27話 ウツロのスキ
「…………なんだ…………こいつは」
播磨が目を剥いてつぶやいた直後、ひかりが僕の手をとった。
ベランダから、部屋のなかへ駆けこむ。
「おじさん、逃げて!」
ひかりは硬直して銃を構えたままの播磨に声をかける。
播磨はハッとして、銃を下ろした。
通り過ぎる僕の腕を掴んでくる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ鏡くん、こいつはいったい――」
「話はあと! 逃げるわよ!」
有無を言わせないひかりの口調に、播磨は口をつぐんでうなずいた。
僕たち三人は、部屋から廊下に走り出る。
ちらりと振り返ったとき、ベランダで倒れる夢菜の体が、また起き上ろうとしているところだった。
ペンションから飛び出した僕らは、坂を駆け降りる。月明かりは木々に阻まれ、ねっとりとした空気が肌にまとわりついてくる。土を踏みしめる一歩がやけに重い。
ちらちらと後ろを振り返りながら、播磨がついてくる。
「ねえ、あのおじさん誰!?」
「刑事」
ようやっと、ひかりは播磨に気を回す余裕が出たらしい。僕が即答すると、舌打ちして顔をしかめた。
「なんでこんなときに……」
「さあ、なんでだろうね」
「物騒なもの持ってるし……ちっ」
「東雲天満さん、ですね?
声が聞こえていたのか長身の播磨が近づいてきて、ひかり――東雲に視線を落とした。
その目は、どことなく鋭かった。
ひかりはすこし走る速度を緩めた。
「……そうだけど、なに?」
「あの化け物は、なんですかな?」
「さあ知らないわよ。……なんであたしに聞くの?」
「なにか知ってる風だったから」
また、ひかりの走る速度が遅くなる。
意味深な言葉はひかりの警戒を生む。
「……どういう意味?」
「そのままの意味ですな」
「なにも知らないわよ」
「あんなものに襲われてもそれほど動揺がないように見えますが?」
「顔に出ないだけよ」
「……首と離れた胴体は見慣れたの間違いじゃないですかな?」
ぴたり。
と、ひかりの足が止まった。
僕たちもとっさに止める。
播磨の視線は、敵を見るそれになっていた。
まさかひかりと夢菜の秘密を知っているわけではないだろう。
どういうことだ――と僕が問う前に、播磨が淡々と告げた。
「先日、雛菊グループが隠し持っていた街頭カメラの映像提供がありましてな。なんと警察が閲覧できる映像数の三倍ものカメラが設置されていることがわかったんですよ。いやあ、さすが天下の雛菊。驚きです。まあそれはともかく、公園付近での映像もまた、捉えることができたんですな」
「…………。」
「むろん、犯人は映ってなかった。直接の証拠はない。しかし不自然な点ならありました。東雲天満さん……キミが鏡くんの家の近くから、街頭カメラに一切映ってないことです」
雛菊が言っていたことと同じだった。
だが、その理由は、ひかりと打ち合わせするためだったはずだ。
そして雛菊の胴体を、持ち帰って処分するためで……
「まあ、なにか理由があったとしましょう。東雲天満はカメラに映ってはいけない事情があったから、映らなかった。……ならここでひとつ事実が浮かびますな。つまり、東雲天満は通常の街頭カメラ以外にも、隠しカメラの位置まですべて把握していた」
「…………。」
「キミの家の東雲出版は、雛菊グループの傘下でもある。そして東雲さん、キミは中学時代、雛菊のお嬢様と同じ学校に通っていた。誕生日パーティにも幾度となく出席した。そうですな?」
そうだったのか。
まったく知らなかった。
「親交は、そこそこ深かったんですな。なら、なにかの拍子に街頭カメラのことを知っても不思議ではないはずです。隠しカメラの存在さえ知ってしまえば、あとはゆっくり探しながら歩けばいいだけですからな。一年もあれば、通学路や生活領域内の道路にこっそり設置してあるカメラくらい、見つけることができるでしょう。……だからこそ、キミはカメラを避けて歩くことができる。違いますかな?」
