思われるが、この離れた場所から見えるその城壁だけでも、フィオンですら小さいと感じる程に巨大な街だと判る。
「大きいな」
「あたり前よ。エテナの首都なのだから」
「これ程大きい街なんて、想像すらできなかった」
「ふふん。ヴァルマーの皇都だって負けないくらいに大きいのよ。凄いでしょ」
「なんでヴェナが威張っているのさ」
「私はヴァルマーの皇都に居た事があるのよ。都会のお嬢さまなの。偉いでしょ」
「偉いの?」
「……偉くはないわね。間違えたわ。……でも凄いでしょ」
「ヴェナが?」
「……まあ、街がだけど……。とにかく中に入りましょ。中はもっと凄いんだから」
「入った事あるの?」
「ないわよ。でも凄いに決まっているじゃない」
「……」
「ごちゃごちゃと言っていないで、行くわよ」
そう言うと門へと歩きだす。
その道程は近くに見えて、実際はかなりの距離があった。
近付くにつれ、その巨大さに圧倒されてしまう。
「飛んで上から見たくなるね」
「コソ泥に殺されてもいいのなら止めはしないわよ」
「……やめとくよ」
「賢明な判断ね」
初めて聞く言葉だ。
「けんめい? って?」
「痴愚な質問ね」
「……」
上の空で難しい言葉を使うヴェナは城壁を見詰めていた。
その目は城壁の先に在る街を見ようとしているかのように大きく見開かれている。
俺の相手などしていられないらしい。
城門の前には長い列ができていた。
「この列はなに?」
「みんなエテナの街に入るために並んでいるのでしょ。首都なのだから入るためには色々と調べられるのかもしれないわね」
ヴェナの言葉は俺を不安にしたが、そんな心配は必要なかったらしく、あっさりと通してもらえる事ができた。
随分と長い列だったが、通る時には顔を見ただけで通されてしまう。並んで待っている時間の方がよっぽど長かっただろう。
「なにも調べられなかったよ」
「まあ、国境を通されたのだから、ここで調べる必要はないのでしょうね」
薄暗い城壁の中を通り、まぶしい光りの見える方へと歩く。その先はエテナの街らしいが、ここからではあまりにも明るすぎて、何も見えなかった。
城壁を抜けると眩しさに目を細めた。
そして、その景色に驚く。
出た先には広場が在り、その先には建物が犇めいていた。
右を見ても左を見ても、建物ばかりが遠くまで続いている。
目の前の広場からは真っ直ぐに一本の道が通っていて、その先には丘のように高くなった場所に巨大な建物が在った。
「あれが城……」
遠過ぎて霞んで見えるが、それ程遠くに在るはずなのに、アスラさんの屋敷などより巨大だと判る。
「城というか宮殿ね」
「きゅうでん?」
「まあ城みたいなものよ。でも残念ながら近付いて見る事はできないらしいわ。途中にまた城壁があって、そこの門は許可された人しか通してくれないそうよ」
確かに左右に広がった壁のようなものが所々に見える。今しがた通ってきた城壁の、さらにその中に城壁があるなんて、よっぽど大切な場所なのだろう。
「今日と明日一日で見て回ったら、いよいよ萎竜賊の村へ行くわよ。とりあえず今日の宿を探しましょ」
街の中へと進みだすヴェナを追って俺もその後ろを歩いた。
広場を横切り宮殿が見える方向へと歩くが、昨日のスカーブとは違い、人は多いがぶつかる事はなかった。
「今日は真っ直ぐに歩けるな」
「ここは大通りで道が広いから。歩きやすいからって変な所へ行かないでね。昨日みたいに迷子になっちゃうわよ」
「……」
そんな心配をするのなら手を繋いでくれても良いのだけれど。
少し歩くと、また大きな広場へと出る。
ヴェナは立ち止まり、周りを見回した。
「こっちかしら……」
そう言うと、広場の右手に見える通りへと向かう。
その通りも広く、道はなだらかな下り坂になっていた。
「あっ、うみ……」
道の先、かなり遠くに見えるがキラキラと日の光を反射させている海が見えた。
突然現れた海に俺は目を見開く。
