15話 激昂
雛菊の言ったとおりだった。
懇親会パーティはホテルの大広間で行われた。雛菊に背広を貸してもらった僕は、パーティ開始直前のギリギリの時間に雛菊の車でホテルに着いた。ふだんなら気にもしないような高級ホテルなので入るだけで緊張したのに、「先輩、せめて会場まではきちんとリードしてくださいね」と雛菊に腕を絡ませられて、車から会場までゆっくりと歩いた。
雛菊が扉を開けて入ると、それまでざわついていた空気がぴたりと静かになった。聞いた話によると、雛菊の家族でこの懇親会に出席するのは彼女ひとりらしい。つまり事実上、このパーティでは彼女が主役になる。
そんな大層な役回りのお嬢様に腕を掴まれて、冴えない高校生が歩いているのだから、それはもう好奇と忌諱と詮索と鑑定の視線が、すぐさま纏わりついてきたのは言うまでもない。
雛菊は僕の耳に口を寄せ、「安心してください。彼らはあなたがどういう立場なのか、すぐに知ることになるのですから」と小声で話しかけてきた。あまりに小さな声だったので耳をなるべく寄せた僕。それが雛菊の策略だと気付いたのは、頬に軽くキスをされてからだった。
唖然とする僕や周囲の様子を見て、いつもの得意げな笑みを浮かべた雛菊は、
「みなさんお待たせして申し訳ございません。今回の司会はわたくし、雛菊姫子がつとめさせていただきますわ」
とマイクを片手に言いつつ、とどめとばかりにあからさまに僕にウィンクをしてきた。
これで周囲は僕に対する認識を固めた。
……あの小僧は、無視するべきだと。
雛菊の予想通りにことが運び、数時間のパーティのあいだじゅう、僕はずっと隅のほうに立っていた。立食形式なのでたまに皿を持って料理の間を巡る。出席者は僕が近づくと、触らぬ神に崇りなしとばかりに逃げていってしまう。たしかに、なにもしなくていい。
ただそれはそれで辛いものがあった。雛菊はひたすらいろいろなひとに囲まれては、愛想笑いと社交辞令を振りまいている。ときおり下心のありそうな人たちに囲まれてはわざとらしく僕に手を振り、僕は小さく振り返す。牽制と結界。彼女は見事、僕を利用して鉄壁の防御を築いた。僕はなるべく雛菊を視界からはずさないようにしていた。
少し雲行きが変わったのは、おそらく宴も終わりに近づいたころだった。
「……かがみくん」
さっきまで舞台のピアノで独奏を弾いていたピアニストが拍手とともに降壇しているとき、不意に聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。
振り返ると、そこには小柄で眼鏡をかけたクラスメイトがいた。
「し、東雲、どうしてここに?」
「お父さんの会社が雛菊さんのお父さんの会社とは懇意にしてもらってるの。あの、だから今日は呼ばれたの……わたしも時間があったから、ついてきてたんだけど……」
東雲が遠慮がちに指さしたのは、ちょうど雛菊と談笑している温厚そうな太った男性だった。
東雲とは似ても似つかないが、どうやらあれが東雲の父親らしい。
「……だ、だけどびっくりしちゃった……かがみくん、やっぱり雛菊さんとはそういう関係だったんだ」
「あ、いやそれは……」
僕はつい否定しようとして、気付く。
ここは金持ちの巣窟で、彼らが欲しがるのはなによりも情報だ。
雛菊の嘘が露見するとなると、あまり良い未来は予測できない。
だから答えはひとつだけだった。
「……まあ、そんなものかな」
「そ、そうだったんだね。お、お幸せに」
それはちょっと違うと思うけれど。
とにかく誤魔化せたようで、東雲はそれ以上はなにも聞いてこなかった。
でもせっかくいたのなら、もっと早く声をかけてくれたらよかったのに。
ずっと退屈していたし。
「かがみくんとふたりで話してたら、雛菊さんが怒りそうだから……それにお父さんに知られるのも嫌だったし。あの、ええと、ごめん……ね?」
「謝らなくてもいいよ。東雲は気を遣ってくれてたんだろ」
「……ううん。ほんとはね、ちょっと怖かっただけ」
「怖かった?」
「だってかがみくんのこと、みんなが変な目で見てたから。いまはもうあんまりかがみくんのこと、みんな見てないから……来たの」
さすが東雲だ。他人の視線には敏感。
とはいえそれはつまり、雛菊の作戦が完璧だったという証明でもある。雛菊の手のひらで踊らされていると考えると、それほど嬉しくはなかった。
