28話 ボクラのミチ
バルコニーに放り投げられる。
冷たい木張りの床。
入り口から、ゆっくりと出てくる夢菜。
その隣に立つ、ひかり。
顔のない妹たち。
いつから、僕らの道は歪んでしまったのだろう。
僕が生まれたときからだろうか。
夢菜とひかりが生まれたときからだろうか。
それとも、何気ない日常のなかで歪んでいったのかもしれない。
ファーストキスの相手は初恋の妹で。
初めて体を重ねた相手は、もうひとりの妹で。
吐き気がするほどに穢れ切った僕の人生は、どうしようもなく泥水に塗れてしまっている。
後ろを見ても真っ暗な崖しか見えない。前を見ても壁しか見えない。
終わらせたほうがいいのかもしれない。
でも、終わらせたくない人生でもある。
丹波の親友になれた。
どうしようもなく前向きで、隣にいるだけで自己嫌悪するほどに輝いていた。大好きなやつだった。こいつがいれば、人生は捨てたもんじゃないと思えるほど、いいやつだった。
雛菊姫子を好きになった。
いつも自信ありげな笑みを浮かべ、頭もよく運動もできる後輩だった。僕のことを愛してくれたのがたとえ彼女だけの心じゃなくても、素直に嬉しいと思えた。僕も、愛していた。
東雲天満と友達になった。
臆病で気弱で、いつも目を下に向けていた。そのぶん優しかった。罪もない小学生を殺したことが事実だとしても、僕は彼女のことを嫌いになれそうになかった。どこか、僕と似ていたからだ。
僕が深くかかわった友達なんて、これくらいだ。
決して多くはない。
でも、充分だった。
それだけあればよかったんだ。
……だけど僕らの道は、交わらない。
丹波はこれからも、前を向いて生きるのだろう。
僕の知らないところで、僕の知らないひとと仲良くなって、生きていくのだろう。
雛菊の人生は終わってしまった。わけもわからないうちに、自らその道を絶ってしまった。
僕は死ぬまで彼女に謝らなければならない。死ぬまで愛し続けなければならない。
東雲の人生もまた、終わりを迎えた。あるいはとっくに終わっていたのかもしれない。
だからこそ、最期もあっけなかった。抵抗するそぶりすら見せなかった。
道は大きく形を変える。
僕ら兄妹の道も、ここで大きく変貌を遂げる。
「…………綺麗な月だ」
深い夜の月は、鈍色に輝く。
美しく、切なく、僕らを照らす。
バルコニーに横たわる僕と、その傍らに立つ彼女たち。
首のない、妹たち。
顔のないふたりは、それでもじっと僕を見ていた。
僕がどうするのか、見ている。
『選ぶのよ』
かつてひかりが言ったことを思い出す。
『猟奇か復讐か、あんたは選ぶの』
その意味は、いままでまったくわからなかった。
でも、いまならわかる。
肉親に抱く劣情は、夢菜だけじゃなく僕も持っている。形は違えど、ひかりも持っているだろう。これは僕たち一族がそういうものだからだと東雲が言っていた。
その猟奇の愛を、受け入れている夢菜。
その肉親を嫌悪しているのはひかり。なぜひかりが僕のことを嫌いになのか。自分に言い聞かせるように嫌いだと言い続けてきたのか。
それは、自分の情を決めてしまう血への復讐。
僕は選ばなければならない。
猟奇か復讐か。
一族を存続させるのか、それとも途絶えさせるのか。
夢菜を見る。
首がなくても彼女は美しい。むしろ妖艶だった。なまめかしい鎖骨に、膨らんだ胸。すらりと伸びた足のうえには肉付きのいい尻。ひくひくと、僕を求めたくて疼いているのがわかる。僕を誘うように足に蜜を垂らしている。
ひかりを見る。
首がなければ、さらに小柄に見えた。成長が止まってしまったような体格は、それもまた血への復讐なのかもしれない。自暴自棄になって僕に抱かれようとしたこの体は、夢菜と正反対に、まだその準備ができていないようだった。僕もまた、なぜかひかりには劣情を抱かない。抱けない。
『『選んで』』
と、ふたりは無言で僕を見下ろす。
最初からこうするつもりだったのだろうか。
夢菜もひかりも。
ふたりは双子の姉妹だった。
むかしから、正反対の姉妹だった。
誰からも好かれ、誰よりも優等な夢菜。
誰にも好かれず、優等も劣等もないひかり。
自分たちのなかに飼っていた化け物のままに生きた夢菜。
化け物に復讐をし続けてきたひかり。
僕は、そんなふたりともが大好きだった。
「……でも、選ばなければならない」
それくらい僕にもわかっている。
選ばなければ、すべてが無駄になってしまう。
逃げない。
ひかりの復讐も、夢菜の猟奇も、雛菊の死も、東雲の殺人も、すべてが泡となって消えていく。
僕の悩みも葛藤も、ぜんぶなかったことになってしまう。
それだけはできない。
「そうだろ? 丹波」
いまごろはベッドのなかで寝ている親友に、問いかける。
日常を楽しむ最高の友達に、問いかけてみた。
あいつならうなずくだろう。
自分で選べ、と言うだろう。
……ああ。
僕もすこしだけ、丹波に近づけたのかもしれない。
「……だから、選ぶよ」
起きあがる。
僕の横に立っているふたりを見上げる。
僕の選択を待つふたりがいる。
兄を待つ妹たちがいる。
首のない死体には、沈黙がやけに似合う。
「僕は……………………」
僕らの道は、ここで変わる。
双子の妹が生まれたとき、すごく嬉しかったのを覚えている。
可愛い妹たちができて嬉しかったのを覚えている。
それから三人一緒だった。
ずっと、三人一緒に育った。
離婚しても、たとえ死に分かたれようとも。
いまのいままで、僕らは三人で歩んできた。
だけど――
「……僕は、」
もう、終わりだ。
僕らの道は、ひとりを失う。
それが僕の、選択だった。
「――――――――――――――。」




