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第一章 妹のためなら、喜んで悪役になってみせますわ

 ——ああ、間に合わなかった。

 薄れゆく意識の中で、病室の白い天井を見つめながらわたしはぽつりと心の中でつぶやいた。


 本来なら、思いっきり学校生活を楽しんだり、友達と遊んではしゃいだり、恋したりしていたであろう――十七歳の華の女子高生。

 でも、中学入学直前に見つかった大きな病気のせいで、それ以来わたしは病院のベッドの上での生活を余儀なくされた。

 我が家は武道一家で、小さい頃から鍛えられて体力には自信があったのに…。

 入院してからは外にも出られず、苦痛な闘病生活での唯一の楽しみはスマホのゲームアプリだった。

 そして近々、大好きな漫画家さんが作画を務めた『プリンセス・アカデミア』略して『プリアカ』という乙女ゲームの配信が予定されていた。

 プリアカは、中世ヨーロッパ風の世界が舞台で主人公兼ヒロインキャラになりかわって、学院のイケメン王子たちと恋をする逆ハーストーリーだ。

 体験版をしてみたらめちゃくちゃおもしろくて、乙女ゲーム初心者だったけどすっかりハマってしまった。

 完全版が配信されるまでは絶対に死ねない!と思っていたら、不思議なことに検査の数値もよくなって、プリアカをプレイするのがわたしの生きる希望になっていたけど――。

 完全版の配信日当日。願いも虚しく、容体が急変したわたしの命は風前の灯火だった。

 家族がすすり泣く声が徐々に遠のいていく意識の中で、せめてあと一日だけでも猶予を与えてくれなかった神様を恨んだ。

 プリアカ、ずっと楽しみにしてたのにな…。

 体験版では王子たちとちょっとしか絡めなかったし、きっと学院でいろいろなイベントが起こって、もっとおもしろくなったんだろうけど。

 大好きな漫画家さんだからイラストはもちろん素敵だし、ヒロインもふんわりとした女の子でとってもかわいいんだけど――。

 実はわたしはヒロインよりもその双子の姉、リリア・フォン・アルベールのほうがキャラ的に好きだったりする。

 リリアはわがままで傲慢で、ストーリー内ではヒロインをいじめ、王子との恋を邪魔する悪役令嬢だ。

 嫌われキャラなのだろうけど、そんなリリアの推しポイントは圧倒的なビジュ。

 派手な色のドレスに、金髪ロングの縦ロールというヘアスタイルが“ザ・悪役令嬢”っぽくて大好き。

 それに、わたしがヒロインみたいなおしとやかな性格ではないからか、芯の強いリリアに共感する部分があるのもわたしが推す理由のひとつだ。

 もしプリアカに物申すことができるとするなら、リリアでもプレイできたらいいのにな。

 そんなことを考えながら、その日わたしは息を引き取った。


「…ん?」

 次に目を開けたとき、目の前には腰まである金髪の長い髪に、丁寧に縦ロールされたヘアスタイルの美しい顔立ちの女の子がいた。

 突然の見知らぬ女の子の登場に慌てて体を仰け反らせたら、相手も同じ動きをしたためそれがドレッサーの鏡に映された姿だと理解した。

 でも冷静になって見てみたら、この子って…プリアカのリリア!?

 うわー!スマホの画面で見たときよりもめちゃくちゃ美人!

 顔も握り拳に収まるくらいにちっちゃいし、卵のような艶のある肌にはシミひとつ存在しない。

 わたしは長年の闘病生活で、腕は注射や点滴の針の痕だらけだったし、頬も痩せこけてハリがなくなってたから、そんなリリアがうらやまし――。

「でも、……あれ?」

 わたしは前のめりになって鏡を覗き込んだ。

 目の前に大好きなリリアがいると思ったけど、もしかして…わたしがリリア!?

 顔中をペタペタと触ってみるけれど、しばらくの間、理解するのに時間がかかっていた。

 もしかして…。いや、もしかすると…。

 未だに信じられないけど、どうやらわたしは乙女ゲーム『プリンセス・アカデミア』の登場人物のひとりであるリリアに転生したようだ。

 せめてあと一日だけでも猶予を…と恨んで死んでしまったせいか、なんと神様はわたしに第二の人生を与えてくれた。

 しかもリリアに転生だなんて、さっきは恨みもしたけど…。

 神様、どうもありがとう!!

 とりあえず、ドレッサーの前に座っているということは、メイク中…それかメイク直しの最中だったのかな?

