《第二章》 這い寄るヨクボウ 第4話
「それにしても、二人ともどうしてここに? すげぇ良いタイミングだったから助かったけどさ……」
警備員詰め所の中、外から零れる仄明かりの中で琥珀に応急処置を受けながらふと彩人は訊ねる。琥珀はちらと彩人を見上げたものの何も答えず治療に専念。その代わりにといった形で瑠璃がひそひそ声で答えた。
『えっへへ。実は実は、おにーさんの制服にこっそり発信器を』
「……付けたのか?」
『ウソウソ。ホントはね、お兄ちゃんがここにも動物の死体があるよ~って噂を見つけたもんだから調べに来たの。そしたら何か派手な物音がしてたもんで覗いてみたら、おにーさんが真横に吹っ飛んでたってワケ』
「あのサイト……ゴシップ・ボードか」
ずいぶんとタイムリーな噂だったが、結果から言えばその投稿者のお陰で彩人は命拾いしたことになる。何処の誰だかは分からないが今は感謝しておこう。
「アイツはどうしてる?」
『えっと……まだ私たちを探してるっぽい。こっちに近づいてるけど』
「……」
『……え? あぁ、うんうん。あのね、お姉ちゃんがおにーさんは逃げろってさ。そっちの窓から出ればアイツに気付かれないと思うからって』
琥珀の目線と合わせて瑠璃の白い指先が反対方向の窓を示す。彩人が入ってきた場所とは逆、ちょうど正門の方向にあたる。『ヒト喰い』の足音がズシ、ズシ、と重い音を響かせて近づいてくる。ドアをぶち破られるのは時間の問題かもしれない。
「いや、だけ」
『怪我してる人間庇いながら戦えるほどお姉ちゃんも器用じゃないんだよ。……まぁ、おにーさんがもうちょっと元気だったらオトリに使おうかなぁとか思ってたんだけど、私の唯一の話し相手だし出来れば死んでほしくないんだよねぇ』
女の子、しかも人形の瑠璃にそう捲し立てられ彩人は言葉に詰まる。琥珀は窓に向けていた視線を外して立ち上がった。窓の傍に移動すると、瑠璃を操るための道具を握る右手が――僅かに震えているのが見えた。
「……行って」
『私たちが心配なら、お兄ちゃんと一緒に待ってればいいんだよ。帰ってくれば無事、それ以外はお終いってコトなんだしさ』
そいじゃね、と瑠璃がひらひらと素っ気なく手を振ると、琥珀はトランクケースを『ヒト喰い』はいる方向の窓に向けて放り投げた。ガシャーン! とガラスが砕けて散らばる音に『ヒト喰い』が素早く反応し駈け出したのが分かった。窓から飛び出した瑠璃は丸腰で、今のまま襲われたら勝ち目はない。
「……くそッ。本当に足手まといじゃねえか、これじゃ……」
野次馬根性で何か出来るだろうと勝手に調べた結果が――このザマ。情けなさ過ぎて言葉を失うレベルだった。結局自分自身では何も出来ない。ほんの少しでも何か出来るんじゃないかと期待していた自分はいくら恨んでも、呪っても、足りな過ぎる。
よろけながら、戸棚を支えに彩人は立ち上がる。外では琥珀と瑠璃が何処からかナイフを取り出しまた戦っている。
俺はただ、見てるだけしか出来ない。
ただの普通の左眼と、光るだけで何の役に立たない右眼で。
『別に、誰の役に立たなくてもいいのよ? だって貴方は“観客”ですもの』
「……!? だ、誰だッ!?」
彩人の耳朶を打った女の声。
それは愛人に語らうかのように甘く艶美に、刃物のように冷たく鋭く、胸の隙間を貫くような鋭利な声だった。不意に何処からともなく響き渡り、いくら周囲を見回しても、『ヒト喰い』と戦い続ける琥珀と瑠璃以外誰の人の姿も見えない。幻聴、とは思えないほど耳に残った少女の声に彩人の身体はピタリと硬直してしまった。
『その“眼”は、この暗くて愉しい【劇】を愉しんでもらうために私がプレゼントした素敵な“眼”。真実から目を背けていては損よ。もっと残酷な世界を、醜悪な真実を、目の前に広がってるリアルを刻みなさいな』
「……【劇】だ? それに、眼をプレゼントしただって…………ッ!? 何処だ、何処にいやがる!?」
クスッ、クスクス。
…………チリ、ン。
黒く塗りつぶされた闇の奥底から聞こえる少女の笑い声に微かな鈴の音が混じる。いつか聞いたあの冷たい鈴の音。声や鈴の音は彩人の足元から全身を這うようにして延々と響き続ける。逆撫でされているかのような、オモチャを弄ぶかのようにからかい煽るその口ぶりに彩人は脳裏にある言葉が過ぎった。
「魔女……」
『“魔女”、或いは死神。女神に天使と悪魔。好きに名付けてくれて構わないわ。今の私は何もない只のウツロイビトですもの』
「す、姿を見せろよ! この眼のこと、それに……ッ!」
『さっきから、貴方の目の前にいるけど?』
「ッ!!」
その声の通り“魔女”は彩人の目の前に忽然と立っていた。
真夜中の海の色に染まった広い唾の帽子。そこから覗かせているのは彩人と同じ金色の光彩を放つ瞳。詰所の事務机に囲まれた彼女はあまりにも現実から浮き過ぎていて、この世のモノとは思えないような奇妙で歪な存在感を放っていた。死人のようなゾッとするほど白い指先で彼女は自らの唇に触れた。
