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ヒカリノヤミ ~双子の怪物は愛を呪う~  作者: 裏山おもて
3章 衝動と転換する姿態

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16話 あらがえぬ衝動


「先輩はここにいてください」


 最上階の部屋に押し込まれた。


「先輩の安全が確保できるまでは動かないでください。少なくとも今晩はここに泊まっていっていただきます。ルームサービスも極力避けてください。VIPルームなので訪問者が直接ここを訪れることはありませんし、ホテル側も電話以外で先輩にコンタクトをとることはありません。もし私以外の誰かがここの扉をノックしても、絶対に開けないでください」

「ちょっと雛菊――」

「私はこの手紙をすぐに鑑識に回します。安心してください、先日鏡ひかりの状態を知るために集めた専門家たちです。すぐにこの紙を入れた人物の指紋かそれに準ずる個体情報を検知できるでしょう。もちろん会場の監視カメラのチェックも致します。先輩を狙っている人物を見逃すわけにはいきません」

「だから、雛菊ってば――」

「そういうことで先輩はここで待っていてください。私は鑑識チームにこれを渡したあとすぐ、ひとまずここへ戻ってくるつもりです。念のためこの部屋の扉の前に護衛をつけますが、彼には絶対に扉に触れないように言っておきます。ゆめゆめ警戒は怠らないようにお願いします」


 バタン、と扉が閉められる。

 手紙ひとつにそこまでするか、と思ったが、雛菊は一方的に聞く耳を持たなかった。

 あれほど怒っているひとを見たのは久しぶりな気がする。


「……どうしよう」


 もちろん鍵は内側から開けられるし、その気になればこのホテルから出ることだって容易だろう。

 大きな窓に近づく。

 このホテルの最上階より高い建物は、この街にはない。夜の街をすべて見下ろせた。

 うじゃうじゃと群れる光。

 蟻のような小さな点。

 家の灯り、街灯、車のヘッドライト。

 こんなに高い場所から夜景を見下ろしたのは初めてだった。

 軟禁するような勢いで部屋に連れ込まれなければ、この景色にも多少感動しただろう。

 ホテルとは思えないほどの広さの部屋。隣には寝室、バスルームはトイレとべつだった。箪笥にはバスローブだけでなくあらゆる寝具がおいてあった。


 まあ、雛菊の好意を無下にするのはやめておこう。

 あの手紙を受け取ったのは事実だし、ちょうど僕もゆっくりと考えたいと思っていたところだ。

 まずは背広を脱いでハンガーにかけ、箪笥から浴衣をとってバスルームに向かった。寝転んでも入れるほど大きい湯船と、大理石でできた床。狭いマンション住まいの僕にとっては息苦しいことこのうえない。

 手早くシャワーを浴びて汗を落とし、浴衣を着る。

 備え付けてあった冷蔵庫から水を取り出し、寝室のベッドに腰かけて飲む。

 思ったより緊張していたのだろう。水があっというまになくなった。


 寝転がる。

 目を閉じる。

 浮かんだのは夢菜の首。


 思い出すことに慣れてしまった。

 最初のころは、寝るたびに夢菜の夢を見た。楽しく喋っているはずの夢菜がとつぜん口から血を吐いて首だけになっている。そして僕に「すき?」と聞いてくるのだ。僕が汗だくになって飛び起きるまで、それが何回も何回も再生される。

 ……いまはそんなことはない。

 こうやって思い出しても吐くことはなくなった。むしろ、あの映像からなにか情報を拾えないか探っている。曖昧になりつつある夢菜以外の景色。ここに違和感はなかっただろうか。

 わからない。

 けど、なにかがおかしい。


 なぜ夢菜の首が僕の部屋のまえに置かれたのか。

 しかもわずかながら延命させるための装置まで用意して。

 あそこで夢菜は僕に語りかけることを選んだけど、あのとき殺人者の名前を言う可能性だってあったのだ。殺人鬼はなにがしたかったのだろう。僕の心を砕くためか、それとも夢菜へのわずかな慈悲か。

 考えても、その謎は深まるばかり。


「……でも、少なくとも僕を知ってるやつで間違いない」


 ほんとうに猟奇殺人なのだろうか。

 警察は犯人に近づいているのだろうか。

 あの刃物男は関係があるのだろうか。

 

 ぐるぐると巡る思考に、すこしずつ眠気が重なる。

 スイートルームのベッドは寝心地が良く、あっというまに睡魔の手に絡め取られて、僕の意識は溶けるように落ちていった。




 

 人の気配がして、すぐに目が覚めた。

 

 薄く眼を開ける。寝室に、雛菊が入ってくるところだった。

 すこし頭を持ち上げた僕を見て、雛菊は薄く微笑んだ。


「お疲れのようですね、先輩」


 そう言った雛菊は、さっきまでの煌びやかな化粧を落としていて、服も僕と同じ浴衣だった。

 どうやらいつのまにか入浴まで済ませていたらしい。一瞬だけだと思ったけど、三時間ほど寝ていたらしい。

 起き上るのも面倒だったので横になったままうなずく。

 ぼんやりとしたままの僕のすぐそばに雛菊は立って、


「手紙、朝には鑑識結果が出ますので、それまではゆっくり休んでいてくださいね」


 どこか慈愛に満ちた表情で語りかけてくる。


 ……あれ?