 わたしはそこにあった口紅をさっと塗って、ニッと笑ってみせた。

「フフ…、最高じゃない」

 真っ赤なドレスも気が強いリリアらしくて気合いが入る。

 ふと脳裏に浮かぶのは、病弱でなにもできなかった前世。

 せっかく転生したんだから、リリア・フォン・アルベールとして悪役令嬢人生をとことん楽しんでやろうじゃない。

 でも、楽しむといってもなにをすればいいんだろう?

 体験版でも、リリアとの絡みはまだほとんどなかったし。

 すると、ドアがノックされる音がした。

「失礼いたします。リリアお嬢様、お茶とお菓子をお持ちしました」

 入ってきたのは使用人で、部屋のテーブルにお茶の準備をしている。

 時計を見ると、ちょうど三時を指し示していた。

 漂ってくる紅茶のいい香りの誘われて、わたしはテーブルへと向かう。

「どうぞ。お召し上がりください」

 ふかふかのソファに座ると、目の前のテーブルには湯気立つ紅茶の入ったティーカップとクッキーとチョコレートが盛られたバスケットが並べられていた。

 …紅茶!…クッキー!…しかも、チョコレートまでっ!!

 闘病中、カフェイン摂取はだめだったから紅茶は飲めなかったし、クッキーなどの甘いものも禁止されていた。

 だから、絶対チョコレートなんて口にしてはいけなかったから、何年ぶりのチョコレートだろうか…!

「…お嬢様、いかがなさいましたか!?」

 あまりのうれしさにわたしが涙を流すものだから、使用人は慌てて駆け寄ってきた。

「紅茶のご気分ではございませんでしたか…!?それとも、チョコレートが…」

「ううん、違うの。うれしすぎるだけ。ありがとう」

 わたしが指で涙を払いながらお礼を言うと、なぜか使用人は目を丸くしてぎょっとした表情を浮かべていた。

「リ…リリアお嬢様が、わたくしどもにお礼を…!?」

 ん?わたし、なんか変なことでも言ったかな。

「それにしてもおいしそう。でもこんなにクッキーがあるなら、あなたもいっしょに食べない?」

 と使用人に声をかけると、なぜか後ずさりされてしまった。

「リ…リリアお嬢様が、わたくしどもを気遣われるなんて…!」

 ふと使用人は窓の外に目を向ける。

「こんなにいい天気だけれど、このあと大雨にでもなるのかしら」

 独り言なんだろうけど、わたしにまで聞こえている。

「わたくしは他にやることがございますので、そ…それでは失礼いたします…!」

 そう言うと、逃げるように使用人は部屋から出ていってしまった。

 あーあ、行っちゃった。

 お見舞いのとき以外は病室にひとりきりだったから、せめて話し相手がほしかったのに。

 わたしはティーカップを持つと、そっと口元へと持っていった。

「なにこの紅茶!おいしすぎる!!」

 次にクッキーとチョコレートをひとつずつ摘む。

 いつぶりかもわからないほどの甘いお菓子を摂取して、あまりのおいしさにわたしは悶絶していた。


「ごちそうさまでした」

 おやつを済ませ、わたしは立ち上がった。

 それじゃあ、屋敷の探索といこうかしら。

 体験版を繰り返し何度もプレイしたおかげで、アルベール家の広い屋敷のマップも頭に入っている。

 スマホの画面でプレイしているときにはわからなかった細かな装飾品や壁紙を見て楽しむ。

 途中、大きな姿見に移る自分と目が合った。

 まだ夢の中にいるみたいだけど、わたし…本当にリリアになったんだ。

 いや、夢の中じゃない。ここは、わたしが大好きな乙女ゲームの中なんだ。

 自然と足取りも軽くなり、スキップしながら屋敷の中を見て回る。

 使用人とすれ違えば「ごきげんよう」と挨拶をするのだけれど、そのたびに使用人からは「…え゙」といった濁った声が漏れる。

 体験版のときも、主人公はそう挨拶していたから、おかしなことはしていないはずだけど…。

 ――とここで、部屋での使用人の言葉を思い出す。

『リ…リリアお嬢様が、わたくしどもにお礼を…!?』

『わたくしどもを気遣われるなんて…!』

 もしかしてリリアって、挨拶や気遣いもできないほどのキャラだったの!?

