【第二話】情報屋な協力者
都会にいるはずなのに穏やかに静まり返った一角。
それほど離れているわけではないのに、都会の喧騒を周りの自然が吸い込んだように遠くに聞こえるほど、ここは木々が並び立ち、都会にいることを忘れさせる。
通りに立ち、遠目から大きな建物を眺める、ブルーグレーのスーツに丈の長い黒のコートを羽織った男。
警視庁捜査一課の刑事、藤堂隼人。
ひとつの事件が片付いた後、他の事件が舞い込む合間を縫って彼が足を向けたのは、かつての大事件の舞台となった邸宅。
長年の時間の経過により風化した建物だが、その大きな存在感は健在で、訪れた隼人は、遠く、静かにそれを見上げながら、勇む気持ちとは裏腹に一向に真実に進めない自分を悔やんでいた。
ため息と悔しさを風に溶かした後、再度確固とした決意を胸に宿し直せば、邸宅の前へとゆっくりと足を進めていく。
すると、邸宅の門構えの所に先客がいることに気が付いた。
だが、それは昔からよくあったことだった。
未解決事件の現場。
凄惨な一家惨殺事件が起きた物件。
事件現場となった豪邸見たさ。
野次馬と呼ぶべき存在が、ここぞとばかりに集まっていた光景も飽きるほど見てきた。今まではこの一家にも、豪邸にも興味はなかったはずの人という人が、事件が起きれば途端に蜜に群がる昆虫のように集まる。
まるで昔から知ってたかのように話し、まるで昔から何かが起こることを知ってたかのように話し、根も葉もない噂も広げていった。
――金持ちは必ずどこかで恨まれてる。
――この家の人達の嫌な噂を聞いたことがある。
――どうせ怨恨だろう。
――どうせ資産問題とか遺産相続での身内の事件だろ。
一家が全員亡くなってしまった為に、反論する者もできる者もおらず、無念に死してなお、世論から根も葉もない噂で黒いレッテルを貼られていく。
この邸宅を意味もなく訪れて眺める人達は大抵がそんな者達ばかりだった。死者を悼む者は極少数だ。大半は邸宅を眺めては笑っていた。
刑事として真相を追うようになってからも、数年が経った後でも見たことがある。その度に胸の内がざわついたが、止めるまでもなく言わせておき、静かになるまで遠くから見ていた。
だが、事件の記憶がメディアからも人々からも薄れてきた頃から、そのような人をパタリと見なくなっていたはず。
だからこそ、「またか……」と小さくため息をついた。
しかし、今は進む足は止めない。野次馬に思考を邪魔されている時間はない。
幸い、今いるのはたったひとりだ。自分が行けば空気を察して立ち去ってくれるかもしれない。
もし笑い話とばかりに自分に話を振ってきたら、無言のまま、持ち前の人相の悪さで追い払おうとさえ考えていた。
「あれ?こんな所に刑事さんなんて珍しいねー?」
……追い払うつもりで近づいた思考が掻き乱された気がした。
かつて凄惨な事件があった現場だというのに、この場に似合わないほどの明るく朗らかな声をかけられたからだ。
隼人が近づいた気配か足音で気付いた彼女は、隼人を見るなり邸宅へ向けていた体をくるりと返し、真っ正面で迎え立っては軽く笑顔を浮かべたまま明るく返した。
白いブラウスには濃い紺色のスーツを羽織り、ビジネス用だろうダークブラウンの鞄と靴。長い黒髪は少しだけ高い位置でひとつに結わいており、手元には手帳を持っている。
身軽そうなのにビジネス風のスタイルの女性。
彼女の格好からして即座にジャーナリストだと見抜いた隼人は、今更事件を面白可笑しく掘り起こそうとする不謹慎な奴と認識して相対する。
「お前、こんな所で何してるんだ」
特別感情を含まない、含んだとすれば不躾な者に対する嫌悪を込めて冷徹に言葉を返せば、彼女はどこ吹く風に天柳院邸を見上げれば視線を隼人から外した。そして彼女は――
「刑事さんならご存知ですよね?
ここで、18年前に酷い事件があったことを……」
と、とても静かに言った。
口元は穏やかな笑みを浮かべながらも声は第一声よりも少し落ち、邸宅を見上げる視線は真剣そのもので、彼女の言葉は、横にいる隼人へとしっかりと聞き届けるように告げられた。
そのあとも、この邸宅の住民は六人で、その六人全員が皆殺しにされ、金品を奪われた殺人強盗事件のこと。そのすべての事柄をハッキリと口にした。
もちろん、当時は大事件としてニュースでも雑誌でも取り上げられて世間を騒がせていた為、この程度のことなら誰でも知っていてもおかしくはないのだが、事細かに口にする彼女に「関係者か?」と問うも答えは「NO」と返されてしまう。
となれば、だ。
彼女の見た目の年齢的にも事件当時は一桁代だろうことから、好奇心でここに来て、面白可笑しく記事にしようとする者だと隼人は解釈し、やはり追いやろうとする。
「俺が刑事だとわかってるなら言わなくてもわかるだろ。
今さらジャーナリストが書くことなんてねえよ」
彼女がまだ名乗る前だった為ジャーナリストというのは隼人の予想ではあったが、その言葉を受けた女性は驚く……かと思いきや、驚くよりも「へえ……」と何故かにやりと笑った。
「さすがは刑事さんですね。名乗らなくてもわかっちゃうなんて。
まだ私、名前も、肩書きも、年齢も、
なんにも自己紹介してないのに」
ついさっきまでの事件を語る声とは打って変わって、第一声の朗らかさにプラス、にやにやと笑う響きを混じえて、静かに威嚇する隼人へ女性は嫌らしく笑って反撃した。
めんどくさい奴だな……と思った隼人は、早々に話を切ろうとため息をついて視線を邸宅へ移す。
「あんたのことなんてどうでもいい。さっさと帰っ――」
「『結城 椛沙』です!
