克服? 滑稽?
フィオンを出て、三日が過ぎ、その間を毎日歩いていた。
俺が遅く歩いても夕方には飛んで次の町まで行く。今の所は旅程に遅れはないとヴェナは言っていたので旅は順調らしい。
未だに躓いてはいるが、それが苦痛に感じないのはヴェナが俺に合わせてゆっくりと歩いてくれているからだろう。お陰で俺は焦る事も自分に嫌悪を感じる事もなく歩く事ができていた。
ヴェナは景色を見ている事が多く、俺の方を見る事が少ない。気を遣っているのか、それとも本当に景色を見るのが楽しいのか、よくは判らないがゆっくりと歩き、そのお陰で俺は歩く事に集中できていた。
「あの山にね」
ヴェナの言葉にそれまで脚の動きに集中していた俺は歩みを止め、ヴェナの視線の先にある山へと目を向ける。
そろそろ夏も近いというのにその山は雪らしき白い帽子を被っていた。
「白竜様が住んでいるのよ」
「はくりゅう……さま?」
「そうよ。……って、まさかあなた、白竜様を知らないの?」
「……うん」
「ラプったら、本当になにも言っていないのね……」
「ラプ?」
「まあいいわ。あの山にはこの国では神様扱いされている竜が住んでいるの」
「へえ。そうなんだ」
「その姿を見ることが出来れば、その日一日を幸せに過ごす事が出来るって言われているのよ」
「それでさっきからあの山ばかり見ていたのか」
「でも、まあ、見る事なんて出来ないのでしょうね」
「それって本当に住んでいるの?」
「ええ。それは間違えないわ」
「見た事があるの?」
「無いわよ」
「……」
「でも、私達の一族にはすごく関わりのある竜だから、覚えておきなさい」
「幸せになれるってことを?」
「違うわよ。ヴオリ山に住む、白竜様という存在をよ」
「うん。判った」
初めて聞く山の名前と竜の名前を覚えておく必要があるらしいが、それにどんな意味があるのかは判らない。
いつもながら回り諄い。
まあ訊けば済む話なので良いのだけれど。
「『すごく関わりのある竜』って、どういうこと?」
「白竜様はお父様の家系にも、お母様の家系にも、そしてラプにとっても、大切な竜って事よ」
「だから、どうして?」
「……説明が面倒だわ。その内に教えてあげるわよ。そんな事より今は歩きましょ」
そう言うとヴェナは歩きだす。ゆっくりと歩きながらその目はヴオリ山へと向いていた。
「この国には、まだ沢山の竜が住んでいるのかな?」
俺は自分の脚を見て歩きながら訊いてみる。
脚に集中しながら訊くが、それくらいは出来るようにならなければならないだろう。
「そうね。でも、この辺りは少ないかしら。北の方は数十体の竜が居るはずよ」
「北っていうと、じいさん竜が住んでいる辺り?」
「ええ。私も行った事がないからよくは知らないけれど、その辺りには氷竜や青竜が居るらしいわ」
「俺はラプとじいさん竜しか見た事がないけど、そんなに居るんだ」
「……やっぱりあなたはずるいわ。私なんてラプともう一人しか見た事はないわ。それに竜体なんて見たことは無いのよ」
そう言えば、人が住む場所へと来てからはラプが竜になった姿を見た事がなかった。
「ラプに見せてって言えば見せてくれるんじゃないの?」
「何度も言ったことはあるわよ。でもあまり人前じゃ竜体にはなってくれないみたい」
「そうだったんだ」
ヴェナはくるりと身体を回転させると俺の方へと向いて言った。
「あなたはずるいの。そして幸運なの。強い魔力を得て、まず教える事がないラプから剣技すらも教えてもらっているの。ずるいのよ」
ヴェナの目が俺を睨む。
「そんな事を言われても……」
「はぁ。そうよね……」
そう言うと肩を落とし、ゆっくりと前を向き、そして、ゆっくりと歩きだした。
「魔力も剣技もヴェナは持ってるじゃない」
「持っているわよ。でも質が違うわ」
「しつ?」
「人としては強いけれど、ラプと比べたら持っていないようなものなのよ」
「ラプと比べたらでしょ? 比べる必要なんてないと思うんだけど」
「ラプは私が生まれた時から側に居たのよ。兄さんのようなものだわ。そんな身近な人に勝てないなんて……。あなたには判らないでしょうね」
「……」
「それでも人としては私は強いのだと思っていたわ。ところがよ。そこにあなたが現れた。初めてお父様やお母様より強い魔力を持っている人を見て初めは楽しかったけれど……。まあ、それは良いわ。そして、その後は強い魔力だけじゃなくて剣すらも強くなってきている。どれだけ恵まれているのって話だわ」
「……」
どうやらヴェナは俺に嫉妬しているという話らしい。
確かに俺は恵まれているしそれは実感できていた。
生まれた村に居ては一生経験する事のない人生を歩んでいるのだから。
「ところで俺の剣って強くなっているの?」
会話の中でそんな事をヴェナが言っていたように思うので訊いてみるが、まあ、答えは予想できた。
「弱いわよ」
予想通りの答えだ。なんだか前にも同じような事を言われた気がする。
「あなたは剣の事なんて気にしなくてもいいわ。どうせ役に立たないはずだから」
「どうして?」
「その内判るわよ。戦いになったら魔法でも適当に撃っていれば問題ないわ」
俺程度の強さでは実戦では使えないと言う事だろうか?
