表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒカリノヤミ ~双子の怪物は愛を呪う~  作者: 裏山おもて
4章 Monster

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/32

22話 motive


「遅いじゃない。妹を待たせるとはどういうつもり?」


 トゲのある声に、自然と足が止まる。




 蜃気楼が揺らぐ駅前のロータリーで、小柄な少女が腰に手を当てて待っていた。

 白いワンピースに白い麦わら帽子。白いバッグに白いヒール。

 まるっきり服や装飾の色の趣味が正反対になってしまった彼女は、呆れたように言う。

 ……東雲天満としてではなく、鏡ひかりとして。


「しゃきっとしなさいよね、セロリみたいにさ」


 時間は守ったはずだ。

 腕時計を見ると、やはり待ち合わせ五分前。駅前の時計台を見上げても同じ時刻を差している。家の時計が故障していたとか、勘違いしていたとかではない。


「……ちゃんと五分前に来てるんだからいいだろ」 

「よくない。あたしが待った。暑い。喉かわいた」

「はいはい」


 わがままなところもひかりらしい。

 でも、とくに不満は抱かない。

 久しぶりとはいえ、十五年も一緒にすごした慣れ親しんだ相手だ。


「炭酸飲みたい」

「あれ、炭酸嫌いじゃなかったっけ? 存在する意味がわからないとか言ってたよね」

「好きになったのよ。いちいちうるさいわね。それよりほら、行くわよ」

「ああ、うん」


 僕は歩き出す。

 ひかりの後ろを歩くのはいつぶりだろう。懐かしくて、つい笑みが浮かんだ。 

 ……ただ、セロリの喩えは、ちょっとどうかと思う。






「か、かがみくん……」


 東雲に誘われたのは部会のさなかだった。

 天体観測反省会の名目であつまった天文部の面々だったけど、どうやらそれはあくまで名目だった。とくに予定のない者たちは部室で楽しげに喋ることが目的だったようで、もちろん輪の中心は丹波だったが、ほかにも何人か盛り上げる役回りがいて、部室内はひたすらに騒がしかった。

 

「あのね、ひかりちゃんから伝言なんだけど、あした一時に駅前に来てって……」

「ひかりが?」


 東雲はうなずいた。それっきり黙りこむ。

 僕から詳しく聞くことはできなかった。どう接していいのかわからなくて戸惑っていたのもそうだけど、たとえひかりが直接出てくるように頼んでも、部のみんなの視線があるなかで、彼女がでてくるわけもない。

 だから僕はしかたなく従った。

 それだけのつもりだった。てっきり、なにか話があるんだと思ってたんだけど……。


「ほら、あれ見てよ超ブサイク。あんたみたい」

「そうだね」

「あっちは可愛いわね。でも肉食のイソギンチャクとかに食べられちゃうんでしょ? どうせ」

「そうだね」

「うっわ、あれマジでキモいんだけど。キモい、けど、ちょっといいよね、愛嬌あるし」

「そうだね」


 僕は肩の力を抜く。


「なによその反応。まじめに答える気ある?」

「ないよ。それよりなんでこんなところにいんの?」


 僕たちがいるのは水族館。

 隣町の水族館。むかし一度だけ来たことがあった。

 ここは深海ゾーンと銘打たれた暗い部屋だった。水槽にベタリと張り付くひかりは、邪魔そうに眼鏡を取った。東雲はいつも眼鏡だけど、ひかりはコンタクト派なのだ。うっかり東雲の状態のまま眼鏡をかけていたらしい。


「いいじゃないどうでも。それよりさ、せっかくここまで魚見にきたんだし、イルカのショーいくわよ」

「わかったから引っ張るなって」

「イルカのショーいくわよ」

「なんで二回も言うんだよ」

「イルカなのよ、ここ大事。今日はイルカを見るために来たといっても過言じゃないわ」

「……イルカって魚類じゃないんだけど」

「細かいわね! うるさい男は嫌われるわよ!」

「ひかりはとっくに嫌いなんだろ、僕のこと」

「嫌いだからどうっての? イルカを見に行かない理由にはならないでしょ!」


 なにを言っても通じない。

 まあいい。

 僕もイルカは嫌いじゃない。なまじ賢いから、余計なことをしようとしないところが好きだ。

 ショーは単調だったけど、面白かった。マイクパフォーマンスのお姉さんも上手で、小さな子供たちが水飛沫を浴びるたびにキャッキャと喜ぶ。イルカはそんな客の反応を煽るためか、さらに水を跳ねさせていた。五メートルジャンプは二回ほど失敗したけど、三回目で綺麗で鋭い放物線を描き、見事に空中の輪をくぐった。僕の横で、ひかりがつい「やった!」と小声を上げたのは、ひかり自身を含めて僕以外誰も気づいていなかった。