「今日のリリアお嬢様、一体どうされたのかしら…」

「ええ。いつもなら細かいことでお叱りになられるのに、それがないどころかご挨拶をされるなんて…」

 そんな使用人たちのヒソヒソ話が聞こえた。

 謝ったりお礼を言ったりするだけで、周囲は過剰なほどに驚く。

 どうやら転生前のリリアは、屋敷でも相当嫌われていたようだ。

 まあ悪役令嬢だし、そういうものなのかな。

 そう自分に言い聞かせていた――そのとき。

「ただ今、戻りました」

 玄関ホールから耳触りのいい声が響いてきた。

「お嬢様、おかえりなさいませ」

「学院、お疲れ様でした」

 階段の上から顔を覗かせると、金髪のストレートロングヘアの女の子が屋敷の中に入ってきた。

 スカイブルーの瞳をしたクリクリの目に、小さな口。

 周囲の人々の頬を思わず緩ませるほどにかわいらしい顔をしたその女の子は――。

「マリア!?」

 とっさに声に出てしまったけれど、彼女はわたしが何度も成り代わってプレイしたプリアカの主人公兼ヒロインのマリアだった。

 わたしの声が頭上から降ってきて、反応したマリアが見上げる。

「リリアお姉様!」

 マリアはわたしを見つけるなり、小走りで階段を駆け上がってきた。

「お姉様がこのお時間にお部屋から出てこられているなんて珍しいですね」

 マリアにそう言われてはっとした。

 たしかリリアはマリアのことが嫌いで、マリアが屋敷にいる時間はずっと部屋に閉じこもっているんだっけ。

 だから、マリアが学院から帰ってくる今の時間には、いつもなら自分の部屋にいるはずなんだ。

 悪役令嬢として、わたしはマリアをいじめていじめて虐げなければならないのだけど――。

「お姉様、どうされましたか?私の顔になにかついていますか?」

 天使のようなベビーフェイスのマリアが覗き込んでくる。

 …かっ、かわいすぎる!!

 同性のわたしでも惚れてしまいそうになるこんなにかわいらしいマリアを、どうしたらいじめられるというのだろうか。

 体験版ではマリアを操作する側だったから気づかなかったけど、客観的に見たらこんなにもかわいかったのか。

 いじめるなんて、わたしにはできない…!

「あら、マリア?その手、どうしたの?」

 わたしはスクールバッグを持つマリアの右手の甲にかすり傷があるのを見つけた。

「あ…。こ、これは…」

 マリアは慌てて手を隠そうとした。

「転んじゃったのかしら?マリアはドジね。わたしの部屋にきなさい。手当てしてあげる」

 すると、マリアは眩しいくらいに目を輝かせた。

「リリアお嬢様のお部屋に入ってもよろしいのですか…!」

「え、ええ…。もちろんよ」

「とってもうれしいです!ありがとうございます!」

 部屋に呼んだだけでこんなに感激されるとは思わなかったけど、たしかにゲーム中はリリアの部屋に入るのはタブーとされていたっけ。

「救急箱をわたしの部屋に持ってきてちょうだい」

「か、かしこまりました…!」

 使用人たちもマリアを部屋に招き入れるわたしの言動に驚いている。


 マリアのケガの手当てを済ませると、学院の話をいろいろと聞かせてもらった。

 最近は、ハンカチに刺繍をする授業が楽しいのだとか。

「見てください、お姉様。あと少しで完成しそうなのです」

 そう言ってマリアが見せてくれたハンカチには、Rの文字が途中まで刺繍されていた。

「もしかして、このRって…」

「リリアお姉様の頭文字です」

 その瞬間、心臓を射抜かれた。

 なんてこの子は健気なの…!わたしのために作ってくれているなんて!

