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《第二章》  這い寄るヨクボウ 第3話

 近くの自販機からコーラを二本買って神社に戻ると、社に設えてあった蛍光灯がベチベチと嫌な音を立てながら点灯し始めた。既に小学生がウロウロしていていいような時間帯ではなかったが、幸太は「委員会で遅くなる」と言い訳してあると細い声で言った。流石にこんな時間まで活動してる委員会ともなると小学校には存在しないような気がするのだが。


「……オバケって、言ってたな。そりゃどういう意味なんだ?」


 別に鼻っから信じていないわけではなかったが、かと言えばすんなり鵜呑み出来るような言葉でもない。彩人たちが追いかけている“噂”と同等に胡散臭く、かつ存在が実証されていないグレーな言葉。スマートフォンを嗜むような人間が跋扈する現代の中ではほとんど消えかけている存在だ。


「僕、その……少し前にオバケを見たんです。信じてもらえるか、どうか……」

「とりあえず全部話してみてくれよ。話聞かないことには何とも言えないし」


 頭から否定しなかった理由の一つとして、彩人もそれと同様の存在を目の当たりにした――というのもある。どろりとした漆黒に包まれ、不規則に生え揃った歪な牙で獲物を喰らう異形のバケモノ。あんなモノ(、、、、、)オバケ(、、、)だなんて可愛く三文字にまとめられる気は全くしなかったが。


「学校から帰る途中、空き地で見つけた野良猫と遊んでたんです。僕猫とか好きだから、見掛けるとどうしても追いかけたりしたくなっちゃって」


 その気持ち、分からんでもない。


「それで追いかけてるうちにずいぶん暗くなっちゃって帰らなきゃって思ったんです。いつも帰ってる道から離れちゃってて、道に迷いそうになりながら走ってたら、その……」

「オバケを、見た?」


 幸太の身体がふるふると微かに震えだし、両手で身体を抱えるようにして蹲る。小刻みに震えながらどうにかといった感じで頷くと続きを話した。


「よく見えなかったんですけど……黒い、煙みたいなオバケだと思います。それが空き地の奥の工場にすーって入っていって……」

「追いかけたのか?」

「最初は恐かったんですけど、何となく気になって……そうしたら」


 ごく、と唾を飲み込む音。

 徐々に青ざめていく幸太の顔、そしてコーラを握りしめる指が小刻みに震えだす。


「……めちゃくちゃになった、猫の死体があったんです。内蔵とか飛び散って、て……う、ぷ」

「あー、それ以上はいい。ある程度の事情は分かったから」


 幸太の話は彩人たちが追いかけている『ヒト喰い』の噂に酷似している。というより、彩人が遭遇した状況と完全に同じだった。路地裏で見つけた猫を追いかけて、その先で猫が殺されて。高校生の彩人はともかく、小学生の幸太がそれを目の当たりにしたら精神的に相当なダメージに違いない。それでもこうして事情を話せるあたり心の芯がなかなか強からしい。姉が優秀なら弟も、だろうか。


「そのオバケを見てから、僕恐くなってミッちゃんを守るための場所を探してたんです。誰にも見つからないような場所で、こっそり隠せないかって」

「んー、こういう場合は逆効果じゃないか? 家でじっとしてた方が安全に思えるけど」

「……ミッちゃんは、僕が拾った猫だから僕が守りたいんです。お父さんとかお母さんとか、お姉ちゃんにはこれ以上頼りたくなくて」


 背伸びしたい年頃、か。

 高学年になると、学級委員に委員会活動などが加わってある程度の“責任感”が芽生え始める。程度の差こそあれ、幸太は優秀な姉に感化されて歳の割には責任感が強い傾向にあるのかもしれない。加えて、若干の反抗期もあるらしい。そういった感性が複雑に重なり絡まりあった結果、こんな無謀な行動を選択したということか。