これでもジャーナリスト!の……たまご……です!」
隼人の言葉を食ってまで途端に元気に明るく自己紹介されたかと思えば、ずいっと何かを差し出されて、外した視線を戻さざるを得なくなっては咄嗟にそれを受け取ってしまう。
――完全に勢いに負けた。
とはいえ、その差し出された物よりも、ジャーナリスト『のたまご』ということに、本当に新人の好奇心かと心の中で呆れてしまう。
「本当にジャーナリストか……。なんだ?
今さら面白可笑しく事件を蒸し返すつもりか?」
正直、自分も真相を知りたくて追いかけている身だからこそ、突然現れた者に好奇心で荒らされたくない本心が露骨に棘として現れ、真っ向からその棘を初対面の女性に向けてしまった。
我ながら大人げないとは思ったが、好奇心で荒らす方も無礼だと思い、その言葉を引っ込めるつもりも言い直すつもりもなく返答を待つ。
さすがにそんな言い方は癪に障るか?と思ったが、結城は何を気にすることもなく平然としており、「いえいえ?」ときょとんとした顔のまま片手をブンブンと振った。
「この事件を記事にするつもりはありません。
気になる事件だっただけです」
本当に裏もない素直な言葉と表情で否定した。
しかし、今もジャーナリストがここに来ることは異例であり、しかも記事にするつもりもないのに足を運んだなど、何か理由があるのではないかと勘繰ってしまっても無理はない事態だ。が、彼女は先ほど『関係者ではない』とも言っていた。
ならば一体なんなんだ?なにが目的だ?
と混乱が頭に浮かんだ時、黙ったまま考える隼人の様子を見てから結城は笑みを浮かべ直すと「そうですよね。お邪魔になっちゃうので今日は退散します」と残して去って行ってしまう。
明るい声色と朗らかな笑みを浮かべて。
―― 一体なんだったんだ?
そんなことを思いながら、突然訪れた嵐が突然去ったようにその場に取り残された隼人は考えていた。
やがて、考えが行き場を無くした頃我に返れば、先ほど差し出されて咄嗟に受け取ってしまった物を確認する。
結城が勢いよく両手で差し出して来たので、つい同じように両手で受け取った物。その姿勢、角度、大きさ。ある意味骨髄反射でそう受け取ってしまう物。
名刺だ。
そこに記載されていたのは、確かに結城がジャーナリストという肩書きを持つことと、とある有名な出版社の社名、そして連絡先だ。別にそれ以外はなんの変哲もない普通の名刺である。
「……そういえば、俺の渡し忘れたな」
なんて染み付いた習慣を思って呟いたが、刑事は有事の時に警察手帳があるし、簡単にプライベートを明かすわけにもいかないと思い直して、名刺交換をしてないという考えをすぐさま捨て去った。
それに、今後も関わるかはわからないし、ジャーナリストに用はないだろうと今後の関わりを否定しながらそれをポケットにしまった。
――結城椛沙。
初めて聞く名前であり、事件の書類などでも見たことがない名前であることから、本当に事件関係者ではないただのジャーナリストだったのだと、特に気にも止めず、隼人は邸宅を見上げる。
他に誰もいなくなったそこに、たったひとりだけで静かに邸宅を見上げる隼人の目には、先ほどの強さや棘っぽい雰囲気は消え失せ、どこか目を細めながら寂しそうな色を含んでいるように見えた――。
……それから少しのあとのことだった。
「おお、隼人。こんなところにいたか!」
陽が落ち切る直前の黄昏時のこと。警視庁の裏手で缶コーヒーを片手に一息入れていた隼人を見つけ、逞しい響きを持った声をかけた男性。
短めでウェーブなのか寝癖なのか癖っ毛なのかわからない髪を跳ねさせた、焦げ茶色の髪をした中肉中背の中年男性。警視庁捜査一課長の『戸張 玲慈』だ。
渋く漂うダンディズムを纏いながらも、口を開けば途端に緩い雰囲気を持ち、課長としての真価を内に秘めている不思議な空気を持つ者だ。
突然の戸張の姿に少しだけ驚いたように壁についていた背を離し姿勢を戻すと、戸張が微かに肩で息をしていることに気付いては「なにかありましたか?」と問う。すると、ある住宅街の裏手山林で殺人事件があったのだと聞かされ、手の空いてる者に召集がかかったという。
課長の戸張自身もこれからすぐに現場に向かうこと言えば、隼人は自分が車を出すことを伝え、戸張と共に現場へ行くことにした。上司の為、といえば聞こえはいいのだが、共に行くことにすれば、現場へ行きながらの車の中で事件の概要を聞くことができるからでもある。
その考え通り……というより、情報共有は当然でありながら、戸張は隼人がそう考えるだろうとわかっていたかのように、車に乗り込んで発進すると同時にスマホを片手に情報を読み上げた。
「被害者は『鈴木 杏那』。34歳。
死因は、頭部を鈍器のような物で殴られたことによる脳挫傷、
および、外傷性くも膜下出血だろうとさ」
「殺害場所が住宅街裏手の山林だと言いますし、
怨恨の説も強そうですね」
「他人なら、わざわざ呼ばれてもそんな所に行かねぇよな。
でもまあ、まだ決めつけはよくねぇな。
世の中には、俺達でも予測できないくらいぶっ飛んだ奴もいるんだしな」
戸張と隼人で事件の犯人像に目星を立てながら推理していく中、先行している部下や鑑識からの情報をスマホで確認しながら話していた戸張が、部下からの更新された情報を読んで「あ?」と声を零す。
その声に何事かと思いつつ、隼人は戸張からの続く言葉を待っていると、しばらく情報を噛み砕く時間を要してからも疑問を含んだ声で読み上げた。
「なんか、被害女性の隣に、別の女性が倒れていたらしいぞ?」
「え?」
殺害された女性の隣にもうひとりがいた?