「私、お裁縫が苦手で、ここまでくるのに随分と時間がかかってしまって…」

 うつむいて、手をもじもじさせるマリア。

 さっき擦り傷の手当てをしたときにも思ったけど、マリアの指先には絆創膏がいくつも貼られていた。

 きっと刺繍のときに針で刺してしまったのだろう。

「あの、お姉様…!出来上がったら、このハンカチ…もらっていただけますか?」

 眉尻を下げ、不安な表情を浮かべながらわたしの顔色を窺う。

 以前のリリアなら、「こんな価値のないものなんていらないわ!」と吐き捨てたりしたのかな。

 となれば、こんなにも自信がなさそうマリアの態度にも納得がいく。

 悪役令嬢ならその選択が正しいのだろうけど、こんなにもかわいい天使に潤んだ瞳でお願いされて、断れる人間などいるのだろうか。

 少なくとも、すでに心臓を射抜かれているわたしには無理だ。

「もちろんよ、マリア。楽しみにしてるわね」

 わたしはガシッとマリアの手を握った。

 そのときのマリアのうれしそうな顔といったら。

「ありがとうございます、リリアお姉様!少しでも早く出来上がるように、今からお部屋で続きをしてきますね」

「うん。でもゆっくりでいいから、針で指を刺さないように気をつけなさい」

「はい!」

 マリアは満面の笑みで部屋から出ていった。

 それにしても癒された。本当にマリアは、アルベール家の天使だ。

 やさしくて、素直で、謙虚なマリア。その人柄は、たちまち周囲をにこやかにする。

 だからこそ、双子だからと比較されたリリアは、そんなマリアが気に食わなくて嫌っていたのだろう。

 マリアのあの様子からだと、ずっとリリアとの仲を取り戻したいと思っていたように見える。

 でもリリアが一方的にそれを拒絶して、マリアをいじめる悪役令嬢へと変化した。

 リリアに転生したからには、わたしも悪役令嬢っぷりを発揮しなければならないはずだけど、マリアがあまりにもかわいいから無理。

 一旦悪役令嬢はお休みにして、マリアを愛でることに専念する。


 その日の夕食時。

 いつもなら食事も部屋で済ませるはずのわたしが食卓の場にいることに、両親も驚いていた。

「リ…リリアもいる食事は久々だな」

「そ、そうね。急にどうしたの、リリア…?」

 わたしに気を遣っているのか、両親の態度もよそよそしい。

「べつに。ひとりで食べるなんて寂しいじゃない」

 これまでの入院生活がずっとそうだったから。

「それに、マリアともっとたくさんお話したいし」

 わたしがマリアに微笑むと、マリアは恥ずかしそうに頬を赤くした。

「…リリアから!そんな言葉が出るとはっ…!」

 驚愕したお父様は、握っていたはずのナイフとフォークを落としてしまった。

「あなた…!まさか、こんな日がくるなんて…」

 お母様は、なぜか涙を流している。

 ふたりの様子から見ても、以前のリリアは相当やばかったのだと察する。

 家族との食事を楽しみながら、マリアから聞かされる学院の話はとっても新鮮だった。

 わたしは中高まともに通えていないから、聞いているだけでワクワクしたし、そもそもゲーム内の貴族階級が集う学院となると授業内容もユニークで想像が膨らんだ。

「へ〜、楽しそうね」

 わたしがぽつりと呟くと、マリアが前のめりになった。

「でしたら、リリアお姉様もいらっしゃればいいのに!」

「え、わたしが?」

 たしか、リリアとマリアは同じクラスだったはず。

 だから、マリアと顔を合わせるのが嫌なリリアは登校拒否していた。

 リリアが自ら学院にくるようになるのは、マリアの恋を邪魔しにくるとき。

 つまり、マリアに向けられる王子の好感度がある程度まで上がらない限り、リリアが学院にくるイベントは発生しないのだ。

「…わたしはいいかな。今さら、だしね」

 権力者であるお父様のおかげで、通わなくても在籍しているだけで卒業できることは確定している。

 それに、わたしが行ったら、マリアが自由に恋をできなくなっても困るし。

「わたしは部屋で閉じこもっているのがお似合いなのよ」

 そう言って自嘲した。

 前世でもそう、今回もそう。わたしは部屋でひとりきり。

 本当は、本当はわたしも学院に通いたいけどね…!

 でも、かわいいマリアのためなら仕方ない。


 しかし、それから数日後。

「…一体、どうなされたのですか!?」

 悲鳴に近いような使用人の声が玄関ホールから聞こえ、わたしは驚いて部屋から飛び出した。

 駆けつけると、マリアが泥だらけで学院から帰ってきたのだ。

「えへへ…。水たまりにはまっちゃった」

「水たまりに?たしかに、今朝まで大雨でしたが…」

「マリアお嬢様、すぐにシャワー室へ。お召し物はお持ちいたします」

 マリアは使用人たちに連れられていった。

 アルベール家のアイドル的な存在のマリアは、使用人たちが必要以上に手をかけるから、気にはなったけどわたしの出る幕でもないと思い、部屋に戻ってしばらく読書をしていた。

