第1話
アパートの管理人の朝は早い。
「ふわぁ。ねむ……」
朝靄がうっすらと漂う中、私——狭間境歌は欠伸を噛み殺しながら箒で落ち葉を掃いた。
背後にある二階建てのアパートはそれ自体がまるで寝ているかのように静まり返っていて、少し羨ましい。
とはいえ、あと少ししたら騒がしくなるだろう。
そのことを考えて私は辟易する。
別に嫌、というわけではないが、多少のめんどくささを感じてしまう。
「おはよう。管理人」
そんなことを考えていると、目の前にTシャツに半ズボンというラフな姿の黒髪の男が話しかけてきた。
「おはようございます。マオさん。朝から買い物ですか?」
「あぁ。コンビニでちょっとな」
マオさんは無感情な顔で手に持っているコンビニの袋を掲げた。
中には菓子パンやゼリー、それにコーヒーが入っていた。
おそらく朝食だろう。
「今日も在宅なんですか?」
「いや。今日は〝公務〟で近くの街に行くつもりだ。どうやら便秘のドラゴンの口から火が止まらなくなってしまってな。あと少ししたら出る。
全く朝食をゆっくり食べる暇もない」
「あぁ。だから……」
こんな朝早くにわざわざ朝食を買っている理由に合点がいった。
そうだよね。マオさんは普段だったらもっと遅くに豪勢で優雅な朝食を食べているはずだもんね。
そんな朝食を食べているマオさんを想像して、ちょっと嫉妬心が芽生える。
今日は公務って言っていたけど——普段は在宅だから一歩も外に出ていないことも相まって——なんかムカついてきた。
「管理人はこれから学舎か?」
「はい。一応、女子高生なもので。もう少し掃いたら学校に行きますよ。在宅じゃないので大変面倒です」
「ふむ。そうか」
試しにちょっとした皮肉を言ってみたけど、マオさんには通じず、普通に返されてしまった。
なんだか子供じみた真似をしたのが恥ずかしくなってしまった。
「なら学舎の後、少し——」
「あ、マオさん。そろそろ時間じゃないですか?」
話を切り上げたくて、わざとらしくスマホの画面をマオさんに見せた。
「……………………ふむ……そうか…………」
あれ? いつも無表情のマオさんがなんか神妙な顔をしている。
私なにか変なことしたっけ?
「もうこんな時間だったか」
だけど、マオさんは特に何も言わずに踵を返すと、106号室の扉を開けて戻っていってしまった。
はて? 何か用事でもあったのだろうか。
まぁいいや。
もし言いたいことがあるんだったら、マオさんならまた伝えてくるだろう。
それよりも管理人としての日課を早く済ませておかないと。
悠長にしていたら学校に遅刻してしまう。
と私は箒を握り直して地面を掃いた——その瞬間。
「————境歌!!」
——あぁ。今日もうるさいのがやってきた。
声がする方を見ると、201号室の扉が思いっきり開いていて、甲冑姿の赤髪の少女が立っていた。
眼をバキバキにはち切れんばかりに見開き、こっちを見ていた。
そして彼女の後ろには、3人の男女が立っていた。
ひとりはシスター風の衣装を着た女性と、もうひとりはロープを着た細身の男性、それと盾と大剣を持った大男だ。
赤髪の少女は動くたびにガチャガチャと金属音を奏でながら、私のところに近づくと、
「〝魔王〟は!? 出てきた!?」
といつもの日課を聞いてきた。
「おはよう。ユウカちゃん」
私もいつも通りユウカちゃんに挨拶をする。
「うん。さっきまでいたよ。でももう部屋に戻っちゃった」
「もう! なんで止めてくれなかったのよ!」
「なんでって……いつも言ってるでしょ? マオさんとユウカちゃんが会ったら大変なことになるじゃん。住民の安全とプライバシーを守るのは管理人の務めだよ」
「もう!!」
ユウカちゃんは踵を返し106号室に近づくと、インターホンを押したり、ドンドンと扉を叩く。
「魔王! 出てきなさい! 今こそ私の聖剣の餌食にしてやるんだから!!」
「ユウカちゃん、近所迷惑だからやめて」
私はユウカちゃんの行動に苦笑いしつつ、やんわりと止める。
けれどユウカちゃんは聞く耳持たず、叩き破る勢いで扉を叩き続けていた。
このままじゃ扉が壊れちゃうな。でも私じゃユウカちゃんを止められないし。
「ほら。ユウカ。そこまでだ」
そう思った瞬間、ユウカちゃんと一緒に出てきた戦士の男が、背後からユウカちゃんをひょいと持ち上げた。
「離して! イクサ!」
ユウカちゃんがジタバタと暴れているが、イクサさんはまるで動じず首を横に振った。
「だ〜めだ。離したらこの扉壊すだろ?」
「そうだぞ。ユウカ。壊したら境歌が困るだろ?」
「えぇ。トウリの言う通りです。気持ちもわかりますが……」
イクサの両脇で、トウリくんと呼ばれた魔法使い風の男の子とシスター姿の女性——マイさんも口々にユウカを宥める。
マイさんは優しい微笑みを浮かべて、人差し指を立てると更に付け足すように口を開く。
「それにこの世界に迷惑をかけるわけにはいきませんよ。
——なにせ私たちは異世界の勇者パーティーなのですから」
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