ひかりは無言だった。
「公園で少女が殺害されたのはその時刻とほぼ同時。その数分後に、鏡夢菜が鏡くんのマンションを訪れている。そしてその三十分後、鏡夢菜の死体が発見された。少女の胴体は公園内で見つかったが、鏡夢菜の死体はまだ不明…………ふむ。これはやや奇特な考えかもしれませんが、もしかしてさっきの動く首なし死体は……鏡夢菜のものではないですかな? どうやって動いてるのかわかりませんし現実的ではないのですが……もしかして、それもご存じじゃないのですかな? なんせあなたは東雲出版のひとり娘。この街に関する奇怪な書物なども、会社の書架に並んでいるのでしょう?」
僕は息を止める。
真実を当ててのけた播磨。警視庁刑事の肩書が伊達ではないことを示していた。
じっと動かずにうつむくのは、ひかりか、東雲か。
「違いますかな? 東雲天満さん」
「…………ねえ、鏡くん」
東雲だった。
メガネがないからか、どこかぼんやりとした表情で僕を見る。
播磨の言うことは気にしていないようでもあった。
「鏡くんは、憶えてる? あの五年前の海のときのこと」
海のこと。
それは、溺れかけた子供を助けたときのこと。
「わたしね……あのとき鏡くんに助けてもらってから、ずっとあなたに感謝してたの」
あの海のとき。
僕が助けたのは、雛菊だけじゃなかった。
溺れかけていたのは雛菊だけじゃなかったのだ。
あのとき一緒に遊んでいた女の子ふたりが、同時に溺れかけていた。
僕はそのふたりを同時に抱えて、砂浜に戻ったのだ。
てっきり雛菊と同じ歳の子だと思っていた。ふたりとも小柄で幼かった。小学生だと思った。
東雲と雛菊は、ずっと親交があったのだ。
その可能性にはまったく思い当たらなかった。
「わたしは、鏡くんに感謝してる。雛菊さんはあの頃からずっと、鏡くんのことを想ってた。わたしもちょっとはカッコいいなって思ってたし、雛菊さんがいなければ好きになったかもしれない。だけどそれ以上に、鏡くんには感謝してた。まあ、最近になるまであなたがそうだって知らなかったんだけど……なにか恩返ししたいなって思ってたの。
そんなときひかりちゃんに出会った。図書館で、同じ本を取ろうとしたのが始まり。読書の趣味が合って、話が合って、鏡くんのことを知って、それが恩人だと知って……だけどわたしの体はどんどん弱くなっていて、もうすぐ死ぬから恩が返しなんてできない……。だからわたし、ひかりちゃんに言ったの。『この街には昔から体をすり替えて他人のふりをする化け物一族がいて、もしそんなものが本当にいるなら、わたしの体と交換してほしい』って。…………それで、いまに至るの。わかる?」
東雲は、寂しそうに笑った。
「失敗はできなかったの。失敗はできない。やり直しはきかないの。首を切って繋げるなんて、すごく怖いじゃない? ほんとはひかりちゃんが全部やってくれるって知ってたんだけど、どうしても怖くって……それで……」
「…………小学生で、試したのか…………?」
うなずく東雲。
僕は何も言うことができない。
播磨はじっと、真偽を見定めるかのように東雲を睨む。
――肌寒くなるような、静寂。
それを破ったのは、足音だった。
ざり、ざり
引きずるような音が聞こえて、坂の上に視線を向ける。
首のない体が、ゆっくりと歩いてくる。
木々の隙間から漏れるわずかな月光が、樹脂化した首の断面を照らす。
「……話は、あとで聞きましょうか。とにかくふたりとも、まずは逃げよう」
播磨が蒼白な顔をして後ずさる。あれが恐ろしいものだということは、十二分にわかっているようだ。
僕もすぐに東雲の手を取って走りだそうとしてーー
パン!