「それでここか。街外れだし、人通りも少ないから見つかりはしないだろうけど……あんまり遅くなるとそれこそ親に迷惑が掛かるんじゃないか?」

「それは、その……」

「ま、俺が今日見たことはお姉ちゃんには黙っておくけどな。あんまり負担にならないように気をつけないと。昨日もその猫を探して路地裏にいたんだし」

「……あの、学校だとお姉ちゃんってどんな風なんですか?」

「どんな風……って」


 茶道部の部長で才色兼備。後輩からの支持も厚く、彩人も何度か言葉を交わしたが明るく爽やかで好印象。

 今のところは非の打ちどころのない、周囲の人気の高さも頷けるというイメージだ。


「そう……じゃなくて、何て言うか……あの」

「歯切れ悪いな。言いたいことがあるならスパッと言った方がいいぞ?」

「…………変、じゃないですか?」

「変? ……何処がだ?」


 今までの話の何処から“変”という言葉が飛び出したのだろう。


「いえ、別に変じゃないなら、それでいいです……」


 それから幸太は「すみません」と小さく付け加え、気持ちよさそうに眠っているミッちゃんのお腹を撫でながら小さく溜息を吐いた。



 ※


「そうだ。その工場の場所教えてもらってもいいか?」


 幸太と分かれる直前、彩人は先の話に出てきた工場の場所を訊ねておいた。

 場所はこの神社から見て北東、彩人も通っていた小学校からそう遠くない位置にあった。そういえば、小学校の時ここで遊んではいけませんよと注意されたような覚えがある。工場は所謂廃品をリサイクルするための工場で、周囲には何処からか回収されてきた廃品が山積みにされていた。周囲は有刺鉄線と金網で囲われていて猫一匹入る隙間がない……と、思ったのだが存外ボロい柵で大小様々な穴があちらこちらに見えている。

 時刻は九時を過ぎたところ。非常灯の明かりがぼんやりと光る建物には人の気配が感じられなかった。


「猫の死体……か」


 少し前がどのくらいの期間を指すのかは分からなかったが、彩人は半ば反射のような感覚で工場に向かってしまっていた。琥珀や瑠璃たちに何も連絡せずに。というか、連絡先も聞いてないし。

 人がギリギリ通れそうな穴をくぐり抜け、携帯電話の明かりを頼りに工場に忍び込む。足元にはサビの粉のようなモノやガラス片が散らかっていて、付近は鉄臭い匂いが充満している。彩人は足を忍ばせ、建物沿いにゆっくりと進んでいく。


「外のトイレの近くって幸太は言ってたけど、トイレって何処だよ……?」


 大きく口を開けて虚しく転がる冷蔵庫、何の機械の部品なのか見当もつかない巨大な歯車。これからリサイクルされるのか、それとも完全に廃品として処理されるのか分からないようなガラクタの山を彩人は独り言混じりに歩く。やがて、視界の先にプレハブ小屋のような質素な建物が見えてきた。壁の上部に青と赤の人型マーク、幸太の言っていたトイレで間違いないだろう。


「……くっさ。本当に人が使ってるのかよ」


 開きっぱなしの入り口から漂う不快な匂いに彩人は顔をしかめる。建物自体が古いのか、それとも掃除が行き届いていないだけなのか。どちらにしてもとても居心地のいい場所ではなかった。幸太の話では、ここの近くに猫の死体があったというが……


「君、そこで何をしている?」

「え……? う、っわ!?」


 野太い声に振り返ると眩い光が飛び込んできて、彩人の視界を一瞬奪う。無理やり左眼をこじ開けて見てみると、そこには紺色の制服を着込んだ中年男性が訝しげな顔を浮かべて彩人を睨んでいた。警備員、なのは言うまでもないだろう。よれた制服は相当に年季が入っているらしい。


「……興涼高校の制服か? ちょっと君こっちに来な――ぁガッ」

「え……、ッひ!?」


 警備員の手からライトが滑り落ちたかと思うと、不意にその身体がゆらりと中空に浮かび上がり、その胸元から歪な突起物が貫く。そしてそのままゆっくりと警備員の身体が持ち上がり、黒い靄のようなモノがその身体を――、


 グシャリ、ゴッ――ギ、リッ――。


 真っ二つに砕いた。

 頭蓋が粉砕し、肉や内臓の類が空中で滅茶苦茶に咀嚼され黒い靄の中へ消えていく。残された下半身がどさりと倒れる音が耳朶を打ったと同時、放心しかけていた彩人の意識を現実に引っ張りだした。


「うぁ、あぁあああ、ぁあぁぁあああああッッ!?」


 闇の向こう側から人間を咀嚼する音が木霊のように、地の底からわき出すようにして延々と響き続ける。ゴリッ、と硬い音は骨をかみ砕いている音。ヌチャッ、と濡れた音は血肉を啜る音。不気味で吐き気を催す獣のような食事(、、)シーン。その主の意識が、ゆっくりと彩人に向けられた。


