振る? 避ける?
「変な味だわ」
宿屋で夕飯を食べながらヴェナはいつものように食事に文句を言っていた。
「……」
「不味くはないけれど、やっぱり美味しいとも思えないわね。もっと海沿いの街道を通れば良かったわ」
「……」
「まあ、もうエテナに近いし今回は諦めるけれど、今度この辺りを通る時には海沿いを通りましょ」
「……うん」
俺は昼間の事で動揺していた。恥ずかしくなり、情けなくなり、居た堪れなくなり、泣きたくなる。
ヴェナのお喋りを聞いていても、すぐに昼間の事を思いだし、頭から離れなくなる。簡単な返事すらできなくなる。
目の前のスープを見詰めながらゆっくりとそれを口に運んでいると、ヴェナの食事をする手が止まったように感じ、ヴェナへと顔を向けた。
そこに在ったヴェナの顔は、右目が釣り上がっている。
「なにを情けない顔をしてるのよ」
まあ、実際、情けないのだから、顔にも出てしまうだろう。
「あなた、旅をやめるなんて言い出さないわよね」
「えっ……。あぁ……それもありかな」
ヴェナの両目が釣り上がり、次の瞬間には立ち上がっていた。
「ふざけないでよ。あなたがやめるなんて言ったら私も旅が出来なくなるのよ」
それまでがやがやと聞こえていた食堂が静まる。
「声が大きいよ」
ヴェナは周りをちらりと見ると、「コホン」と咳をし、椅子へと座った。
食堂はまた、がやがやとした話し声やナイフとフォークが皿を擦る音がしはじめる。
「……よわむし」
今度は俺にしか聞こえないくらいの小さな声でそう言う。
「……」
「……いくじなし」
「……」
「……小心者……おくびょう者」
「……」
「あと……、それと……、なにかあったかしら?」
「腰抜け、甲斐性無し、根性無し、……くらい?」
いつの間にかヴェナの両目はいつもの目に戻っている。
蝋燭の光に輝く薄青緑の瞳はいつ見ても綺麗だ。こんな落ち込んだ気分であっても、その瞳には見入ってしまう。
「はぁ……」
諦めたように溜息を吐くヴェナ。
「やめたいなら、やめてもいいけど、フィオンには帰らないでね」
「どうして?」
「私まで戻らなきゃいけなくなるわ」
「どうして?」
「お父様が一人で旅することを許してくれると思うの?」
「どうして?」
「……あなた、この旅をお父様とお母様が許可してくれた条件を忘れたの?」
「あぁ。……そういえば、そうだったね」
確か、強い仲間が居れば良いという事だったはずだ。
俺は弱いのだし、元々条件を満していないのではないだろうか?
「それじゃロヒさんの小屋にでも行くかな」
「それもダメ。ロヒ伯父様はお父様の兄様なのよ。すぐに判ってしまうわ」
「それじゃ、その辺りの山にでも住んで昔みたいに狩りでもしながら暮らすよ」
「ばかね。その辺りの山といっても、その山も誰かしらの持ち物なのよ。ずっと住んでいればその内に山の持ち主から追い出されるか、捕まえられて衛兵に突き出されるでしょうね」
「……それじゃ……冒険者になって旅をして、世界を見て周ることにするよ」
「あなたみたいな弱虫じゃ、すぐに野垂れ死んじゃうでしょうね」
「……」
「唯一の道は、強い人を仲間にして冒険者として世界を旅して周るくらいかしらね。あなたみたいな弱虫が出来ることって」
そう言うとフォークで焼いた挽肉を刺し、口に入れた。
もぐもぐと食むその顔は、やっぱり美味しそうだという顔には見えない。
ヴェナとのお喋りは俺の重く沈んだ気分を、ほんの少しだけ軽くしてくれていた。
久し振りにあの嫌な夢を見た。
跳ね起きて宿屋の部屋に居る事を思いだし、安堵の溜息を吐いた。
全身が汗に濡れている。
汗が冷たく気持ちが悪い。
着替えながら窓の外を見るとヴェナがいつものように剣を振っている。
俺もすぐに外へ出てヴェナの横で剣を振った。
旅に出てからはヴェナと一緒に並んで朝の鍛錬をしていたが、やっぱり長くは続かず、先に切り上げるのはいつも俺の方だった。
そろそろ朝の鍛錬は終わりにしようかと思っていると、ヴェナが剣を振る手を止め訊いてくる。
「タビトは、その剣を振る時、相手もあなたを斬るつもりなのだと思ったりするの?」
「そんな事考えた事ないかな」
数日前に、振る時は斬る相手の姿を想像しろと言われそれを実践していたが、自分が斬られる事なんて想像もしない。いや、したくもない。
「ヴェナはそんな想像しているの?」
「しないわよ。私が斬られる事なんてないもの」
「……」
「でも、タビトはそんな想像をしながら剣を振った方がいいのかもしれないわ。たぶんだけれど、もう剣に対しての恐怖は克服しているのよ。でも、昨日のようにその剣を持つ者の『タビトを斬る』という思いがタビトに伝わって恐怖を感じているのだと思うわ」
「……」
