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街影プリズム  作者: 諸星中央
10/12

(10)

 鶏胸肉を持って教室を出る。昨日の虚しさがまた繰り返されることは理解していても、やめることもまた、悲しみを呼び起こしそうでいやだと思う。

 おしは今日も待っていた。初瀬川がいなくてもなお、俺を出迎える。

「俺でいいなんて、変わってるな」

 脚にまとわりついて肉をねだるおしに、包みを開く。

「お前も初瀬川の方がいいだろうに……気の毒な気もするけど、まあ、エサはあるもんな」

 無心に見えるおしを置いて、俺も自分の食事を取り始める。俺は、初瀬川と、何がしたかったのだろう。俺の寂しさは確かに初瀬川がいることで軽減された。だが、俺もそれなりの対価は払っている。もっと割のいいことはあるだろう。

 今、飯が美味い。今日は購買に早く並べたんだ。ひとつがなくなっても、全てが消えてしまうわけでは……。

 そのとき、ポケットが震えた。携帯だ。手を突っ込んで画面を開くと、そこには……初瀬川!

 一瞬画面に食い入ったあと、勢い込んで受話ボタンを押した。

 誰も出ない。

「初瀬川? 初瀬川だよな」

「……つふざけ……お……えのか……」

 呼びかけに応えたのは遠い声だった。初瀬川ではない。ガラの悪い声だ。

 砂利の散る音がした。そして聞きたかった声が、弱々しく響いた。

「ご・・・…なさい。すみ……してくだ……」

 初瀬川が絡まれている!

 俺は走り出した。

 初瀬川の家から遠くないところ、砂利があるとすれば河原か……いや、もしかしたら外れの駐車場かもしれない。

 駐車場の方が若干近いと踏んで方向転換した。全力で走ること五分。さすがに息切れが激しくなってきたところへ、男たちの声が飛び込んできた。

「お前ら! やめろ!」

 相手を確認せぬままわめき散らして駐車場へ入った。五、六人のごろつき風体の男が初瀬川を囲んで押し倒していた。

 どう考えても劣勢だが、一気に身体が熱くなった俺は手近な男に殴りかかった。

 瞬間、初瀬川と目が合う。戸惑いと、そして困惑が浮かんでいた。

 俺が来て彼女はどう思うのだろう、そう頭によぎった。もしかしたらもっと困らせているだけなのだろうか。

「下がってろ」

 これは誰のための行為なんだ?

 頭に血が上ったのは一瞬で、あとは冷ややかなものが頭にあった。

 これは俺の取るべき行動なのか?

 初瀬川が望んでいないのなら、この役割は俺のためのものではない。

 そもそも俺が初瀬川になぜこんなに入れ込まなければならないのだろう。

 急に絶縁したかのような行動を取った彼女に愛想を尽かさなかった俺がいて、彼女の方は何をしてくれた?