『元気そうで何よりね。でも、眼帯だなんて粗末なモノで隠してるのはいただけないわ』
「何なんだよ……お前! 何者なんだよ!?」
『さっきも言ったけど、私はただのウツロイビト。何者でもあるような、ないような……ふふ』
答えになっていない、答える気がさらさら無いのだと“魔女”はクスクスと冷たい微笑を浮かべる。目の前に現れたこの“眼”の元凶。彩人は、どんな手段を使ってでも事情を聞き出そうと思ってはいるのだが、前に踏み出そうとして身動きがまったく取れなくなっていることに気付いた。
『貴方は別に何もしなくていいし、知る必要はないわよ? 貴方の役割は『観客』。劇のはじまりに歓喜し、そのおわりまで愉しむことこそが『観客』としての義務ですもの。……時には、役者のためのファンレターに興じるのも素敵かしらね?』
「ふざけるなよ! 劇だの観客だの、ワケの分からないことを……!」
『うっふふふ……そうやって怒ってるのもカワイイわね。喜怒哀楽の激しいコは好きよ。感情が豊かじゃなきゃ【劇】は楽しめないものね』
彩人と彼女の話が繋がる気配が一向に感じられない。彩人はただただ焦り、そして彼女はそれを見て微笑っている。
『私はね、【劇】が好きなの。物語という虚ろで空っぽな世界を、在りもしないキャラクターをヒトが演じるのがたまらなく好きなの』
「何……言ってんだ……?」
クスクスと微笑し続ける彼女の言葉に彩人は困惑する。言葉が通じていないんじゃないかという気味の悪い感触。自分が、人間を相手に会話しているのではないと今になって実感した。
『だから私は自分で自分の好きな【劇】を創ることにしたのよ。劇に必要不可欠な存在……貴方なら分かるでしょ?』
「……じ、じゃあ琥珀や瑠璃は何なんだ? 俺が“観客”って言うんならアイツらは」
『【劇】にだって色々あるでしょう? 喜劇に悲劇、朗読劇なんてモノや人形劇……』
クスリ、と愛らしく嗤う魔女。
その瞬間、彼女の身体にゆっくりと闇が這っていくのが見えた。どす黒い闇が彼女を隠そうとしているかのように徐々に、徐々に。
「ま、待てよ! まだ話は」
『この【劇】が終末を迎えたらまた会いましょう。それまでは、貴方も彼女たちもこの【劇】を愉しんでちょうだい。それじゃ、ごめんあそばせ』
“魔女”が闇の中に溶けるように消えたと同時――背後から耳をつんざくような激しい物音が響き彩人の意識がハッと引き戻される。
「琥珀、瑠璃……!?」
『もー! あとちょっとってトコで逃げるんだからぁ!』
窓の外には憤慨する瑠璃と、胸に手を当てながら呼吸を整え立ち尽くす琥珀の姿があった。エプロンドレスの裾がビリビリに破けている瑠璃は、駄々をこねる子供のようにナイフを手にした両手をぶんぶん振り回している。彩人が眺めていると、不意に琥珀と視線が重なった。無表情だったその顔に、数ミリほど皺が寄ったように見えた。
『あれあれ? おにーさん逃げてなかったの?』
「アイツは……逃げられたのか?」
『あとちょっとってトコまで追い詰めたと思ったのに、急に態度が変わったみたいにどっかに飛んでっちゃった。まぁた探さなきゃになっちゃったよ』
「……引き際を心得てるってか? 何か、すごいな」
「…………」
『お姉ちゃんが、何でまだいるの? って怒ってるよ。何で逃げなかったの?』
「そうだ、なぁ二人とも聞いてくれ。その、信じられないかもしれないけどさ……」
『なになに? 何かあったの?』
「……“魔女”に会った。それも今しがた……んがっ!?」
『おわっと?』
瞬間、瑠璃の身体が弾かれたような速度で動いたかと思うと、彩人の身体を両手で思い切り壁に押しつけてきた。突然の出来事に彩人も、飛び出した瑠璃自身も不思議そうな表情を浮かべて肉薄している。
『あっはは……え、えっと。お姉ちゃんが』
「……何処に、行ったの」
臓腑が凍りつきそうなほど底冷えした声で琥珀が迫る。抑えつけられた上に凄まじいまでの剣幕で圧迫され、彩人はどうにか一言二言返すのでやっとだった。
「も、もういない。変なことを話した後、どっかに消えちまって」
「…………ッ」
今までずっと崩さなかった鉄面皮が崩れ、琥珀は一瞬だけ苦々しい表情を浮かべたかと思うと瑠璃の手の力が急に緩んだ。
『ご……ごご、ごめんねぇ。大丈夫? そのお話の続きは家で話してよ。時間はある……よね?』
「あ、あぁ……」
琥珀は瑠璃をトランクケースに仕舞うと立ち上がり、まるで何事も無かったかのように正門に向けて歩き出した。凍りついたような横顔で彩人に一瞥くれると、そのまま無言でまた歩いていく。彩人は慌ててその後ろ姿を追いかけた。
“魔女”の登場。
黒幕が出ると物語が動いてるなぁと実感する次第。
次回更新は来週の26日……おや、ウィクロスのブースター第二弾のはつば――こほん。
では、待て次回……の前に、一点だけお知らせあります。
詳細は活動報告にて。