「い――ッ!?」


 その右眼に、金の光彩を放つ彩人の右眼にソレ(、、)は映り込んだ。

 唾液と血液が混じった異臭を放ち輝く歪な牙、陽炎を纏った巨木のような太く強靭な四肢。狼と豚とをごちゃ混ぜにして出来上がったような醜悪なそのカオ、紫紺色の双眸はまっすぐ彩人に向けられている。獲物を前に躍る、ある種の純粋な眼差し。腰が抜けるか抜けないかの瀬戸際の彩人はすり足のような挙動でジリジリと後ずさっていく。視線は、なるべく目の前に集中させながら。ほんの僅かにでも意識を反らせば、先の警備員のように噛み砕かれてしまう。お互いに刹那の探り合い。逃げようと動かし続けた足が、何かに――触れた。


 カラン…………


 鉄パイプか何かを踵で転がしてしまった、その瞬間を合図に一人と一匹はあらん限りの力でコンクリートの地面を蹴飛ばした。


「うぁああああああああああああああああああああああああッッ!!」

『グルゥァアガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』


 背後で工場の壁か何かがひしゃげるような音が聞こえたが彩人は一切を振り返らず、今までの人生の中で最大限の全速力で両足を懸命に動かしていた。

 どんなに息が切れようが、制服が破けようが怪我をしようがお構い無しに、最初侵入してきた横穴に向かって走り続ける。あの『ヒト喰い』はスクラップを蹴散らしながら同じようにして彩人に迫ってきている。その体躯に加え、野を往く獣と同等の瞬発力。人間の全力なんぞでは到底及ばず、振り上げた『ヒト喰い』の剛腕が無防備な彩人の背中を薙ぎ払った。


「がっはぁあああッ!?」


 凄まじい衝撃が襲い掛かり、彩人の身体は金網も有刺鉄線も諸共にぶち破って地べたに叩き付けられる。裂けた金網、鉄線の棘が彩人の身体中をズタズタに引き裂き、制服が血みどろに染まっていく。だが、辛うじて意識だけは残っていた。


「ゲホ、がは……ッあ! 腕が……ち、くしょう……足も痛ぇ……」


 仰向けに転がったその先で、『ヒト喰い』の顎が大きく開かれていくのが見えた。

 歪に生え揃った牙には、今しがた喰らったばかりの警備員の血がぬらりと不気味な光沢を帯びている。異臭と重圧、完全に圧倒されてしまった彩人にはもう成す術がなかった。ただ、喰われるのを待つばかり。恐怖も何もかも、感覚が全て麻痺してしまっていて何も感じられなかった。

 ここで、俺の人生が終わる。


『おにーさんッ!』


 諦めかけたその時、右手側から覚えのある無垢な声が聞こえたかと思うと、『ヒト喰い』の頬に水色の何かが凄まじい勢いでぶつかってきた。砂埃をあげて横倒しになる『ヒト喰い』の傍に、突如として可憐な少女が優雅に着地した。人形の身体を持つ琥珀の妹――瑠璃だった。


「る……り? な、何でお前がここに」

『その説明は後でいいよね。立てる? 走れる? っていうか生きてる?』

「しゃべってんだから、生きてるに決まって……つつ」


 腕や足の切り傷が身動ぎするたびに痛みがじりじりと響く。が、完全に動けないというほどではなく彩人も何とか一人で立ち上がることが出来た。

 すると、瑠璃は工場の外――ではなく内部の建造物を指差した。


『お姉ちゃんがあそこにいるの。『ヒト喰い』が怯んでる間におにーさんの怪我を何とかしなきゃ』

「……悪い」


 警備員の詰め所のだろうか。

 さして規模の大きくないライトグリーンの建物のドアが小さく開いていて、そこから琥珀の無機質な瞳が覗いている。状況が状況であったら相当にホラーだが、彩人は瑠璃に支えられながら転がり込む。そして素早く扉を閉めて全員が息を潜めた。

一度書きあげた原稿をロストした時の喪失感たるや……

今後はこういうコトないように気をつけないと。


次回更新は6月19日。

では、待て次回。

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