そうなれば、女性ふたりを狙った犯行なのか。
もしくは片方が犯人で、殺害後に自害したか、無理心中か。
「その別の女性の容態は?」
「どうやら無事みたいだな。
……いや、同じく殴られたみたいだから無事じゃあないが……」
殴られたとなれば無理心中の線はほぼないだろう。
そうなれば、第三者による怨恨の説は生きている。が、被害女性が二人もいたのなら、片方の親しい者による怨恨の犯行という線も薄くなる気がした。片方を恨んで殺したくても、誰かといる時に狙うのはリスクが大きい。とはいえ、両方に恨みがあったとしても、ひとりで二人を殺すのもかなりの労力になる。あるとすれば複数犯。または、片方の怨恨に片方も巻き込まれたか。
隼人は得意のロジックでいくつかの可能性、仮説を瞬時に構築させていくが、情報を聞いただけでは推理できることにも限界がある。
幸いひとりが生きていてくれているのだから、もしかすると犯人を目撃しているかもしれない。同じく殴られたのは変わらない為心配ではあるが、そんな希望にかけて現場へ向かう気持ちが早まる。
「殺害された女性と、その人の接点は?」
「いや、まだわからん。
今調べてるところらしいんだが……」
友人か。巻き込まれただけか。それはまだなにもわからないが、手がかりのひとつはそこにある。それに、自分の顔を見られたかもしれない相手が生きているとわかれば、犯人はもう一度何らかの接触をしてくるかもしれない。
今度こそトドメを刺す為、その後の様子を伺う為、犯人は現場の近くにまだいるかもしれない。早く捕まえなくては。
そんな正義心から車を走らせる速度が少しだけ速くなった、その時。
「ふーん。生きてる女性、
どうやらジャーナリストみたいだな」
「へえ。…………ん?」
淡々と情報を読み上げて関心したように「ほお~」と息を零した戸張とは真逆に、少しの間があってから、隼人の眉間には瞬間でグッとシワが寄った。
いや、最初は普通にたまたまジャーナリストだったということで大した考えは過らず、戸張と同じように普通に「へえ」と零したのだが、最近『ジャーナリスト』というワードを聞いたことを思い出しては変な唸り声が出たのだ。
だが、ジャーナリストはこの世にたくさんいる。
あの女は関係ないだろ。と眉間のシワを片手の親指でぐりぐりと戻した。
そして、たどり着いた現場。
そこには見覚えのある人物が確かにいた。
「あっ、戸張課長!藤堂さん!お疲れ様です!」
先にいた刑事や鑑識からの歓迎を受け、戸張はすぐに状況の確認へと移る中、隼人が視線を向けたその先に、その人はいた。
「あ……」
隼人の視線に気付いたその人は、視線を交えるとベンチに座ったままの姿勢で小さく声を発する。傍には応急手当をする鑑識の男と女性の警察官がいて、すぐさま被害者の生きている方だとわかる。何故なら……。
「なんでお前がここにいるんだよ……。
ジャーナリストのたまごの結城椛沙」
生きているとはいえ被害者に対して労る心さえなく淡々と並べられた温度のない言葉に、結城はそれを逆に "あの時の刑事だ" と認識するきっかけとし、あの時と変わらない朗らかな笑顔を浮かべてぺこりと頭を下げた。
――この事件現場で、結城が倒れていたという。
隣で同じく倒れていた女性は死亡し、その隣で結城も倒れていたのだとか。
幸い、結城は駆けつけた警察に助け起こされた時すぐに意識を取り戻し、頭部を殴られたとはいえ重症は負っていなかった。その為、救急車を待つ少しの間に無理のない程度で事情を聞かれていたらしい。
彼女が話したのは、通りがかりで悲鳴を聞いて駆けつけたら被害女性が倒れていて、助け起こそうとしていたら、背後から男に殴られたのだと話した。
殴られる直前で振り返った結城の覚えていた犯人の風貌や、近所の防犯カメラや目撃証言、口論する男女の声を聞いたという人達から捜査を進めていった結果、すぐに犯人は逮捕された。
犯人は『月代 晴』。被害女性、鈴木杏那の恋人であり、別れ話のもつれから故の犯行だとわかった。
結城と鈴木に接点はなく、現場に駆けつけたが為に、目撃されたことにパニックを起こした犯人に殴られただけだったということも……。
頭を殴られた為に、治療および後遺症がないか経過観察が必要ということで、少しの間入院している結城にも事件解決の話をする隼人と他の刑事達。
隼人本人はあまり言葉をかけなかったが、周りの刑事達から事件の解決を聞き、経過観察が終われば退院という話も聞いた結城は、もう体も万全なようで元気な様子を見せていた。
その姿に安心した刑事達の間にも「ご無事でよかったです」と優しい笑顔が生まれていた。が、その中でも無愛想に笑わない隼人は、その空間に突然水を差す。