 ショーが終わると、いつのまにか夕日が傾き始める時間になっていた。


「さ、つぎは映画行くわよ」

「え? まだ遊ぶの?」

「なに言ってんの。見たい映画があるって、最初に言ったじゃん」


 夏休みらしい一日。

 兄妹らしい喧嘩腰の会話。

 平和な光景。

 平穏な風景。


「……ほら、今日はカップル限定の割引があるんだから、ちゃんと手繋いでカップルらしくしててよね」


 ただし彼女は東雲天満でもあるのだ。

 だから僕は、つい戸惑ってしまう。

 ひかりだけなら、なにもためらいはない。手を繋ぐくらいどうでもいい。

 だけど彼女は東雲でもある。

 東雲と手を繋ぐのは、躊躇する。


「いいから、ほら!」


 ぱっと掴まれた。

 必要以上に込められた握力。

 そこに込めたひかりの気持ちは、僕にはわからない。


 映画は平凡な恋愛もの。

 ひかりが好きそうなものじゃない。読書家だったひかりは、王道の話なんて飽き飽きしているといつも言っていた。映画ならなおさらで、いつもアクションかSFものばかりを好む傾向だったのに。

 それなのに、ひかりは映画館のなかでもじっとスクリーンを見つめていた。

 銀幕のむこうに映る、穏やかで微細な世界を、じっと見つめていた。

 終盤にさしかかったとき、僕はちょっとだけひかりの横顔を盗み見る。

 僕の手を握って、感動で震えているひかりの横顔を見下ろす。

 うっすらと涙を浮かべるその表情は、黙っていると東雲なのかひかりなのかわからない。


 でも、握られた手はほどけない。

 映画はそのまま、バッドエンドで終わってしまった。


 エンドロールになり客がまばらに去っていっても、ひかりは立ちあがらなかった。

 感傷にひたるなんて、やはりいつものひかりらしくない。

 やっぱりこの映画を見たかったのは、東雲のほうだったのか。

 僕がそう確信すると、


「……さ、つぎはレストランね」


 少しだけ目元を赤くしたまま、ひかりが言った。


 ひかりが予約していたレストランは、思っていたよりもリーズナブルだった。

 万が一のことを考えて多めに持ってきた財布の中身も、かなり余裕。

 アルコールを注文してもバレないかと悩むひかりに、僕は久しぶりに怒った。体はひかりだけど脳は東雲のものなんだぞ――そう言いそうになって、僕は慌てて口をつぐむ。そんなセリフが自然と口から出てきそうになったことに、かすかな不快感と自己嫌悪を覚えた。


 料理自体はとてもおいしかった。ウェイターが新人だったのか、サービス面でやや納得いかない部分もあったけど、珍しくひかりがそういったことに腹を立てなかった。いままでなら「なんなのよ、もう!」とこっそり憤慨していたけど、無頓着だった。これはさすがに東雲だから、ではないだろう。ひかりは僕に対する不平不満をずっと言い続けていたからだ。


 デザートも食べ終え、ひといきつく。

 ひかりが化粧直しに行く、と言って席を立っているあいだ、僕は考える。



 ひかりのこと。

 夢菜のこと。



 僕はいままで、彼女たちの秘密に気付かなかった。

 ふつうは気付くものではない、とひかりは言った。東雲だって知ったのは偶然だったとも言った。だから僕が知らなくてもおかしくない。

 けど、それで納得できかと言われたら、できない。

 僕は彼女たちの兄だった。

 ずっと、兄だった。

 そんな僕が、気付いてやれなかったのは悔しいし、不甲斐ない。


 ……嫌悪感なんてとうになかった。


 僕もまた気持ち悪い心をもっているからだろうか。

 それとも、ただ否定するのに疲れただけなのだろうか。

 