しばらく東雲と話していると、雛菊がまたマイクを手に取る。どうやら最後に、今日のために特別に手配をしたオーケストラが演奏してくれるらしい。舞台にぞろぞろと現れる音楽家たちを遠目で眺めて、僕と東雲も口を閉じる。
雛菊はマイクを近くに立っていた燕尾服の男性に預け、ヴァイオリンの音に溶けるように舞台袖に消えた。
まだ十六歳なのに立派に進行役をこなしている姿は、たしかに凛々しかった。
僕と東雲がじっとオーケストラの演奏を聞いていると、僕の方がぽんと叩かれる。
いつのまにか雛菊がすぐ横に立っていた。
「……やっぱりすごいな、おまえは」
「お褒め頂き光栄です先輩。もっとも私が目標とする勇敢な先輩の後ろ姿には、これでもなお遠いのですけれど」
「雛菊が思い描いているそれは、もはや僕じゃないよ」
「いいえ、鏡瑛太の真の姿です」
「理想の間違いじゃないのか」
「すぐに現実になります」
買被りにもほどがある。
僕が苦笑していると、雛菊はつぎに東雲に声をかける。
「東雲さん、本日はご足労いただき誠に感謝しておりますわ。お父様も元気そうでなによりです。相変わらぬユーモアで、楽しいひとときを過ごさせていただきました」
「え、あ、うん……」
東雲は恐縮してしまう。
苦手なんだろう。その気持ちはよくわかる。どっちが年上かわかったものじゃない。
雛菊がいるだけで、その場の主役が彼女になってしまう。
大人たちから見ればまた違った印象なのかもしれないけれど、少なくとも僕にとってはそう感じた。
風雲急を告げたのは、パーティが解散となった直後だった。
雛菊が閉会の言葉を告げ、僕のほうへと歩いてくる。僕は雛菊に指示されたとおり入り口の扉の横に立っていた。参加者が雛菊に挨拶してそのまま帰ることができるように、という雛菊なりの心遣いなのだろう。彼女は僕の腕に手をそっと添えて、帰っていくひとたちに挨拶を繰り返していた。
東雲の父親が雛菊に一声かけたあと、僕に向かって「これからも、娘と仲良くしてやってください」と頭を下げた。とっさに「とんでもない、こちらこそお世話になってます」と頭を下げ返した。
それを見た雛菊が「決まりですね」と小さくつぶやいた。
彼らの姿が見えなくなってから、
「……なにが?」
「今回の懇親会の目的、忘れましたか?」
「経営再建に向けての激励会、だっけ」
「ええ。それと、そのために資金援助を行う会社の選別です。東雲社長はいま、あなたに対して私の彼氏としてではなく娘のクラスメイトとして頭を下げました。この場でああいうことができるひとというのは、冷静な判断力と決断力を持っている証拠ですね。いまは経営が苦境でも、環境さえ揃えばまた業績を伸ばせる期待が持てます。東雲出版への資金援助は決定にしておきましょう」
「……そうか。それはなによりだ」
これで東雲がここに来た甲斐もあったというものか。
それにして雛菊、すでにそんな役回りも任されているとは……改めて感心する。
「あれ、先輩、ポケットになにか挟まってますよ」
雛菊が僕のズボンの後ろから、さっと紙をすくいあげる。
真っ白な便箋だった。
「いつのまに……?」
「拝見してよろしいですか?」
「あ、うん」
僕がうなずくと、雛菊はさっと紙を開いた。
それほど大きくない紙が開かれる。
その直後、ぐしゃっと握りつぶされた。
雛菊の目が見開かれた。
手がわなわなと震えている。
「……なんですか、これ」
雛菊の押し殺したような声に、僕はすぐに紙をとって中を見た。
『妹と同じように、殺してやる』
そんなふうに書かれた文章。
僕は眉をひそめる。
「――誰ですかッ!!!」
雛菊が叫んだ。
退出しようとしているひとたちが、一斉に足を止めてこっちを見る。
「誰ですか! こんな手紙を、先輩に書いたのは誰ですか!? こんな不埒な真似をする愚か者は!」
周囲に怪訝な空気が流れる。
もちろんほとんどのひとが雛菊の言っていることがわからず、首をかしげている。
「許しません! こんな稚拙で愚昧なことをする人間が、雛菊グループの傘下にいるなんて許しません! これは私に対する侮辱と捉えさせていただきます! 犯人を見つけ次第、迅速に処分させていただきますので覚悟しておいてください!!」
激昂する雛菊に、困ったような顔を向ける人々。
だけと僕はまったく違うことを考えていた。
妹と同じように殺す。
先日、いきなり襲ってきた男が同じようなことを言っていたことを思い出していた。
意味深な言葉。
向けられる殺意。
突然すぎた夢菜の死。
もしかしてあれは、僕が考えているようなただの通り魔の猟奇ではなかったのだろうか?




