第三十三話:初めてだから
これはあの時、初めて片桐千夏と出会い帰路を共にした時のことだ。
千夏に一ノ瀬の初恋相手が自分だと告げられ、様々な感情が混在していたが一つだけ確かな感情を玲奈は捉えていた。
正直に言えば、認めるきっかけが欲しかったのかもしれない。
初めてだから、これが正しいのか分からなかったけど誰かにそうだと言って欲しかったのかもしれない。
『恋は盲目』という言葉がある。その言葉の意味は「恋に落ちてしまえば理性や常識を失ってしまうということ」と、ずいぶん前にググったら出てきた。
彼は私に興味がない訳ではないようだけど、いつも同じ顔をしていた。平然とした顔で恥ずかしくないのか?と言いたくなるほど。
だけど、あの夏休みにプールに行った日、初めて彼の感情が表に出ていた気がする。
最近は勉強や文化祭のことより彼のことを考えることが多くなった。見切り発車の行動が増えてきているのもわかっていた。
試食会の時やその日の帰りに好きな人の存在を聞いた時、極めつけはさっきの駅のホームでのこと。
普段の私ならスルーする場面だったけど、引くなんていう選択肢はなかった。
もう引くに引けない状況にまできていると実感する。
彼を好きになる理由なんていくらでもある気がする。その中でも彼は私を2度も救ってくれた。
今考えれば、もうあの時には本気だったのかもしれないと恥ずかしくなってしまう。
『千夏さん』
『ん?』
『———私も一ノ瀬のことが好きです。だから、誰にも渡しません』
玲奈は人生で初めて人に喧嘩腰でものを言ったかもしれない。宣戦布告としか取られないような言い方で。
だけれど、心は重い荷を下ろしたような安堵と恥ずかしさで埋め尽くされていた。
今まで悩んできたことだったが、こう口に出してみると想いの強さが身に染みて分かった。
『へぇー。玲奈ちゃんって結構強情だね』
千夏も玲奈の返答にはあまり驚きもせずに言葉を続ける。
『でも別に私が今も好きとは言ってないよ?』
『あ・・』
千夏がまたこちらをいじるように笑みを浮かべる。それとは反対に玲奈は顔を赤色に染め、下を向いた。
『でも、晴輝は手強いよ?あれで天然たらしだからね。誰にでも優しいし、それに超鈍感っていうフルコンボ。あ!あとはこっちに興味なさげなのが辛い!』
玲奈は思わず「ぷすっ」と吹き出してしまった。
『一ノ瀬って、本当に昔から変わらないんですね』
『そうなのー。本当に大変だったんだから。でも、髪型が大胆になってたのはびっくりしたかな』
『あれ、私が勧めたんですよ』
『そうなんだ。ねぇねぇ、もっとお姉さんに今の晴輝のこと教えてよ』
玲奈は笑顔で「いいですよ」と言って、駅から目的地に着くまで玲奈は『現在』の千夏は『過去』の人について語り尽くした。
先ほどまで感じていた千夏への劣等感も私だけが知る彼を話すことができてその気持ちはなくなっていた。
玲奈は初めて想い人のことを分かち合う嬉しさ、楽しさを知ることができた。好きになるという感情もこんなにも素敵でワクワクする。
彼に会える明日が、彼の横にいられる時間が、彼とスマホを通じてつながっていられる毎日がワクワクに変わっていく。
自分の気持ちが『恋』だと気づいた時、人はどれだけ変われるだろうか。
玲奈の住んでいるマンションまできたところで『最後に』と前置きをして千夏はこう言った。
『玲奈ちゃん、一つ私と約束してほしいの』
『約束?』
『そう。晴輝はね、自分がどれだけ魅力的な人間かを理解できてないの。それはとても勿体無いし、気づいてほしいの。自分にも人を幸せにできるんだって思えるようになってほしいの。だから玲奈ちゃん、晴輝と一緒に幸せになってね』
彼女の瞳は先ほどより力強い目ではなかった。
昔を懐かしむような、でもそれには縋ってはいけないと自分に歯止めをかけているような瞳だった。
『・・分かりました。初恋だし、分かんないことも多いけど、頑張ります』
『自分の思うままに行動すれば良いと思うよ』
『分かりました。ありがとうございます』
『あ、でも初恋は実らないって言うし、もし晴輝がいつまでもフリーならお姉さんが迎えにいくもしれないよー?』
『あー!また意地悪!』
そして、現在———
「そろそろ行こうか。ライブ始まるって伊織からラインきた」
「うん、いこっか」
その意中の男子は先ほど自動販売機で買った緑茶を飲み、そう言った。
そろそろ3時だ。文化祭の目玉である軽音部のライブがもうすぐ始まる。
体育館へとつながる階段を登り切ったところで気づいた。体育館の中にはうちの生徒だけでなく、一般の外部からのお客さんで埋め尽くされていた。
「もうすぐ軽音のライブだ!急げ急げ!」
うちの学生らしき男子数名が体育館の中へと足速に消えていった。
私たちが休憩している間に用意されていたパイプ椅子はおろか、入り口付近にまで人が押し寄せていた。
これは流石にライブどころではない。未来たちとの合流もできるかすら危うい。
「これは厳しいな」
そう一ノ瀬が呟く。
このライブ自体、私も興味があった。去年よりも大会などで好成績を残していた軽音部にも、一ノ瀬との文化祭デートでの最終地点。それが今では中に入れるかも分からない。
入れたとしてもこの人混みじゃ迷子になるのが確実だ、これ以上一ノ瀬には迷惑はかけたくない。
その思いが強く玲奈の中で渦巻いていた。
私はこの文化祭で一ノ瀬に伝えたいことがあったのに。それは私のわがままで到底受け入れられられない願いというのは重々承知の上だった。でも今日、ここで伝えないともう間に合わないとも分かっていた。
でも、こんな予測もできたはずの事態を前になす術がなかった。
「——村、岡村。なにボッーとしてんだよ」
「あぁ、ごめん。何?」
前方から聞こえる騒音のせいもあるが一ノ瀬に声をかけられていることにすら気を回せなかった。
「フードしっかり被っとけよ。今から暑くなるかもだけど」
「どういうこと?」
「ライブ見るんだろ?まぁ、流石に迷子を一日に二人助けるのはあれだから、ほら」
(え?)
一ノ瀬はそう言ってあるものを差し出してきた。それはさっき握った、握られた手だった。
「・・その、さっきみたいに手繋いでたら迷子にもならないし、ナンパもされないだろ。俺だって一応男だし、それくらいの役には立てる」
そう恥ずかしそうにしている様子は夏休みのあの日を思い出す。
(ほんと千夏さんの言う通り)
玲奈は少し笑い、フードを先ほどよりも深く被った。そして、「彼」の手を握った。
さっきとはまた違う感情を持っての手を握る行為。
それは双方ともに理解していたかのようにお互いが指と指を絡めた。
神経全てが右手に集約する感覚に襲われた。その手は温かく、「離さない」という強い意志を持っているかのようだった。
「じゃあ絶対離さないでね。次、迷子にしたら私帰ってこなくなるかもよ?」
「それは困るな。分かった、岡村もちゃんとついて来いよ」