 わからない。

 僕は自分の気持ちすら、よくわからない。





「ねえ、デートの最後は決まってるから」


 そう言って連れていかれたのは、繁華街から少し横道にそれた場所だった。

 いかにもいかがわしい店が密集する裏通り。

 酒と反吐の匂いが立ちこめる、夜の街。


「なに、本当に酒が飲みたかったの?」

「はあ? ばかじゃないの」


 そう言い捨てたひかりが僕を連れていったのは、ひとつの建物の前。

 紫色の看板の前。


「…………おい」

「なによ。いいでしょ、べつに」


 冗談にしても笑えない。

 ラブホテルなんて、笑えない。


「おまえ、自分が何言ってるかわかってんのか?」

「あたりまえでしょ。それくらいわかってるわよ。兄ちゃん」


 真剣な表情。

 まっすぐに僕を見てくる。


 そんな視線は見たくない。


「……帰るぞ」

「なによ。逃げるの?」

「そうじゃねえだろ。おかしいだろ、そもそも。俺はおまえの兄なんだぞ」


 無理やりひかりを引きずって歩こうとする。


「――のに?」

「え?」

「――夢とは、セックスしたのに?」


 殺意すら籠った声だった。


「夢の処女は奪っておいて、なに偉そうに言ってんの? 妹の体を凌辱しておいて、なに真面目ぶって言ってんの? 忘れたわけじゃないんでしょ? 妹の体に欲情して抱いて犯しておいて、いまさらなに言って――」


 パン!


 僕はひかりの頬をぶった。


 ……わかってる。

 考えないようにしてたわけじゃない。

 僕が好きになった雛菊は、最初から雛菊じゃなかった。

 海辺のペンションで惹かれたのは、雛菊にじゃなくて(、、、、、、、、)夢の体にだった(、、、、、、、)ってことも自覚してる。

 僕はどうしようもない男だってことくらい、わかってる。


 だけど。


「バカなことを言うな」


 だからこそ。

 ひかりにまで、そんなことはできない。

 そんな想いをさせたくない。


「それでも僕は、おまえの兄なんだよ。たしかに僕は夢を汚した。知らなかったとはいえ、夢の体を汚してしまった。……だけど、僕はおまえの兄なんだよ。夢とはもう兄妹じゃなくても、僕はおまえの兄なんだよ。僕はおまえの兄でいることを誓った。おまえだけはずっと守っていくことを誓ったんだ。だからひかり、おまえがそんなことを言わないでくれ。頼むから、そんなことしようとしないでくれ」


 伝わっただろうか。

 僕の言いたいことは、伝わっただろうか。


 ひかりはしばらく、僕をじっと見て。


「……………………ああ、そういうことだったの」


 長い長い、ため息を吐き出した。

 それは誰に充てた言葉だったのか、僕はなんとなくわかった。

 ひかりは真っ暗な空を眺める。

 ネオンのせいで見えない星空に、なにかを見るように。


「あんた、ほんとうに、本気だったんだね」


 それはおそらく、夢菜に充てた言葉。

 でも、なにが言いたかったのかは僕にはわからない。


「……そう、わかったわよ」


 ようやく僕へ向けた言葉。


「あたしは妹、夢は元妹、雛菊姫子は恋人、東雲天満はクラスメイト。だから兄ちゃんはあたしは抱けない。夢は抱ける。そういうことでしょ?」

「だから、それは――」

「いいわよ。わかってるわよ」

「あのさ、言っておくけど僕はもう――」

「わかってるっていってるでしょ!」


 ひかりは、ハンドバッグを投げつけてきた。


「ええ、そうでしょ。最初からわかってたのよ。あんたにとって、あたしは妹。最初から最後まで、ずっと妹だってことくらいわかってた。妹のあたしはあんたが嫌い。嫌いで嫌いで仕方がない。だからあんたが愛するなら、あたしみたいにあんたが嫌いな人間にならよかったの。そうすればあんたは幸せになんてなれない。ずっと不幸なままだって、ずっと報われないままだって! そうなればあたしはすごくうれしいって! ……悪かったわね、どうせあたしは歪んでるわよ! 大嫌いなあんたに抱かれることで、あたしも不幸になれるって思っただけ! ふたり揃って不幸になれば、それはあたしにとっての幸せになるから、それがいいって思ってただけよ! だからもういいわ! こんな恋人ごっこはもうたくさん! 一日中気持ち悪かった! 虫唾が走った! だからちょっとだけあんたに拒否されてよかったって思ってるのよ! 安心して頂戴、兄ちゃんなんてずっとずっと、ずうっと嫌いだった。死ぬほど嫌いで殺したくなるほど嫌いで犯したくなるほど嫌いだった! だから――」


