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第8話:祭りのあと、残ったのは借金と絶縁だけ


あの結婚式から一週間。


私の生活は平穏そのものだった。

 新しい部署での仕事は順調で、人間関係も良好。誰も私のプライベートに土足で踏み込んでくるような人はいない。


だが、風の噂というのは恐ろしいもので、元家族たちの転落ぶりは、頼んでもいないのに私の耳に入ってきた。



まず、翔の末路について。

 これは美穂からの報告だ。


結婚式翌日の月曜日、翔は出社したらしい。


どんな神経をしているのかと疑うが、彼なりの「事なかれ主義」で、何食わぬ顔で席に座っていたそうだ。


だが、社内の空気は氷点下だった。

 式に参加した同僚たちが、詳細な「地獄絵図」を拡散していたからだ。


『詐欺まがいの式だった』

 『ご祝儀泥棒』

 『親族から絶縁されていた』


そんな噂が飛び交う中、翔は部長に呼び出された。


会議室での会話は漏れ聞こえてこないが、出てきた翔は顔面蒼白で、震える手で私物をダンボールに詰め始めたという。


懲戒解雇まではいかずとも、事実上の「退職勧奨」だ。


「社員の品位を著しく汚した」「社内の秩序を乱した」というのは、クビを切るには十分な理由になる。

 ましてや、彼は社内でも評判の悪い「不誠実男」のレッテルを貼られている。誰一人として彼を庇う者はいなかった。


翔は、結婚式という晴れ舞台で、社会的信用と職を同時に失ったのだ。

 残ったのは、無職という肩書きと、膨大な借金だけ。



次に、実家の状況。

 これは、近所に住む幼馴染のお母さんから、私の母への電話が繋がらないという相談を受けた際に聞いた話だ。


式場からの請求額は、凄まじいものだったらしい。


基本プランに加え、当日の延長料金、親族同士の乱闘による備品破損の弁償、そしてスタッフへの迷惑料。

 総額で四百万近くになったという噂だ。


本来ならご祝儀で賄うはずだったその費用は、全額が彼らの借金となった。

 さらに、私への慰謝料二百万円。


合計六百万円の負債。


無職の翔、妊婦の愛梨、パート主婦の母、定年間際の父。

 どう計算しても、払える額ではない。


そして、その重圧が、最も脆い人間を壊した。


――父だ。


ある日、私のスマホに、弁護士から連絡が入った。


『恭子さん、あちらのお父様と連絡が取れません。慰謝料の支払い期限についての督促を送ったのですが、宛先不明で戻ってきてしまいまして……』


嫌な予感がして、私は幼馴染に少しだけ様子を見てもらった。

 その報告は、予想の斜め下を行く、最低最悪のものだった。


父は、会社を辞めていた。

 それも、「早期退職制度」を使って。


退職金の上乗せをもらい、その全額を自分の口座に入れ――。


蒸発したのだ。


家に残されたのは、一枚の置手紙だけ。


『もう疲れた。あとはお前たちでなんとかしろ。探さないでくれ』


……ハハッ。


私は乾いた笑い声を漏らした。

 なんとかしろ? どうやって?


退職金があれば、借金の大部分は返せたはずだ。それを持ち逃げしたということは、父は家族を見捨てたのだ。


「お姉ちゃんなんだから我慢しろ」と私に説教を垂れていた男が、自分が一番我慢できずに逃げ出したのだ。


残されたのは、ヒステリックな母と、世間知らずの妊婦(愛梨)、そして無職のクズ(翔)。


地獄だ。

 これ以上の地獄はないと思っていたが、底が抜けたようだ。



その夜、私はベランダで夜風に当たりながら、遠い空を見上げた。


父が今どこにいるのかは知らない。

 若い愛人のところか、あるいはギャンブルか。

 どちらにせよ、もう他人だ。


ただ、思う。

 彼らは「家族の絆」を盾に私を搾取しようとした。


けれど、金という現実的な問題に直面した瞬間、その絆など砂の城のように脆く崩れ去った。

 所詮、その程度の関係だったのだ。


私はスマホを取り出し、着信拒否リストを確認した。

 そこには、母と愛梨、そして翔の名前が並んでいる。


通知履歴には、ブロックされた着信の痕跡が、何十件も残っていた。


きっと今頃、彼らはパニックになり、金蔓かねづるを探しているはずだ。

 そして思い当たるのは、ただ一人。


絶縁したはずの、「しっかり者の長女」だけ。


「……来るわね」


私は確信した。


プライドも恥もかなぐり捨てて、彼らは私に泣きついてくる。

 「家族でしょ」「助けて」と。


だが、残念ながら。

 今の私は、かつての「都合のいいお姉ちゃん」ではない。


地獄の底から這い上がってきた、冷酷な他人だ。


私は冷めたコーヒーを飲み干すと、部屋に戻った。

 最後の決着をつける時が近づいている。

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