と払われた。
「……東雲……?」
「あたしは、いい」
ひかりに戻っていた。
「なに言ってんだよ」
「だから、いいのよ。もう疲れたって言ってんの」
「なにがだよ! はやくいくぞ!」
「嘘をつくのも、誤魔化すのも、もう疲れたの! この頭をもらったとき、小学生を殺したことも知ったの。東雲さんはね、兄ちゃんに恩返しをしないまま死ぬことが怖かったから、そうした。それがわかってたから、あたしは黙ってたのよ。だけど……刑事? 刑事にバレて、夢の体のことだってバレて、そうすればあたしのことだってバレるじゃん。こんな化け物がいるって知られて、そしたらあたし、どうなるのよ? 解体されて調べられるの? それとも実験動物みたいに変なこといっぱいされるの? そんなの嫌よ。あたし嬉しかったんだよ。東雲さんが必要としてくれて……あたし、東雲さん、好きだったから。好きなひとがいるのに、でも、自分より優秀なひとがそのひとのことを好きで、身を引くしかないってわかってて、遠慮して好きだって言えないその姿が、すっごく共感できたのよ。だからあたし、東雲さんに体をあげることにしたのよ、もしかしたら……もしかしたらって、可能性に賭けて!」
「…………なにを…………」
言ってるんだ。
夢菜が迫ってくる。
手には包丁をだらしなくぶら下げた首なしが、近づいてくる。
なのに、ひかりはただ僕を見ていた。
僕を見つめていた。
「……もしかしたら、て、思ってたのよ。もしかしたら兄ちゃんは雛菊姫子じゃなくて、東雲天満を選ぶかもしれないって……でもそんなことなかった。あんたは雛菊姫子を選んだ。夢を選んだ。あたしと東雲さんがどれだけ苦しんだと思ってんの? どれだけ悔しんだと思ってんの?」
ひかりはうっすらと泣いていた。
だけど、決して涙を落とすことはなく。
淀んだその両目で、訴えかけてくる。
「あたしはあんたのことが嫌い。死ぬほど嫌い。だからこそ好きなの。好き。好きなの。好きで、好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで…………たまらないの」
ひかりは、笑んだ。
その言葉は虚ろだった。
好きという言葉には、中身がなかった。
嫌いだから好き。
ただそれだけの〝好き〟
たったそれだけ……だけど、大きくなりすぎたソレをずっと抱えてきたひかりは、笑っていた。
「だから兄ちゃんは……夢には渡さない」
ひかりは振り返った。
夢菜と対峙する。
「ねえ、そうでしょ夢? あなたも同じこと、思ってるのよね?」
夢菜は包丁をゆっくりとあげていく。
まるでひかりの言葉にうなずくように。
「……最初から、わかってたのよね? あんたも、あたしの気持ちに」
包丁が振りかぶられた。
直後に、パン! と響く乾いた銃声。
しかしこんどは、夢菜の体を一瞬止めるだけにすぎなかった。
わずかな逡巡をしたように、夢菜の手元が震える。しかし。
その刹那、包丁が煌めいた。
ひかりは僕に背を向けたまま、小さくつぶやいた。
「兄ちゃんなんて大嫌い。でも、大好き。だから…………渡さない」
ひかりの首に、突き立った。
ザクリ……
ザクリ。
ザクリ。
一度だけじゃない。
血を噴き出し、それでも立ったままのひかりに、何度も何度も。
東雲の頭部が、ひかりの胴体から外れ落ちるまで。
何度も、何度も。
慌てた播磨が、もう一度銃声を打ち鳴らす。
夢菜の胴体はわずかにぐらついたが、すぐに姿勢を正し、いきなり包丁を投げた。
「あ」
播磨の胸に、包丁が突き立つ。
深々と、突き立った。
あっけなく、口から血を吐いて倒れる播磨。
夢菜は、力任せにひかりと東雲を引き離す。
筋繊維と骨の千切れる音は、今日二度目だった。
あっという間の出来事だった。
僕は茫然と、抵抗できずに夢菜にひきずられて、ペンションに戻っていく。
夢菜のもう片手にひきずられるひかりの体の傷口が樹脂化して、その体は緩慢に蠢きだしていた。