「なんですぐ助けを呼ばなかったんだよ。
倒れてるのを見たら、その場を離れて通報しろ」
やっと口を開いたと思えば、至極真っ当な意見をストレートに突き刺すと、その件を反省している様子の結城は俯いたままぽつぽつと話した。
「呼ぶより前に、声をかけよう、助けようと思って……。
でも、すぐ呼ぼうとは思ってましたよ!?」
「犯人に背後から殴られるくらい警戒心ガバガバなら、
先に連絡してからにしろ。死ぬぞ」
ちゃんと通報することは頭にあったことを力強く伝えたのに、それすら丸ごとバッサリと問答無用に切り捨てた隼人の言葉に、結城は反論の余地を完全に無くしては再度項垂れて黙った。
その問答を見ていた刑事達は結城の背中をさすってなだめ、「隼人さんはこういう人だから」と謎のフォローをしていた。が、この距離だ。当然聞こえている。
「こういう人ってなんだよ」
ちょっとだけさっきまでとは種類の違う、ふてくされたような色を持った声で隼人が不満を零せば、不思議と水を差した空間に柔らかさが戻った気がする。だからか、今度は若い男性の刑事が困ったように笑いながらハッキリと言った。
「そういう、女の子にも容赦ないところですよ!
結城さんは被害者のひとりなんだからもう少し優し」
「男女平等って言葉もあるだろ。
一歩間違ってたら死んでたかもしれないんだし、
言われて当然だろ」
男性刑事の言葉を食ってまで反論した隼人だったが、ふと最後の言葉に気付くものがあった周りの刑事達は少しの間のあと、小さく笑うと「そういうところもねー」とか「素直じゃないんですからー」と小声でそれぞれが呟いていた。
そんな刑事の様子とにやにや笑う顔に最初はわからず、「?」と頭にハテナを浮かべていた結城だったがすぐにその意味に気付いて、周りの刑事達とは違って、合点がいったように ぽんっ と手を打つ。
「ああ!そういうことだったんですね!
心配してくれてるってことでしたか!
なんだ。それならそうって素直に言ってくれればいいですのに」
先ほどは隼人がストレートな物言いをしたからか、意図してか無意識か、今度は結城がストレートに言葉をぶつける。まったくの悪意は感じないものの、思ったままの心の声を向けた瞬間、周りの刑事達が あわわわわっ と焦ったのは気付けない。その言葉は、まっすぐ隼人を見て向けられたからだ。
まあ、その言葉を向けた瞬間、黙ってはいたが隼人の体に力が入る微動は伺えたのだが。そして、隼人の隣に立つ男性刑事の焦りも視界に入っていたのだが。
しかし、何故その話の流れで周りが焦るのかがわからず、隼人が黙ったのを好機として「もっと素直になった方が印象よくなりますよ?」と追撃する。もちろんそれは、鋭い目付きと無愛想な顔により、基本的に第一印象があまりよくないことを含めて、せめて素直な方がまだ印象が良いと繋がる意味だった。
「別に。刑事なんだから印象が怖くても不便しないだろ。
なめられる方が困る」
と、低く威圧感を持って言葉を向けた隼人。だが、妙に威圧感を含めた為に、怒りより別の意味があるように届いては "本当は気にしているのでは?" と変な憶測を生んでしまう。少なくとも結城はそう解釈した。
すると、隣にいた女性刑事が耳元で、まるで内緒話をするようにポソリと「照れ隠しだから気にしなくていいですよ」なんて微笑みをたたえて教えてくれた。
そして完全に理解した。
この藤堂隼人という男は――
「照れ屋さんなんですね!」
結城の明るく微笑ましそうな声がその言葉を告げた瞬間、「あーーっ!!」という刑事達の心の声が聞こえた気がする。いや、実際には声にもなっておらず聞こえていない。だが、空気がそう伝えた気がした。
当の言われた本人である隼人は、一瞬こそ彼女の発言の意味の理解に時間がかかったが、すぐにグッッと再度体に力が籠った。するとすぐに――
「結城椛沙ぁぁぁぁぁッッ!!!!」
と、普段からじゃ想像できないくらいの大声で叫んだ。怒りじゃない。これは恥ずかしさがキャパオーバーした状態だ。
「ちょっ!?藤堂さん!ここ病院!相手怪我人!!」
瞬間右手を突き出そうとした隼人を近くにいた男性刑事が押さえ、結城の口を女性刑事が塞いでいた。
今なにが起きようとしたのかまったくわからなかった結城はきょとんと口を押さえられたままでいたが、なんとなく隼人の挙動でわかった気がする。
今、もしかして、右手の鉄拳制裁が飛んで来るところだったのでは……? と。
そして、本当に照れ屋なのだな、と。
そう強く確信したら表情が途端に緩み、口を塞がれた姿勢のまま にへら と結城が微笑ましそうに顔を崩すと、ぽわぽわとした結城の心の声でも読み取ったのか、ギリッと、より隼人の右手に力が込められた気がした。
……それからの日々。