 ふと気付いた。

 部屋の灯りが消えている。カーテンを開け放したままの窓からの夜景のひかりだけが、雛菊の顔を照らしていた。

 薄暗い寝室。浴衣姿の雛菊。濡れたままの髪。

 状況が、取り返しのつかない方向へと転がっている気が――


「先輩」


 ギシッ、とベッドが音を立てる。

 雛菊が縁に腰掛けて、その振動が寝ている僕にも伝わる。やけに生々しい雛菊の香りが漂ってきた。香水でもシャンプーでもない、雛菊自身の香り。

 どくん、と心臓が跳ねる。


「……先輩」


 雛菊はそっと這い寄ってくる。

 すこしだけ目を細め、その麗しいほどの美貌に尊大な笑みを浮かべながら。


「お、おい雛菊」

 

 手が重なる。

 彼女の視線の意味を、僕は簡単に理解してしまって。


「ぼ、僕はおまえの仮想彼氏として、参加しただけにすぎなくて、ええと、つまりおまえとこういうことをするのは本当の彼氏の仕事であってだな……」

「なら先輩が彼氏になってください」

「なら、って……」

「不服ですか? では言い方を変えます。……好きです先輩。私とお付き合いしてください」

「…………雛菊」


 またもや違和感。 

 さっきまでの雛菊ではない。手紙に憤りをあらわにしていたときの雛菊ではない。

 数時間とはいえ、ここまで態度を豹変させることがあるだろうか。しかもプライドの高い雛菊が、自分からこんなことを言い出すなんて、あるのだろうか。

 ……あるかもしれない。

 でも僕には不自然にしか思えない。

 不自然だけど……どこか惹きつけられる。

 いつもの雛菊の態度よりも、この雛菊の態度のほうが親近感がわく。

 どこか懐かしい気持ちになる。

 もしかして、これが彼女の本当の心なのだろうか……?


 雛菊は、僕の肩をがっしりと掴んだ。

 覆いかぶさるようにして、真上から僕の顔を覗き込む。

 彼女の髪がさらさらと流れて僕の顔にかかった。

 匂いが強くなる。


「先輩は、私のことがお嫌いでしょうか?」


 そんな弱気な声を出すな。


「こんなことを言って迷惑でしょうか?」


 やめろ。僕の心を揺さぶるな。  


「それとも他に想いを寄せるひとがいるのでしょうか?」


 そんなものいないから、そこをどいてくれ。


「ずっと前からお慕いしてました」


 なんとなくわかっていたけれど。


「先輩のことだけを想っておりました」


 そんなことを言わないでくれ。


「私は、先輩のためならなんでもします」


 やめてくれ。


「だから私は――」


 不意に近づく雛菊の顔。

 考える間もなく、雛菊の唇が僕の唇に重なっていた。


 やわらかい感触と、湿った感覚。

 目を閉じた雛菊がすぐ目の前にいた。

 押しつけられた唇がかすかに動く。

 固まった僕の浴衣のなかに、さっと手を滑り込ませてくる。

 雛菊の手はすこし冷たかった。


「ん」


 雛菊は、完全に僕に体重を預けてくる。ほどよく肉のついた太ももが、僕の足と絡む。主張しすぎない程度に豊満な胸が、僕の胸に乗っかる。……これ以上は、やめてくれ。

 唇のあいだから、ぬめっとしたものが滑り出てきて、僕の唇のなかへと侵入してくる。口内に入り込んだ彼女の舌が、僕を深く求めて蠢きだす。

 こんなの、雛菊じゃない。

 いつもの雛菊じゃない。


「ん、んんん」


 抱きしめられる。

 強く、強く。

 まるで、リミッターが外れたような力で。

 痛い。

 ……でも、どこか安心している僕がいた。


 不意打ちの行為に、不意打ちの好意に、僕は思考能力を奪われていく。

 雛菊であって雛菊でないような、そんな気がする。

 それにもかかわらず、僕の内側から、むくれあがる大きな衝動。

 

 彼女の動きが、言葉が、感情が。


 雛菊姫子とは別人のような違和感を増すたびに、比例するように大きくなる衝動。


 決して雛菊が嫌いなわけではない。

 好きになり始めていた。


 だけど僕のなかの欲望は、違和感のほうを求めていて。


「っ」


 雛菊の手が、僕の下半身へと伸びた。

 その直後に一気に膨れ上がった衝動が。

 あらがえぬ衝動が、僕の全身を支配して。





 この夜、僕はなすがままに、雛菊姫子を抱いた。



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