少し気になるが、確かに剣などあまり使いたくはない。
病気を克服したからといっても剣が好きになったという訳ではないし、戦いなどというものはあまりやりたい事ではなかった。
会話も途切れ、黙々と歩く。
ずっと脚を見ながら歩き、あまり景色を見ている余裕はないのだけれど、それでも景色の変化には気が付く。もちろん日々変わっているのだけれど、フィオン周辺とは明らかな違いが見てとれる。
空の色から木々の種類、行き交う人の顔付きや服装などなど、似たような景色であっても、その景色を構成しているものはなにかしらの変化を感じた。
町と町を繋ぐ道は深い森となる事が多く、空も雲りがちなフィオン周辺とは異なり晴れの日が続いている。
坂が多く、山道を歩き慣れていない俺は、更に遅く歩く事になった。
「そろそろ休憩でもする?」
「ん? まだ大丈夫だよ」
「そう。疲れたら言ってね。まだこの森は続くわよ」
「うん」
フィオンの街周辺では、まだ肌寒さがあったが、この辺りでは歩くだけでも汗が額から落ちる程になっている。
夏が近付いている。
それだけではなく、南下するにつれて暑さも増しているように感じた。
最初の目標地であるエテナまでは、あと三日程かかるらしいが、どれ程暑くなるのだろうか?
その後で更に南にある萎竜賊の村と呼ばれる場所まで行くらしい。いったいどんな場所なのだろうか?
また見た事がないような景色を見れるのだろう。
不意にヴェナが立ち止まる。
俺も立ち止まりヴェナを見るが、俺へ振り向く事もなくただ動かず立っていた。
「どうしたの?」
「静かにして」
周りは人の姿は見えず、ただ風が森の木を揺らす音だけが聴こえてくる。
ヴェナはどうしたと言うのだろうか?
じっと動かないヴェナへと再び声を掛けようとした時だった。
突然、ばさばさ、がさがさと森の中から音がしたかと思うと、俺とヴェナの前に三人の男が飛び出してきた。
その三人の手には剣が持たれ、俺とヴェナの前に立って、にやついた顔でこちらを見ている。
「山賊よ」
ヴェナはそう言うと腰の剣を抜いた。
「え? えっ?」
俺はなに事が起きているのか判らず、ぼんやりと立っている事しかできない。
ゆっくりとこちらへと歩いてくる前の三人を睨み付けながらヴェナが言う。
「後ろにも三人居るわ。気を付けなさい」
ようやく山賊と言う言葉が理解できた俺は、ヴェナの言葉に後ろへと身体を向けた。
確かに三人の男が居た。
二人が弓を構え、一人が剣を抜いてこちらを見ている。
あ、この感覚は……。
克服していたと思っていた。
もう一年以上前に感じなくなっていると思っていた。
剣に対して嫌悪感など無くなっていたと思っていた。
気付くと膝を折り、地面へ手を付いて脂汗が額から落ちている。
「しっかりしなさい。こいつらなんて、そんなに強い訳じゃないのよ」
ヴェナの声がなんだか遠く感じる。言葉の意味が頭に入ってこない。顔を上げる事も出来ない。
胃の中が掻き回されているかのように感じ、胸がむかむかとする。
地面に着いている手は指先が勝手に小刻みに動いている。俺は震えていた。
「おいおい、言ってくれるねぇ。この人数に勝てるつもりかよ」
声は俺の前から聞こえてくる。
必至で顔を上げ、その声の持ち主へと向けた。
弓を持った二人の間に立って剣を持っている人間がその声の主らしい。
手に持った剣は、これまでに見たことが無いほど巨大だ。
その山賊は剣を振り上げ、自分の肩へと置いた。
そしてその剣は日の光を反射し、ギラリと光った。
俺は気を失った。
目覚めると目の前には木々の間から日の光りがキラキラと見える場所に横になっている。
身体を起こし、俺の横を見ると座っているヴェナが居た。
「やっと起きた」
「……」
「覚えてる?」
そう言えばどうしてこんな所で横になっていたのだろうか?
「なにを?」
「……」
自分の問いに対しての答えが記憶の中から蘇ってくる。
「ああ、そうか……」
「思い出した?」
「……あいつらは?」
「あそこよ」
少し離れた道の端に何人かの人が見える。全員、縄で縛られ座っていた。
「一人でやったの?」
「他に誰が居るっていうのよ」
「殺したの?」
「みんな生きてると思うわ。ちゃんと確かめてないけど」
再び山賊達へと目を向けるが、みんな項垂れたように顔を下に向けて座っていた。
全員、意識は無いように見える。
「どうやって倒したの? 怪我しているような人は居ないように見えるけど」
「あなたがちゃんと戦ってくれていたら私も剣で相手をするつもりだったけれど、剣だけで六人を相手にするのはあの山賊が言ったように無茶なのよね。しょうがないから雷光を落としてやったわ」
「ごめん……」
「まあ、判っていたことだから気にしなくてもいいわ」
「判っていた?」
「ええ。お父様もラプも、たぶん、まだ治っていないだろうって言っていたから、そういう気構えはできていたわ」
「えっ……そうだったんだ……」
「もう歩けるわよね?」
「ああ、うん。もう大丈夫」
「それじゃ行きましょ。あなた二時間くらい眠っていたのよ」
「うん……」
ヴェナは俺が立ち上がると、ゆっくりと歩きだした。
俺の前を歩く少女の背中は小さく見える。
まだ子供と言っても良いくらいの、俺と同じくらいの背丈でしかないこの少女は、なんと強いのだろう。
たった一人で大人の荒くれ者を六人も倒すなんて、とてもじゃないけれど俺では敵わない。
なんとも滑稽だ。
俺は強くなったと思っていた。
病気も克服したと思っていた。
なんて滑稽なんだ。
俺は今日、ヴェナの強さを知り、自分の弱さを知った。