隼人が刑事の仕事をしていたり天柳院事件を探っている時に、結城とは何度も遭遇することが増えた。最初は部外者の煩わしいジャーナリストとして邪険に扱っていたが、結城がめげずに隼人を見かける度に「藤堂さん藤堂さん!」と、懐いた子犬のようにまとわりつくので隼人がやがて根負けする。
そして気付くのは、やはり一番は天柳院邸前で会うことが多いということ。初対面もそこだったなと思い出すほどに。
あれからだいぶ経つが、以前言っていた通り、結城は天柳院事件を追っているはずなのに、記事に書く様子がまったくといっていいほどにないのだ。
それらを確信すればするほど疑問が沸き上がり、隼人は、やがて素直に問い質すことを選んだ。
「どうしてお前はここにこだわってるんだ?
関係者じゃないんだろ?」
その問いかけに結城は一瞬こそ驚いた顔をするが、すぐにその表情を鎮めては打って代わり、柔らかく穏やかな表情で隼人を見上げた。
「藤堂さんこそ。
時効を迎えた事件を追いかけ続けるのは、
周りから変な目で見られませんか?」
と、極普通の疑問の言葉を投げかけて返答を待っていたはずの隼人が、結城の言葉により自分の言葉を詰まらせてしまう。
その様子から何かを察したのか、結城は少し考えたあと、「年齢的には近いのか……」とぽつりと零した。
一体なんのことかと思ったが、被害者である息子が生きていたら隼人と年が近いことを感じた結城は、安易な想像だとは自覚していながらも「お知り合いだったとかですか?友達だったとか……」と神妙に問いかけた。
年が近いから知り合いとは限らない。そんなこと言ったら、年が近い人は全員知り合いみたいな定義になってしまう。だからこそ、隼人の目的を探る意味でのひとつの "きっかけ" として、結城は否定されることも十分に考えてそう言ったのだ。
「友達……。そうだな……。友達だったよ」
しかし、予想に反して返ってきたのは、酷く沈んだ様子で隼人が答えた、小さな "イエス" の言葉だった。
だから隼人は必死にこの事件の真相を追っているのだと。
友達の死、友達の家族全員の凄惨な死が、なにも解明されないまま闇に葬り去られ、時代の流れと共に風化して、人々の記憶からも消えていく事態。
無念で、悔しくて、ただ黙って見送っていることができなくて。たった一人になっても必死に、孤独に、探し続けていたのだと。
予期せぬ形で隼人の一途で強い覚悟を垣間見てしまった結城は、隼人の気持ちを横から乱して汚してしまった気がして「ごめんなさい」と、土足で踏み込んでしまったことを素直に謝った。
「……いいよ。全部事実なんだから。
今になって誰かに横槍入れられようと、
邪魔されようと気にならない。
俺は、俺の為に探すと決めたんだから」
邸宅を見上げながら静かに語った隼人の表情は、強い覚悟のもとの行動だというのに妙に落ち着き払っており、見上げる瞳は、邸宅ではないどこか遠くを見ているような気がした。
それがなんなのか、被害者の友達なのかはわからない。
それでも、その横顔は、それ以上先への追求を拒み、恐れるような憂いを帯び、たったひとり、酷く重いものを背負っているように見えた――。
それからというものの、刑事とジャーナリストは情報交換がしやすく、事件が起きれば現場で居合わせることも多かった為、大々的に表立ってはよろしくないが、そんな時は共に事件を推理し、調査し、解決することが多くなっていった。
「被害者は、有名資産家の『棚宮 重士郎』か。
今、資産運用を任されてる息子の『十里』社長を狙わず、
その親である重士郎を狙った殺害……」
独り言なのか問いかけなのかわからない隼人の声が響いたこの部屋は、落ち着いた木目調の造りをした座敷の個室。とはいえ、どちらかの家というわけではなく、真ん中には掘炬燵のようなものとテーブルがあり、和室居酒屋のような場所だった。
そんな所での隼人の独り言なんかではなく、問いかけのように言葉を聞かせたのは、向かいに座って同じく資料を眺めている結城だ。
外で刑事とジャーナリストが表立って接触して話していたら変な目で見られるだろうし、情報漏洩を疑われ、特に刑事である隼人の立場が危うくなってしまう。だからこそ、時々こうした個室の飲食店で情報交換をしているのだ。
だが、公共の場で個室を選んだとしても会話が会話の為、もし聞こえようものなら、もしなにかをきっかけに書類を見られようものなら、二人の存在が危ぶまれてしまう。特に隼人は、重大な犯罪や殺人事件を扱う捜査一課の人間の為、警察官と違ってより世間に溶け込む為にスーツ姿でいるというのに、顔バレしてしまっては今後の仕事に支障が出るだろう。結城も同様で、警察と繋がりがあるジャーナリストと知れ渡ってしまえば、今後の取材の際に拒否をされたりと支障が出るのは想像がつく。