「試合じゃ相手を斬るなんて思わないから、それは伝わらない。だからもう克服したと思っていた。実際、剣に対しては克服しているのでしょうね。でも今度は、その剣を持つ相手の、……そう、気迫とか殺気っていうのかしら。そんな思いを感じ取ってしまうのじゃないかしら」
「……それで?」
「だから、剣を克服した時と同じように、相手の気迫や殺気にも慣れるために、相手もタビトを斬るのだと想像しながら剣を振るのよ」
「……うまくいくの?」
「さあ、知らないわよ」
そう言うとヴェナは再び剣を振りだした。
なんとも無責任な提案だけれど、とりあえずやってみよう。
相手が自分に斬りかかる。
確かにあまり想像したくない場面だけれど、それを想像すると身体が自然とそれを避けるように動いた。
相手の剣が上段から振り降ろされる。
俺は身体を左へと動かし、それを避ける。
相手は下段の構えから剣を斜め上へと振り上げる。
俺は後ろへと飛び、それを避ける。後ろへ飛ぶのはまだ上手くできない。少しよろけてしまった。
「あのね……。どうして剣を振るんじゃなくて避ける練習をしているのよ」
俺を見ていたヴェナが呆れたように訊いた。
「だって、相手が俺を斬る事を想像するんだろ。避けるに決まっているじゃないか」
「……もういいわよ。やっぱり実際に斬られるという恐怖が無ければ無意味なのかもね。剣の鍛錬じゃなくなっているもの」
「……自分がやれっていったのに」
「じゃあやればいいわ。好きにしなさい」
俺はどうすれば良いのだろうか?
「今日はもう、これくらいにしておく」
「……」
なにも言わないヴェナを置いて部屋へと戻った。
「今日は国境の街に着くわ。かなり大きな街らしいから美味しいものも期待できるわよ」
「いつも美味しいと思うけど」
朝食を食べ、町の外へと出るとこれまでよりも行き交う人の数が多いように感じる。
これから向かう隣の町はその門が国境の検問も兼ねているらしい。
この辺りは交易の為に通行する人が多いようだ。大きな荷物を背負った人々や荷馬車も頻繁に見かける。
「タビトの舌は安上がりでいいわよね」
「ヴェナの舌はお金を食べているみたいだよね」
これまでにいくつかの町を通り過ぎ、どの町の食べものも美味しいと思っていたけれどヴェナの口には合わないらしい。
ヴェナはその食堂で一番高いものをいつも注文している。
「いい女にはお金がかかるものなのよ」
「……」
「なんで黙るのよ」
「脚に集中しなきゃ」
「もう脚なんて見なくても歩けるくせに……」
旅に出てもう一週間が過ぎていた。
歩く事にも慣れてきている。確かに殆ど脚を見る事もなく歩けはする。
旅の初めと比べれば随分と早く歩けるようにはなったが、やっぱり偶に躓くので脚に集中する事は必要だった。
この旅に出て、今日、初めて夕方前に目標とする町へ着く事が出来た。
夕方近くには飛ぶ事が当たり前になっていたので、歩いて町に入ることがなんだか新鮮だと感じる。
「ここが国境の街、スカーブよ」
まるで自分の街のように楽しそうに門の前で俺へと教える。
そんな事は言われなくても判っているが、変な事を言えばヴェナの目が吊り上がるのでやめておいた。
「通行時に銀貨三枚も必要なんだって。昔は一枚だったらしいから随分と値上げされているのね。まったく人の足元を見て、悪徳町長でも居るのかしら」
平気で夕食に銀貨五枚を出すのに、通行料が三枚で文句を言われる町長が可哀想だ。
お金持ちの令嬢なのか、ケチな旅人なのか判らなくなる。
銀貨三枚に顔を渋くさせていたヴェナが、ぱっと笑顔に戻った。
「さあ、行きましょ。きっと楽しい街に違いないわ」
ヴェナは門へと歩き出した。
通門時にはいくつかの質問をされ、ヴェナの言うように銀貨三枚を取られる。
門の中に入ると、そこにはこれまでに見た事がない世界が在った。
建物はさほど高くも綺麗でもないが、それでもあまり見た事がない様式で、ぎゅうぎゅう詰めにされ、密集している。
人の数も歩くのが難しくなる程に多く、怒号のような声さえ聞こえてくる程、人と人との声が溢れていた。
「とにかく宿を探しましょ」
ヴェナの後ろを人とぶつかりながら歩く。なんとか倒れないように気を付けているとヴェナを見失ってしまった。
「あ……、ヴェナ……」
周りを見渡してもヴェナらしき人は見えない。
すっと寒気がした。
こんな場所で一人になんて、どうやって探せば良いのだ。
そうだ。飛んで探せば……。
「なにやってんのよ」
声の方へと振り向くとヴェナが居た。
よかった……。
「まったく、いい歳して……」
そう言うとヴェナは俺の手を握り引っ張るように歩いた。
その歩みはゆっくりとして、俺の歩く速度を気にしてくれている事が判る。
なんだか情けないけれど、繋いだ手が嬉しくもあった。