「この街の西側は海になっているそうよ。街の中からこんな景色を見られるなんて思ってもみなかったわね」
ヴェナも意表を突かれたらしく、立ち止まり、遠くを見ている。
薄青緑の瞳が海のキラキラとした光を反射させているのか、その瞳までが輝いているようだった。
その日の夕飯もヴェナはやはり一番高いものを注文する。
驚く事に銀貨九枚だという。
「あぁ……。まあ、こんなものかな……」
不味いとは言わなかったが、やっぱり美味しいとも言わない。
俺は銀貨一枚の食事だけれど、十分に美味しいし、満腹になるだろうと思えるくらいの量もある。
「そっちの方が美味しそうだわ」
「食べてみる?」
俺がまだ言い終わらない内から素早く突き出されたフォークは、目にも止まらぬ早さで俺の目の前に盛ってあった料理を突き刺す。その挽肉を丸めて焼いた料理は、あっという間にヴェナの口の中に収まった。
「まあまあね。わたしもこっちにすれば良かった」
「高いのだから美味しいんじゃないの?」
「値段は材料の希少性なのでしょうね。なんとか牝鹿の肝臓だか膵臓だかを、炒めただか煮ただかした、エテナの自慢の一品って書いてあったわ」
「なんだか美味しそうではない名前だな」
「名前は、なんだか聞かない名前だったけれど、忘れちゃったわね」
今度は自分の皿の料理をフォークで突き刺す。
食みながら、やはり美味しそうな顔はしなかった。
「明日は東側を見て回りましょ」
「東側はどんなものが見られるの?」
「さあ? でも今日より凄いものが見られるわ。きっと。エテナですもの」
いつもならば良く判らないヴェナの言い分が、今日は実感として本当なのだろうと思えてしまう。
昼間、海を間近で見たいと西へと歩いたが、海岸までは距離があるらしく西側の城壁までしか行く事ができなかった。海は城壁を出なければ見る事が出来ないらしい。
エテナへ着いたのが昼を過ぎていたので、宿まで引き返した時には夕方近くとなっていて、今日はあまり周れてはいない。
それでも今日見たエテナの街は素晴らしかった。
多くの人々、犇めく建物達、見た事もないような物を並べている露天商や市場、あまりにも高すぎて見上げていると怖くなってくる塔、水を高く吹き出している広場の噴水、巨大な誰だか判らない人の像、たった数時間で、この旅で見てきた町の数倍は驚いていたように思う。
「でも、やっぱりエテナね。強そうな人も何人かいたわ」
「そうなの? まったく気付かなかった」
「ぼんやり歩いているからよ。私でも勝てないかもって思った人が二人はいたわね」
「えっ。ヴェナに勝てる人がそんなに居るの……」
「あたり前じゃない。ここはエテナなのよ。剣士の街なの。強い剣士も沢山いるわよ」
「そうなんだ……」
ヴェナはこの世界でも一番とは言わないにしても、それくらいには強いのだと思っていた。
いったいこの世界はどれ程広いのだろうか?
「そうだ。明日は道場も見てみましょ。沢山の道場もあるみたいだから」
「……どうじょう?」
まあ、剣の話をしているのだから剣に関係する場所なのだろう。
「俺はそれ程見たいと思わないのだけど」
「なにをいっているのよ。あなたも剣士の端くれならば見ておくべき場所よ」
そんな端くれなんてなったつもりはないのだけれど。
まあ、まったく興味が無いとは言わないが、剣は俺にとって不吉な物事を招き寄せる呪物のようなものなのだ。
喜んで見に行く対象ではなかった。
そんな事を思ってはいるが、事実として俺は剣を背負って旅をしているのだからヴェナの言う事の方が正解なのだろうとも思う。
「見るだけなら、まあいいか」
「あら、私は試合もしたいと思っているのだけど」
「……俺が卒倒しないくらいならいいんじゃない」
「よし。明日はタビトが卒倒するくらいの気迫の籠った試合を見せてあげるわ」
そう言うとヴェナはまた、美味しくも不味くもないらしい食事を口へと運んだ。