色々考えた結果、結城はリスクさえなければどこであってもまったくなにも気にしない様子なので、今回のような個室飲食店で話したりすることが多く、時には隼人の家で話し合ったり、ほんの時々は結城の家を使ったりしながら情報交換をしていた。
しかしそれでも、家というのは誤解や不審も招きやすい為、戸張オススメの "刑事の溜まり場" と呼ばれるこの個室居酒屋を使うことが増えた。店主は戸張と古くからの友人のようで、話を耳にしても静かに黙したまま、外部には絶対に漏らさないと信頼されているようだった。
この店の存在は隼人も知らなかったのだが、外で情報交換をするのはリスクがあるだろ、と戸張から教えられたものの使うことがなかった。
しかし今日、またしても現場付近で聞き込みをしていた時に結城と遭遇し、
「今回の事件、身内が怪しいですよ」
と先に言われたことから、結城はなにか情報を持っていると知った隼人はその根拠を聞こうとした。が、結城が黙ったままにやにやするので、情報を渡す代わりになにか求められると察した隼人は先手を打つ。
「……なにが望みだ?」
面倒だから早く言え。という言葉は隠しながらもその気持ちは強く乗せて聞くと、結城はにやにやしていた笑みから、まるで待ってましたと言わんばかりに明るい笑みを浮かべ、素直に放った。
「ごはん奢ってください!」
「……は?」
結城の明るく素直な言葉とは対照的に隼人のドスが効いた低い声が返されると、馬鹿にされたと思った結城は途端に不服そうな顔をする。
「食事は生きる為に必要な行動のひとつですよ!?
藤堂さんだってお腹すきません?」
「いや、まあ、そうだけど……。そんなことでいいのか?」
「お腹すきましたので!」
「あ、そう」
「腹が減っては戦ができぬ、です!」
「はいはい」
そんなことで思い出したのがこの場所であり、奥の座敷では落ち着いて様々な食事ができると聞いていた為、今日訪れることを選んだのだ。
「わっ。お洒落なお店ですね……!」
店の入り口を越えた時に飛び込んできた景色に驚いた結城が小さく驚いた声を上げるが、オススメされたままに訪れた隼人も少しだけ驚いた顔を浮かべていた。
――落ち着いて話せる座敷の部屋がある。
そう聞いていたのだが、扉を越えた先に広がったのは、確かに落ち着いてはいるものの、薄暗く大人の雰囲気漂うダイニングバーだった。
すぐに白シャツに黒ベストの制服を着た身なりの綺麗なウエイターが案内しようとすると、あとから現れた中年の男性がそれを制し、自分が二人を案内すると告げウエイターを下げれば一礼した。
オススメした頃から戸張は話を通していたのか。
隼人は今日初めて訪れたというのに、身なりの整ったスタイルの良い黒髪の店主、『奥近 楓愁』は、隼人と結城の姿を見るなりすぐに一番奥の座敷の部屋へと案内した。
念の為に隼人は警察手帳を見せ、結城を「協力者」と口にすれば、「わかっていますよ」と穏やかな口調と柔らかい物腰で返したという。
戸張が「刑事の秘密基地だ」と言っていたのはそういうことかと納得できた気がした。
表は極普通のバーで一般人を相手にしているが、実は奥では時に刑事が情報交換しているという、まるでどこか世を忍ぶような二面性だ。
同時に、それを黙認しては協力している奥近という男の、器用で巧みな手腕さえ強く感じるほどだった。
それからは、座敷に似合う和食の数々に舌鼓を打ち楽しんだあと、お酒は入れずに仕事の話に戻ったのが今だ。
正直、こんな付き合いによる情報交換ができるのは、結城が無名の新人ジャーナリストだからでもある。それに、もし結城が警察よりも先に、とんでも推理と憶測で記事を書くような者なら、関係や接触を続けることさえしなかっただろう。
彼女は至って、警察が検挙して情報を公開してから、それを更に掘り下げる形で記事を出すスタンスだからというのもある。
そして、隼人も必要以上に情報を口にすることはせず、警察が公開可能な情報だけを述べる為、漏洩というほど漏洩していないギリギリラインを貫いている巧みさもある。
なのに、結城の情報網はとんでもないくらい多くあった。隼人の少なすぎる、世間にも知られているような情報を伝えられれば、それに対する新情報を返してくる。その情報収集能力は敏腕であるのに、何故いまだに有名にならず、記事が有名にならないのか不思議なほどだった。
「その息子社長の十里さん、
父親の重士郎の言いなりっぽいですよ」
「言いなり?経営方針とかを裏で牛耳ってるってことか?」
「それもありますけど、最近、
重士郎の遺産問題で一家はもめてたみたいです。
遺産分配がかなり極端だったとか……。
