第8話:祭りのあと、残ったのは借金と絶縁だけ
あの結婚式から一週間。
私の生活は平穏そのものだった。
新しい部署での仕事は順調で、人間関係も良好。誰も私のプライベートに土足で踏み込んでくるような人はいない。
だが、風の噂というのは恐ろしいもので、元家族たちの転落ぶりは、頼んでもいないのに私の耳に入ってきた。
◇
まず、翔の末路について。
これは美穂からの報告だ。
結婚式翌日の月曜日、翔は出社したらしい。
どんな神経をしているのかと疑うが、彼なりの「事なかれ主義」で、何食わぬ顔で席に座っていたそうだ。
だが、社内の空気は氷点下だった。
式に参加した同僚たちが、詳細な「地獄絵図」を拡散していたからだ。
『詐欺まがいの式だった』
『ご祝儀泥棒』
『親族から絶縁されていた』
そんな噂が飛び交う中、翔は部長に呼び出された。
会議室での会話は漏れ聞こえてこないが、出てきた翔は顔面蒼白で、震える手で私物をダンボールに詰め始めたという。
懲戒解雇まではいかずとも、事実上の「退職勧奨」だ。
「社員の品位を著しく汚した」「社内の秩序を乱した」というのは、クビを切るには十分な理由になる。
ましてや、彼は社内でも評判の悪い「不誠実男」のレッテルを貼られている。誰一人として彼を庇う者はいなかった。
翔は、結婚式という晴れ舞台で、社会的信用と職を同時に失ったのだ。
残ったのは、無職という肩書きと、膨大な借金だけ。
◇
次に、実家の状況。
これは、近所に住む幼馴染のお母さんから、私の母への電話が繋がらないという相談を受けた際に聞いた話だ。
式場からの請求額は、凄まじいものだったらしい。
基本プランに加え、当日の延長料金、親族同士の乱闘による備品破損の弁償、そしてスタッフへの迷惑料。
総額で四百万近くになったという噂だ。
本来ならご祝儀で賄うはずだったその費用は、全額が彼らの借金となった。
さらに、私への慰謝料二百万円。
合計六百万円の負債。
無職の翔、妊婦の愛梨、パート主婦の母、定年間際の父。
どう計算しても、払える額ではない。
そして、その重圧が、最も脆い人間を壊した。
――父だ。
ある日、私のスマホに、弁護士から連絡が入った。
『恭子さん、あちらのお父様と連絡が取れません。慰謝料の支払い期限についての督促を送ったのですが、宛先不明で戻ってきてしまいまして……』
嫌な予感がして、私は幼馴染に少しだけ様子を見てもらった。
その報告は、予想の斜め下を行く、最低最悪のものだった。
父は、会社を辞めていた。
それも、「早期退職制度」を使って。
退職金の上乗せをもらい、その全額を自分の口座に入れ――。
蒸発したのだ。
家に残されたのは、一枚の置手紙だけ。
『もう疲れた。あとはお前たちでなんとかしろ。探さないでくれ』
……ハハッ。
私は乾いた笑い声を漏らした。
なんとかしろ? どうやって?
退職金があれば、借金の大部分は返せたはずだ。それを持ち逃げしたということは、父は家族を見捨てたのだ。
「お姉ちゃんなんだから我慢しろ」と私に説教を垂れていた男が、自分が一番我慢できずに逃げ出したのだ。
残されたのは、ヒステリックな母と、世間知らずの妊婦(愛梨)、そして無職のクズ(翔)。
地獄だ。
これ以上の地獄はないと思っていたが、底が抜けたようだ。
◇
その夜、私はベランダで夜風に当たりながら、遠い空を見上げた。
父が今どこにいるのかは知らない。
若い愛人のところか、あるいはギャンブルか。
どちらにせよ、もう他人だ。
ただ、思う。
彼らは「家族の絆」を盾に私を搾取しようとした。
けれど、金という現実的な問題に直面した瞬間、その絆など砂の城のように脆く崩れ去った。
所詮、その程度の関係だったのだ。
私はスマホを取り出し、着信拒否リストを確認した。
そこには、母と愛梨、そして翔の名前が並んでいる。
通知履歴には、ブロックされた着信の痕跡が、何十件も残っていた。
きっと今頃、彼らはパニックになり、金蔓を探しているはずだ。
そして思い当たるのは、ただ一人。
絶縁したはずの、「しっかり者の長女」だけ。
「……来るわね」
私は確信した。
プライドも恥もかなぐり捨てて、彼らは私に泣きついてくる。
「家族でしょ」「助けて」と。
だが、残念ながら。
今の私は、かつての「都合のいいお姉ちゃん」ではない。
地獄の底から這い上がってきた、冷酷な他人だ。
私は冷めたコーヒーを飲み干すと、部屋に戻った。
最後の決着をつける時が近づいている。