 今読んでいる本は、主人公の平民の女の子が、意地悪な令嬢にいじめられながらも立ち向かうお話だった。

 まさにこの令嬢、リリアそっくりね。

 自分で自分に笑ってしまった。

 ふと、外から使用人の声とドアが閉まる音が聞こえた。

 マリアがシャワーを終えて、部屋に戻ったのかしら。 

 それにしても、水たまりにはまるなんてドジなマリアらしいけど…。

 と思ってはみたが、ふと数日前の手の甲のケガのことを思い出した。

『あら、マリア?その手、どうしたの?』

『あ…。こ、これは…』

 裁縫の糸で誤って刺した他の傷とは明らかに違った。

 しかも、侯爵家のご令嬢であれば手は美しさを保つように厳しく言われているだろうし、擦り傷をつくるようなことをするとも考えづらい。

 だったら…。

 胸騒ぎがしたわたしは、マリアの部屋へと向かった。

 ノックしようと、軽く握った拳をドアに近づけたときだった。

 耳を澄ませると、中から鼻をすする音が聞こえた。

 マリアが…泣いてる?

「マリア、入るわよ!」

 ノックも忘れてわたしが突然入ってきたからか、マリアはベッドの上で驚いた顔をしていた。

 いや、違う。

 わたしに泣き顔を見られてしまい驚いているんだ。

「マリア…、どうしたの」

「ち、違うんです…!目にゴミが入って、それで…」

 マリアは慌てて涙を拭う。

 でも、枕に顔を押しつけて、声を殺して泣いてるいたことにわたしはちゃんと気づいている。

「どうして隠すの、マリア。学院でなにかあったの?」

「…なんでもありません!いつも通りです」

 笑ってみせるマリアだけど、無理をしているのは痛いくらいにわかる。

 だってほら、スクールバッグだってボロボロじゃない。

 わたしが持ち上げてはたくと、その拍子に取っ手が外れて中のものが床に散らばってしまった。

「あ…、ごめん」

 わたしは慌てて拾い上げる。

 そもそも、この前までなんともなかったスクールバッグが取っ手が外れるほどに壊れるなんておかしい――。

 そのとき、バッグから散らばったマリアの私物の中からあるものを見つけた。

『お姉様…!出来上がったら、このハンカチ…もらっていただけますか?』

 それは、授業でリリアがわたしのためにがんばって刺繍をしてくれているというハンカチだった。

 しかし、あのとき見せてもらったものと同じものとは思えないほどにビリビリに破け、マリアが一生懸命に刺繍したRの糸は雑に抜き取られて絡まっていた。

「…マリア。どうしたの、これ」

 わたしは思わず怒りで声が震えた。

「そ、それは…」

 言葉を詰まらせるマリア。すると突然、大粒の涙を溜めてわたしに深く頭を下げた。

「ごめんなさい、リリアお姉様…!せっかくお姉様に受け取ってもらうはずだったハンカチがこんなことになってしまって…。わたし、がんばってもう一度つくりますから、次は必ず――」