 確かに俺は寂しかったが、俺とコイツの関係は、どちらかと言えば俺が与えることが多かったではないか。

 振るった右腕にしたがって後ろへ転がった男は、這いつくばって恨めしげにこちらを睨みながら血を吐いている。

 この人数だ。間もなく立場は逆転するだろうに。

 視界の端で影が揺れた。

「ぐっ、う、げは……」

 直後、後頭部をしたたかに打たれ、意識を失いそうになる。

 一撃で倒れるなど笑いものだ。孤独の論理で踏みとどまり、振り向きながら裏拳をかます。

 左拳が捉えた顔は悪意に満ちていた。

 俺のこの行動の源泉は、悪意と違うものなのか。

 組みつかれて殴られる。憎しみの目で男たちが集う。

 連続する痛みに感覚が麻痺し、殴られる抵抗感はどんどんなくなって行く。

 こうしてあっけなく人は死ぬのだろう。

 だが、もはやそれもいいのかもしれない。

 コイツらが俺を憎んでも、誰が俺を嫌っても、あいつがこのあとこの男たちに何をされても、あいつは俺のしたことを忘れないし、その好意をとどめたまま俺は消えられる。

 狭くなって行く視野の向こうで、あいつは泣きそうな顔をしていた。

 そんな顔はしないでくれ、せめて最後は笑い顔を記憶にとどめたい。

 暴力が止んだ。話し声が聞こえる。

「どうする?」

「どうするか」

「見えなくすればいいんじゃね?」

「見えなくって」

「埋めるんだよ」

 不穏なことを言っている。

「埋めてもさ、あんまり浅いと出てくるんじゃね? この辺土固いし」

「じゃ、あのドラム缶にぶち込んでから埋めよう」

 聞こえるなり中空の金属を引きずる音が鳴った。

「よし、ま、じゃな」

 耳元で男の声がして、髪の毛を掴まれ吊るされた。

 自分の膝が土を擦る音の向こうでドラム缶に砂利が注ぎ込まれる音が聞こえる。

 ……いよいよのようだ。

 そのとき。

「や、やめて下さい!」

 か細く惨めに怯えた声が聞こえた。

 俺にとってそれは、自分の断末魔を聞いているようにも、天上の色彩を帯びた音色にも聞こえたが。

「私が弱いのは分かっています」

 震える初瀬川の声に、ガラスの割れて散る音が重なった。

「お、おい」

 男たちがうろたえている。

「ですが、危害を加えられて黙っているわけにはいきません。私だけならと思いましたが……高島くんにこれ以上酷いことをするのなら、私にも考えがあります」

 不規則な息づかいの中を妙に落ち着いた呼吸音が割って入った。……初瀬川は本気なのだ。

「はせ……ま……て」

「お前、そんなもの振り回したって、この人数に……」

「全員に勝てるとは思いません。ですが死ぬ前に何人か道連れになってもらいます。あわよくば全員に怪我を負わせて……そうすれば気力も削がれるのではないですか? どちらにせよ死ぬのですから、そうします」

「待て、考えろよ……」

「考えて行動しないで人を殺すのは、たくさんです。私もあとで逝きますから、死んで下さい」

「おい、帰るぞ、もうコイツいいだろ」

「そ、そうだな、もう充分やったしいいだろ」

「そういうわけだから、お互い手を引こうぜ、な。俺たちは死にたいわけじゃねぇんだ……」

「それは私たちも同じです」

「行くぞ、おい、行け!」

 掴まれたときとはおよそかけ離れた手つきで丁寧に地面に寝かせられると、すぐにまとまって男たちの足音が遠ざかっていった。慌ただしかった駐車場に静寂が訪れると、すぐ瓶の落ちる音がして、初瀬川が走り寄ってきた。

「高島くん!」

 大丈夫という風に腕を振ろうとするが、上手く持ち上がらない。

「高島くん……こんな……。大丈夫ですか? 大丈夫であって……」

 代わりに腕を引きずって、初瀬川に触れた。初瀬川はすぐにその腕を取って寄せる。俺は頭を小刻みに動かして言った。

「だ……じょうぶだから。だい、じょうぶ」

「よかった……すぐ、病院に……」

「はせ、がわ」

 初瀬川は俺を抱き起こそうとする動きを止めた。

「だいじょうぶ、だな? けが、してないよな?」

 俺の声に初瀬川の腕の力が抜け、そして急に力強く抱きしめられた。

「私……生きてます」

 温かいものが落ちてきて、俺のほおを濡らした。

 初瀬川……泣いている?

「高島くんも生きてる……」

 声が震えている。確かに泣いていた。

「ああ、生きてるさ……初瀬川のおかげでな」

 ゆっくり口を動かしてそう言うと、初瀬川はむせぶように息を詰まらせた。

「違うんです。私はただ、またひとりになりたくなかったんです。あれから勇気を手に入れたわけでも、思いやりを身につけたわけでもありません」

 小さく震える初瀬川に、もう一方の腕も寄せ、乗せた。

「前、出来なかったことが、今度は出来たんだろ? みんながみんな、出来るわけじゃないんだ。上出来じゃないか」

 呻いた初瀬川は俺の胸に額を押しつけ、二度頷いて見せる。

「あいつらは悪いヤツだったけれどさ、他の人が悪いと言うことはないし、あいつらだっていつまでも悪いヤツじゃないかもしれない。したことは変わらないけれど……」

 言っていて、伝えるべきはそんなことでないと気づいた。

「ごめん、そんなことはどうでもいいんだ。……ただ、初瀬川は俺に安息をくれた。何って、それが一番重要なんだ。生きている喜びと先に進む勇気と。全部初瀬川のおかげで手に入ったんだ。片方だけの関係じゃないから成り立ってる。俺が初瀬川にあげたものもきっとあるし、俺も初瀬川からたくさん受け取ってるから、一緒にいたくなるんだ」

 涙を落としたまま俺の胸を上がってきた初瀬川の頭は、今、俺のあごについて、横向きに小刻みに振れた。

「そんな、私こそ……高島くんに迷惑かけてしまって。せっかく楽しませてくれたのに最悪な気分にさせてしまって、もう合わせる顔がないって思ってたんです。……短縮の高島くんのアドレスを眺めてばかりいて、そんなことしていても何も解決しないのに。ごめんなさい、これからも一緒にいてって言えばよかった。携帯に目を落として、あの人たちにぶつかって、また高島くんを酷い目に……」

 また悲しそうな顔になる初瀬川を遮って言った。

「いいから、もういいんだ。ぶつかって俺のところに電話がかかってきてよかった。俺、馬鹿だからさ、どうしていいのか分からなかったんだ。初瀬川が俺のアドレス見ていてくれたおかげだよ。ありがとう」

「それでありがとうって、わけが分からないですよ……」

 そう言いつつも初瀬川は笑ってくれた。今までで一番きれいに笑っていた。

「来てくれてありがとう。気にかけててくれたんですね、ずっと考えていてくれたんですね。本当にありがとう。人の間には嘘の気持ちもあるけれど、そうでない気持ちもいっぱい溢れてます。高島くんが私に向けてくれている気持ちだって」

 なんだか言葉が出なくなって、俺は彼女の髪をなでることでそれに応えた。甲に添えられた彼女の手が、温かだった。

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