この世界のこと
「水魔法のアルトマスだな」
客の男性から渡された石をじっと見てから、店主は呟いた。
その言葉に、男性はがっくりと肩を落とす。
「えー、マグナシスじゃないの…。やっと見つけて、今度こそはと思ったのに」
「この程度のアルトマスの鑑定を間違わんよ。軽いな」
店主はつまらなそうに鼻を鳴らし、カウンターに置かれた天秤の片側にその石を乗せた。もう一方には重りを一つ二つと置いていく。
「3と半。下級品だ。使うか?売るか?」
「売るよ。売るさ。いくらになる?」
「魔法のアルトマスだが下級だからな。銅貨6枚でどうだ」
「安くないか?魔法のアルトマスは15枚で売ってるじゃないか」
「だから、軽いんだよ。嫌なら別にいいさ。こちらも別にいらん」
客は不満そうに低く唸ったがしぶしぶ頷いた。店主は6枚の銅貨を掴むと、客に手渡した。
「ほらよ」
「はぁ。宿代にもならん」
ぼやきながら、客は貨幣を革袋に入れた。壁に立てかけていた剣を持ちあげる。
店主が引き取りカウンターに置いた黒い塊を、僕は見つめた。
やや艶を帯びたその石は、西日に照らされて鈍く光っている。
「使わないんですか?魔法なのに…」
僕は思わず客に話しかけた。無作法な事だが、客は気にした風もなく肩をすくめる。
「俺に魔法のアルティはないからな。努力する気もない。無駄さ」
勿体ない、と率直に僕は思った。
下級という事は大した威力ではないのだろうけど、魔法だ。魔法を使えるなんてロマンじゃないか。
魔法の習得には、アルトマスを使用してもかなりの努力と感覚がいるとは聞く。
でも、もし僕が魔法のアルトマスを持てたなら、使って努力してみたいけどな。
まぁ、実生活がかかっているとなれば、ロマンなどと言っていられないのだろう。
「マグナシス・アルトマスが出たら教えてくれ」
「出たらな」
客は去っていった。店主は買い取ったアルトマスを棚に置き、銅貨を机の引き出しにしまう。鍵を閉めると、僕を振り返った。
「飯を食ってくる。店を閉めて片づけておけ」
「分かりました」
店主が出ていくと、僕は店の床を掃き、乱雑に置かれた秤や重りをカウンターの隅に寄せた。それから水桶を持って近くの井戸に向かった。
陽はもう傾きかけている。仕事を終えた人々……鍛冶職人や細工職人、大工、兵士達とすれ違う。家に帰るか、食事に行くのだろう。
剣や盾、杖などを担いだ戦士達は、魔窟からの帰りだろうか。
視線を上げると、歪な塔のような陰が、建物の向こうに見えた。魔窟……前世ならダンジョンと云うだろう。
魔物がいて、たまに宝物が出る。戦士達は魔物を狩って牙や皮、肉を収集し、それを売って糧を得る。宝物が出れば、ボーナスチャンスだ。
一番ポピュラーな宝物はアルトマス。スキル石と云えばいいのだろうか。
この世界の人々は、生まれながらアルティ……スキルを持っている。
ハーガアルティと呼ばれ、大体は家業に関連したものだ。というのも、家業は世襲が一般的なので、ハーガアルティは殆ど遺伝といっていい。
更に、努力や好き嫌いで、アルティは伸びてゆく。
何かを学んだり訓練すれば当然それは身につくが、アルティは突出した技能を与えてくれるのだ。
ハーガアルティ以外のアルティを得る方法の一つがアルトマスになる。重い方が希少なアルティを秘めているが、滅多に見つからない。ただ、軽いアルトマスでもアルティの強化には使える。だから需要は高い。
僕は溜め息をついて雑巾を絞った。
孤児だった僕は、小間使いとしてここの店主に引き取られた。このまま使い潰されて過ごすのだろう。それこそ有効なアルトマスを得るような事がなければ。
孤児なんて珍しくないから、僕も格別不幸という訳ではない。孤児院に捨てられたのだから、むしろ運がよい方だろう。森や山に置き去りという場合もあるのだから。
ただ一つ、僕には人とは違う特典がある。前世の記憶があるのだ。
明瞭なものではない。どんな人物であったかも分からない。ただ、成人男性で、会社員だったように思う。たまに通勤中の電車の光景や、同僚と飲みに行った会話などがポッと頭に思い浮かぶのだ。
楽しくも懐かしい記憶だ。
この記憶と、成人した精神があるから、僕はこの生活に耐えていられる。
前世の記憶があると気付いた時は、それはそれは興奮した。孤児院で碌な扱いを受けていなかったから余計にだ。異世界転生で、きっと自分は特別なのだとワクワクした。
当然あれもやった。ステータスオープンというやつ。……恥ずかしいだけだった。
チートも加護もなかった。自分の純粋無垢な期待を返して欲しい。
僕のハーガアルティといったら「農業」だ。国民の8割は農家なので、僕の見知らぬ両親も農家なのだろう。現状、何の役にも立っていない。
トボトボと店に戻るとカウンターや棚を丁寧に拭いた。棚には店主が分類したアルトマスが、残照でぬめりと光っている。
店主は「アルトマス鑑定」のアルティ持ちだ。
剣技、魔法、商売、鍛冶、料理、農業と、大まかに分けられたアルトマスが木箱に入っている。一番多いのは軽い下級品。中級品は僕の手が届かない棚の上に置かれている。上級品は鍵付きの箱に入れられて、店の奥だ。
棚の下には、大箱にアルトマスが無造作に入っている。これは「無等級」と呼ばれる、出来損ないのアルトマスだ。多くは塊になったばかりの未熟な状態で、明確なアルティを含まない。
ただ、使用するとたまにアルティを得られるので、博打的に買う人がいる。
あまりお金もないし、大した能力もない。そんな人が一発逆転を狙う。
そして大体がっくりと肩を落とすのだ。麦酒でも飲めばよかったと。
無等級が溜まるとたまに大安売りをする。その時は運試しだとみんなでワイワイ買うから、意外と楽しい。
大柄のいかついおじさんが「魅惑(極小)」のアルティを取得した時は、みんなで笑った。
店と続きになっている住居も掃除すると、太陽は完全に落ちてしまった。すぐに外も部屋の中も暗くなるだろう。部屋の明かりのために火の魔石はあるが、僕は使う事を許されていない。
店主は酒屋で飲み食いしているが、僕に夕食はない。正直空腹だが、店主はそれを気遣う事はない。孤児は多く、僕の代わりなどいくらでもいるのだから。
暗くなったらやる事もないし、無駄な体力も使いたくないので、僕は早々に眠りにつく。台所の隅に積んだ藁が僕の寝床だ。
家族で食卓を囲む夢を見た。前世の食事風景。それはあまりに幸せで、残酷だった。