ちょっと待ってください」
そう残して結城が手帳やカメラを探り出したので、それを待ちながら事件の背景を整理する隼人。もしこの話の通りに遺産問題で殺害されたのだとしたら、外部ではなく内部犯行の可能性が出てくる。
だが、その線ももちろん考えていた隼人は、事件直後、家族総出で重士郎の死を嘆き悲しんでいたのが演技の者がいる可能性を思えば、「はあ……」と小さくため息を零した。
「どこにでも、金目当てで人を殺す奴はいるんだよな……」
ぽつりと小さく落とされた言葉。
悲しみや呆れを滲ませながらも、どことなく心ここに在らずな無感情さえ宿したように、まるで吐き捨てるようなため息に近い言葉だった。
間違いなく天柳院家の、友達の死を想って重ねた意味を持っているとすぐにわかった。
珍しいくらい落ちた声を聞いた結城は、カメラをいじるふりをして隼人の表情を心配そうに伺っていたが、今は触れるべきじゃないと気付かなかったふりをし、カメラをずいっと隼人の前に差し出した。
「これ、見てください」
そうして見せられたのは、被害者である重士郎と話す女性が写る写真だった。いや、これは話しているというよりも、口論しているように見える。
「まさか、これ……」
「ご自宅に帰られた重士郎を待ち伏せて、
言い争っていたんです。それと……」
次に差し出したスマホで動画を再生した。
それはテレビでも流れていた、重士郎の死を嘆き涙する家族のインタビュー動画。これは隼人もテレビで観ていたが、それがなにかあるのか?と思いながらも眺めていて、気付いた。
「あれ?この人、口論してる女性だし、
右手の怪我はいつしたんだ?」
隼人の目に止まった違和感。
口論していた女性は、現社長である十里の姉である『遥果』だった。重士郎にとっては娘である人物。だから家族の並びにいるのも当然なのだが、結城の見せてくれた写真では写っていない右手の怪我が気になった。大きな絆創膏は肌色に合わせている為目立たないが、それが逆に気になってしまうのだ。
「結城、この写真撮ったのいつだ?」
「重士郎殺害のニュースがあった前日の夜です」
なんとなくある予想がついた。
あの怪我は、父親である重士郎を殺害した時に負った怪我かもしれないと。そう口には出さずに頷いてはある仮説を立てる。
「姉が父親の会社を継がず、弟が継いだこと。
その弟は父親の言いなりか……。
もし息子だけを可愛がっていたら、
極端な遺産配分にも想像がつく……」
ポツポツと呟くように推理をしては、決して "確定" ではなく、"推測"、"仮説" として頭の中で構築していく。
隣でその様子を終始眺めていた結城は、隼人のロジックが終わるまで静かに見守ってから、まるで補足のように言葉を加えた。
「少し前から遺産問題の噂があって張り込んでたんですけど、
遥果さん、だいぶ怪しいですよ」
とても真剣な音を持った声に振り向くと、その真剣でまっすぐ隼人を見つめる結城の瞳は射貫くほど力強く、見つめ返した隼人の背にゾクリとした寒さが駆けた。
今まで無邪気で子犬のようにまとわりつく明るい姿しか知らなかったから、突然の鋭く強い面に震えたのかはわからない。ただ無意識に、自然とそう感じたのだ。
「重士郎は自分の言い付けに忠実な十里だけを可愛がり、
遺産も弟に全て渡すと零していたようです。
姉の遥果さんからしたらとんでもない話ですよ」
謎の感覚に固まる隼人には気付かずそのままに、結城は目線を隼人から手元の手帳に移して、調べ上げた情報を少しの自身の憶測も交えて伝える。
おそらく、結城の中でもひとつの可能性である結末が見えているだろう。それを先に記事にすれば多くの目を止める存在になるだろうに、結城は手柄や出世に興味がないのか考えていないのか、隼人にすんなりと話している姿を見れば、有名にならない理由がわかった気がした。同時に、才能がもったいないなと。
「……新人のくせに、敵に回すと怖い奴だな」
背中に訪れた冷たさは気にしないことにして、結城の情報調査の力を感心しながらも隼人が茶化すように言うと、言われた言葉の意味に表情を途端に緩め「?」となる結城はいつもの感じだった。
しばらくしてから意味に気付いた結城は綺麗にくすくすと笑ったあと、同じような言葉を隼人に返してきた。
「藤堂さんこそ。これくらいの情報で違和感に気付けて、
推測を立てては犯人の的を絞って、
絶対に逃がさないとする気迫は怖いくらいですよ?」
怖いくらいと言っても、楽しそうに笑って言う結城に説得力はゼロだ。しかも褒められているのかもわからない為、隼人は言葉も返さずに微妙な顔をしていた。
それでもなんとか返答を探して、見つけたのは……。
「……まあ、刑事だからな」
これだけ。