「そうじゃない!」

 わたしが声を荒げるものだから、マリアはビクッとして黙り込んだ。

 わたしが怒っているのはそこじゃない。

 “なんで”ハンカチをボロボロにしてしまったのかではなく、“だれが”ハンカチをボロボロにしたのか。

「マリア、わたしたち双子の姉妹じゃない。マリアの楽しいことうれしいことは共有したいと思ってる。もちろん、つらいこと悲しいこともね」

 わたしがそう言うと、マリアは唇を噛みしめながらこくんと頷いた。

 そして、マリアをソファに座らせて落ち着かせると、ぽつりぽつりと言葉を詰まらせながらも話してくれた。

 実はマリアは、少し前から学院でいじめられていた。

 しかも、そのいじめの原因は…なんとわたし。

 クラスメイトの女の子たちが登校拒否のわたしをバカにした発言が許せなくて、マリアが言い返したのだそう。

 それをきっかけにマリアはいじめられ、初めは無視や陰口だったのが最近はエスカレートになってきて、今日は後ろから突き飛ばされて水たまりにはまってしまったという。

 周りには心配かけたくないし、だれにも相談できずに今日まで悩んでいたと話してくれた。

 まさか、マリアがひとりでいじめにたえていたなんて…。

 家では明るく振る舞っていたから全然わからなかった。

 手の甲に擦り傷をつくって、それを隠そうとしている時点で気づくべきだったのに…。

「…ごめんね、マリア」

「どうしてリリアお姉様が謝るのですか…!」

「だって、マリアが学院でそんな思いをしている間に、わたしは部屋でぐうたらして過ごしていただけなんだから」

 病気になってから、看病してもらうだけでなにもしてあげられなかったというのに、転生してからもわたしは人のためになにもできていなかったなんて…。

「マリア、無理して学院に行かなくたっていいのよ?卒業なら、お父様がどうにかしてくれるから」

 わたしが言うのもなんだけど。

「ありがとうございます。ですが、授業は楽しいのです。だから、なるべく休みたくなくて」

「…そっか」

 行きたいと言っているのに、行くなというのは言うのは少し違うわよね。

「大丈夫です、お姉様。私が我慢すればいいだけですから」

「でも…」

 そんなの、マリアだけが我慢すればいいなんて間違っている。

 それに、そう言うマリアの笑顔が見ていて切ない。

 こんなにも健気でかわいいわたしの妹になんてことを…!

 いじめてるやつら、絶対に許さないんだから。

「わかった、マリア。わたしに任せて」

 わたしはゆっくりとソファから立ち上がる。

「お姉様…、任せるとは一体…」

 きょとんとしながら見上げてくるマリアに、わたしはにっこりと笑った。

 そして、部屋に戻るとドレッサーの前に座った。

 その鏡に映るわたしは、悪役令嬢らしい意地悪な微笑みを浮かべている。

「妹のためなら、喜んで悪役になってみせますわ」


 次の日。

 わたしは朝起きると、リリアの普段着として用意されている派手な色のドレスではなく、ミモレ丈のスカートが清楚感漂う白の制服に袖を通した。

 そして、同じ制服を着たマリアとともに、用意されていた馬車に乗り込んだ。

 向かうは、マリアが通う(わたしも一応在籍はしている)リュミエール学院。

 馬車が正門前に停車し、わたしは一番に降りた。

 レンガ造りの高くそびえ立つ校舎を前にし、体験版以来の本物のリュミエール学院にわたしは息を呑んだ。

 こないつもりだったのに、きちゃった。

 すると、周囲からどよめきが起こった。

「あれって…、だれ?」

「隣にいるのはマリアよね?ヘアスタイルが違うけど、あのふたり…同じ顔してない?」

「…ということは、まさか!あれが登校拒否していると噂の、マリアの双子の姉――」

 周囲が驚くのも無理はない。

 入学初日から一度も出席したことのなかったリリア・フォン・アルベールが、初めて学院に姿を現したのだから。

「たしかリリアって、家でも外でもわがままで傲慢な悪役令嬢らしいわよ」

「ヤダ〜…。それなら、ずっと家に引きこもっていればいいのに」

 周りからは口々にそんな声が聞こえた。

 批判的な言葉の数々にやさしいマリアは心配してくれるけど、うつむくわたしはにやける顔を悟られないようにするのに精一杯だった。

 登校初日から悪名高ければ、いじめっ子たちへのいい牽制になる。

「さあマリア、行くわよ!」

 意気揚々とズカズカと校舎に入ったのはいいものの、そこでわたしはピタリと足を止めた。

「…で、マリア。わたしのクラスってどこかしら?」

 マリアとは同じクラスらしいけど、初めて登校するわたしはそもそも自分の教室の場所さえも知らなかった。

 そんなわたしを見て、後ろから歩いてくるマリアはクスクスと笑っている。

 よかった、マリアが笑ってくれて。

 そう安心したのも束の間――。

「よう、マリア・フォン・アルベール」

 ネイビーのブレザーにチェック柄のパンツの制服を着たふたりの男子生徒がマリアの後ろにやってきた。

「さっきそこで、いいものを拾ったんだ」

「かわいいから、ティアラとして頭につけてやるよ」

 そう言ってマリアの髪につけたのは、なんと緑色のクネクネと動くイモムシだった!

「…キャッ。い、いやっ…」

 虫が大の苦手なマリアは恐怖に震え、しかし自分で取ることもできずにその場にうずくまる。

 ――『私が我慢すればいいだけですから』。

 そのとき、無理して笑うマリアの顔が頭に浮かんだ。

「ハッハッハッ!お似合いだぜ!」

 マリアが嫌がっているというのに、ふたりはケラケラと笑い合う。

 その瞬間、わたしの中でなにかがプッツンと切れる音がした。

「マリアをいじめているのは、お前たちかー!!」

 そう言ってわたしは高く飛び上がると、ふたり目がけて強烈な飛び蹴りを食らわせた。

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