「ひかりっ!」


 僕は、ひかりの声を遮って、彼女を抱きしめる。


 見ていられない。

 壊れそうなほど叫ぶひかりを。

 狂いそうなほど叫ぶひかりを。


 僕は見ていたくない。


「は、離してよっ」

「離すもんかよ! おまえが僕のことを嫌いってことくらい、ずっとわかってるよ! おまえが歪んでるってことくらいわかってるし、おまえが不幸になりたがってるってことも最初からわかってた!」


 それくらいわかってる。

 だって、僕はひかりの兄だから。


「僕が嫌いなのは知ってる。だけど、それでも、僕はおまえが好きなんだよ。好きで好きでたまらない。依存するほど好きだった。妹をやめられないくらい好きだった。もし夢じゃなくておまえの体を抱いてたら、たぶん自殺してたほど、おまえのことが好きなんだよ! そのままのおまえが好きなんだよ。バカなこと言って、バカなことやって、僕のことが大嫌いなおまえが大好きなんだよ!」

「な、なによ、それ……」

「だから、そんなふうに言うな! 歪んでたってかまわない、化け物だってかまわない、それでもおまえは僕の大好きな妹なんだよ!」

「……なによ、それ」


 ひかりは泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。


「……なんなのよそれ……そんなの、ただのシスコンじゃん……キモっ」

「うるせ」


 僕は腕の中にいる妹の頭を、くしゃりと撫でた。


 たぶん。僕は初めてだったと想う。


 自分の本音を、誰かにぶつけたのは。

 





 それからしばらくして、くすくすと笑う声に囲まれていることに気付いた僕たちは、自分たちのいた場所を思い出す。

 ラブホテル前。

 そんなところでこんなことを言い合って、僕たちはさぞかし奇怪なカップルだっただろう。

 顔から火が出そうなほど恥ずかしくなって、そそくさとその場を後にした。

 駅に向かう途中、ひかりが「別々に帰る! 兄ちゃんは後から帰って!」と言って走って行ってしまった。なんとか仲直りはできたようで、ほっとする。

 僕はひかりの命令通り、しばらくファストフード店で時間を潰した。

 そろそろいいかな、と店を出る。


「やあ、偶然ですな」


 背の高いスーツ姿が目の前にいたのは、あきらかに偶然ではなかった。

 たしか、警視庁捜査一課の刑事、播磨。

 彼は大きな体格を電信柱によりかからせて、僕を待っていた。


「…………なにか用ですか?」

「もしかして、浮気ですかな? 雛菊のお嬢さんは知ってるのかな?」


 いつから見ていたのだろう。さすがにあの会話は聞こえてなかったようだが。

 ずけずけとした物言いは刑事らしいが、本題は別にあるということくらいわかっている。


 僕はもう一度問う。


「なにか用ですか?」

「いや、少し進展がありましてな。例の猟奇殺人に。犯人に一歩近づいたと言ってもいい」


 そんな、まさか。

 夢菜は殺されていない。あの夢菜は、抜け殻だった。

 東雲とひかりがそう断言する以上、僕にはそれが真実だと思っていた。

 播磨はなにかを探るように、僕を見据えていた。


「公園で殺された小学生」

「……あ」

「街頭カメラの映像の解析が進みましてな。公園内にはカメラはなかったから直接的な証拠じゃあなかったけど、そこに面白いものが映っていたんですよ」


 そうだったんだ。

 僕は忘れていた。

 あの事件は、ただの猟奇殺人じゃなかったんだ。


 連続猟奇殺人事件。

 

「雛菊姫子……彼女が、事件発生時、すぐ近くのカメラに映っていたと言えば、きみはどう考えるかな?」


 殺された小学生の肢体は、まだ見つからないままだったってことを――  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