ド正論といえばそうなのだが、探せばもっと言葉はあったような気もする。しかし、結城は特に返答を必要としていなかったのか、隼人の言葉のあとにまた小さく笑っていた。
「さすが、警視庁捜査一課の敏腕刑事ですね!」
「馬鹿にしてんのか」
褒めたのかはわからないが、笑みを含んだ結城の言葉はお気に召さなかったのだろう。隼人はすぐさま無愛想に言葉を返していた。
その後、隼人の推測通りに、遺産問題で重士郎を殺害したのが実の娘であり、社長の姉の遥果の仕業だと立証された。
重士郎は息子である弟の十里だけを可愛がり、後を継ぐ意欲があり経営学も学んだ姉の遥果を押し退け、経営学もノウハウも知らない十里に会社の後を継がせただけに留まらず、遺産さえ十里とその家族に全て相続すると決めていた。遥果の一家には一銭も渡さないと。
だからこそ、この悲劇が起きてしまった。
傾いていく会社を案じ、遺産のことも考えて直してほしいと最初は穏やかに直談判するはずだったのだが、聞く耳を持たなかった父親はそれだけに留まらず、もう家族ではない、敷居を跨ぐなと放ったらしい。
それをきっかけに、家の中に入るまで問い詰めてから包丁で刺し、殺害してしまった。
右手の怪我は、包丁を刺して思い切り押し込んだ際、手元が前にずれ込み、包丁の柄側の出っ張り……切刃で自身の手まで押し切ってしまったのだろう。
ならば何故、娘である遥果がそこまで邪険にされてしまったのか。
それは重士郎がまだ社長だった頃、特定の社員にのみ贔屓し、好まない社員への待遇の悪さを知った遥果が、父の異様に偏った経営方針を直接指摘した頃から始まったらしい。
重士郎は、身内であろうと自分へ指摘する存在を片っ端から非難し、邪険にする面があったという。
――実の娘であるのは変わらないのに、ここまで追い詰めて殺人者へと豹変させてしまった彼にも、少なからず問題はあったと筆者は思う。
「……その通りだな」
署のソファで堂々と仰向けで横になりながら、上へ掲げた雑誌に小さく笑った。そのあとすぐ、男は開いたままの雑誌を顔に乗せて動かなくなった。
「……っちょ!隼人さん!また野良寝して!」
「仮眠だよ、仮眠。10分したら起こしてくれ」
「え!?急ぎって言われたから豪速球で終わらせたのに!
それに、僕、鑑識だから戻らなきゃならないんですけど!」
「…………」
「寝た!!!!」
白衣を羽織り、淡い茶色の髪の前髪をヘアピンで止めた柔らかい雰囲気の男性の胸には大事そうに書類が抱えられており、先ほどの会話から察するに隼人が頼んだものだろうと容易に想像ができた。
柔和で穏やかなそうな雰囲気に似合うほど、声にも明るさとのほほんとした音を宿すほどの優しそうな男性。
そんな彼でも怒るかと思いきや、すぐに書類を隼人のデスクに置いたあと、素早く仮眠室から毛布を持ってくると、それをそっと隼人にかける。どこまでも想像を裏切らないほど優しい男だ。
「仮眠室もあるんだから、そこで寝ればいいのに……」
最後に困ったように笑えば、そのまま放置して持ち場に戻るかと思ったものの、男性は隼人の向かいのソファに座って、起こす約束を果たす為に待つことを選んだようだ。
もはや優しいのか、ただのお人好しなのかはわからない。
とはいえ、待っている間は手持ち無沙汰になってしまうので再度立ち上がると、隼人が顔に乗せていた雑誌をそっと手に取り記事を眺めた。
「さっき隼人さんが笑ってたのはこの記事?
なにかあったのかな。……あ」
雑誌を眺めていて気付いた。この事件の記事を取り上げた記者に。
「これ、あの時の被害者の子の記事だったんだ。
結城さん、元気そうでよかった」
恋人の怨恨による事件に巻き込まれた被害者の名前。その人が今も変わらず元気に仕事ができている様子を記事越しに見えた気がして、男性はただでさえ柔らかい表情をさらに綻ばせて小さく微笑んでいた。
その後、10分過ぎても隼人が起きないのはいつものことで、さらに寝起きの隼人の機嫌の悪さも人相の悪さもいつものことだったが、寝顔を隠す雑誌を取られたことまで怒られたのは不憫であった……。
それからしばらく経ったある日。
ふと、妙な感覚を思い出す。
最近、結城の姿を見かけなくなった気がした。
いつからだったか覚えていないほど、突然ぱったりと会ってないことを思い出す。
「最後に会ったのはいつだったかな……」
そう口にはしたものの、相手もジャーナリストなのだから別の事件で忙しいのかもしれない。毎回同じ現場に会うほうが珍しいことだと思い直し、「まあ、元気ならいいか」と取り立てて気にすることをやめた。
真実の中に隠されたもうひとつの真実に迫る手が、
隼人のすぐ傍にまで忍び寄っていることさえ気付かずに――。
【第三話へ続く】




