第5話 (その3)
Rotterdam空港は思いの他小さかった。
空港ターミナル近くに止まった機体からタラップで降りた弘明は、覚束ない足取りのままローカル駅の様な建物へ向かった。
フライトは予定時間に十数分遅れているだけだったが、心身の気怠さはミッドナイトフライト以上だった。着いてみればオランダの空も曇天、ただ英国と違ってまわりは見渡す限りに平地。ニューヨーク程ではないヒースロー空港よりもなお鄙びた風景が広がっていた。
(ああこれが本物のオランダか)と感慨に浸る弘明、思えば長崎で過ごした大学4年間、大学の講義も受けずに部屋で油絵を描いていた。
元はと言えば高3の秋に美大の話があったが、絵では飯が食えないと母に言われ工学部へ進んだ。だが船を造りたいと思って入った大学の教養課程に倦み、男しかいないキャンバスを嫌って、とどのつまり美術部で絵を描き短大美術部の女性に血道を上げた。
(なんで今、そんなことを)と思う弘明は、朦朧とする頭に戸惑いながら見れば、だだっ広い滑走路の向こうは、どこか「種蒔く人」の風景に似ていた。ただアルルの6月のまばゆい太陽や、黄金色にうねる麦畑は見当たらない。どちらかと言えば、彼がモチーフにしたミレーの風景に近かった。
秋とは思えぬ外気に身を縮めながら、人の流れに従ってターミナルへ入った弘明は、まるでのんびりしたターンテーブルから自分の荷物を手にして税関へ向かった。どうも動きが鈍かったのだろう、簡素なステンレステーブルに荷物を載せたら、後にはもう誰もいなかった。
ヌーボーとして目前に立つ税関員の二人、恐らく2メートルはあろうかという長身で弘明を見下ろしていた。ただ米西海岸の頑強な官吏らとは違って、どこかアスパラガスの様に色白の青年は、碧い目を光らせて言った。
「What is this?」
大きい方のスーツケースを広げた弘明は、心ここにあらずの状態で臨んでいたのだろう即座に返事が出来ない。
もう一度繰り返し言われて、はたと質問を理解した。
だが税関の指差す物に見覚えが……・いや、思い出した。
「Ah, it is pickles, Japanese pickles.」
それは出張の前に妻が荷物に忍ばせた、ラッキョウの小瓶。
時間に追われ、開ける間もなく過ごしていた。
だが通じない。
瓶を開けて差し出すと顔を顰める税関、
(またか)と嘆きながら、お先真っ暗の弘明だった。