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第12話 脂ぎった計算機(後編)

……象徴潜行ダイブ


心の中でそう唱えてカードに触れる。


瞬間、私の意識が冷気にさらされる。

個室の闇が吹雪の色に溶け、私は極寒の雪原に立っていた。


目の前の雪道を、カードの住人である二人の男……松葉杖をついた男と、裸足の男が歩いている。

状況からすると、相談者とそのパートナー…コンサルだろうか。


二人は雪の中で立ち止まると、お互いが持っていた汚れた荷物を相手に渡し、ニヤリと笑い合った。

そして、背を向け、反対方向へ歩き出そうとする。


しかし……


ガチャン。


重く鈍い音が雪に吸い込まれる。

二人の足首は、太く錆びついた「鉄の鎖」でガッチリと繋がれていたのだ。


彼らはそれに気づかず、必死に反対方向へ進もうとして、お互いの足を引っ張り合う。

バランスを崩し、もつれ合い、ついには二人同時に冷たい雪の中へ顔から倒れ込んだ。


その頭上には、五つのペンタクルが描かれているはずの教会のステンドグラス。

それは救いの光ではなく、彼らを逃さないとでも見張るような「監視の目」に変わっている。


「…なるほど。これは『一蓮托生』の遭難ね」


そこまで視て、私は意識を浮上させた。

瞬きを一つすると、視界は再び薄暗い個室に戻っていた。


私は冷ややかな目で男性を見据え、宣告した。


「最終結果は、『共倒れ』です」


「な……!?」


「このカードの絵をよくご覧なさい。…二人は鎖で繋がれています」


私が指差すと、男性はハッとしてカードを覗き込んだ。

もちろん絵に鎖など描かれていないが、今の彼には、その冷たい鉄の質感が「視えて」しまったのかもしれない。顔色がさらに青ざめていく。


「一人は貴方。…そして、もう一人はその『パートナー』です」


「……っ!」


「貴方は『離れれば逃げ切れる』と思っていたようですが…運命はこのパートナーと貴方を離しません。お互いに足を引っ張り合い、この雪の中で倒れる未来が確定しています」


「う、嘘だ……嘘だァッ!」


男性が立ち上がり、椅子を蹴倒した。

その顔は恐怖で引きつっているが、まだ認めたくないという浅ましいプライドが張り付いている。


「く、鎖だと……? バカバカしい!……証明しろ」


「はい?」


「あんたの占いが、どれくらい当たるのか証明してみろ! …口先だけで脅して、コンサル料の代わりに壺でも売りつける気か!? 俺は騙されないぞ!」


男性は必死だった。

これが「インチキ」であってほしい。

そうでなければ、自分の人生が終わってしまうからだ。


「……証明、ですか」


私は小さく溜息をつき、静かに告げた。


「そもそも、タロット占いは()()()()()で判断するものでは、ございません」


「…は?」


「世の中にはそのようなアプローチでなさっている方もいらっしゃいますが、当店は当たり外れではなく、19世紀の魔術結社が体系化した『象徴解釈』を採用しております」


なんの話だ?とでも言いたげな男性に、私は畳み掛けるように説明を続ける。


「それは未来を予言する魔法ではなく、貴方の深層心理という『原因』から、導き出される『必然の結果』を読み解く……いわば『魂の計算式』です」


「1たす1が2になるように。貴方の心が『保身』と『疑念』で構成されている以上、算出される未来は『破綻』以外にあり得ない。そこに、運不運が入り込む余地などないのです」


男性の表情が凍りついた。

視線がゆっくりと、自分の右足へと落ちる。


そこには何もない。ただの靴下と、スーツの裾があるだけだ。

だが、男性の手が震えながら、その足首へと伸びる。


「……な、んで……」


男性が足首に触れた瞬間、ビクリと肩を震わせた。


「ですので…証明というのであれば、今のまま何も変えずにお過ごしくださいませ。結果はそのうちご自身で確認できるでしょう」


「あ……あぁ……」


男性はガクガクと震えながら、その場にへたり込んだ。

疑いようがない。

今、自分の足には、目に見えないが確実に存在する「死の鎖」が巻き付いている。

占いが当たっているとか、いないとか、そういう次元ではない。

「既に逃げられない」という現実を、身体が理解してしまったのだ。


「お、終わりだ…」


男性の口から、魂が抜けるような音が漏れた。


「完璧な計画なんて、最初からなかったんだ…。俺は、ずっと…」


男性の瞳から光が消え、焦点が虚空を結ぶ。

怒りも、否定も、保身の欲すらも消え失せた。

残ったのは、空っぽになった抜け殻だけ。


男性はゆらりと立ち上がると、ふらつく足取りで出口へと向かった。


「…帰ります。もう、何も…考えたくない…」


バタン。


個室の扉が力なく閉まり、男性の姿が消えた。


ただ、自分が「詰んでいる」という事実だけを抱えて、彼は今日、家に帰るのだろう。

明日の「プレゼン」がどうなるかはわからない。


個室に残されたのは、男性が座っていた椅子の冷たさと、静寂だけ。


「……行きましたね」


いつの間にか入り口に立っていたコウが、無表情に呟いた。


「ええ。……随分と『空っぽ』になって帰ったわね」


「まあ、これだけの想念を置いていったら、そうなるでしょうね」


私はテーブルのカードを回収し、束に戻した。

最後に触れた『ペンタクルの5』のカードは、役目を終えて静かに熱を失っていた。


「…さて、回収をお願い」


コウは静かに頷くと、虚空に手をかざした。


部屋の隅々に漂っていた「古い油」のような臭いが、渦を巻いて彼の手のひらに集まっていく。

それは、白く輝く「霜降り」のような結晶へと凝縮されていった。


「…ほう。これはまた、上質な」


コウはその結晶を指先でつまみ上げ、うっとりと目を細めた。

指の熱で少しだけ溶け出し、濃厚で甘ったるい香りが立ち上る。


「ベースは『保身』という名の、こってりとした脂身。…それが、最後の『絶望』で一気に急速冷凍されている。濃厚なアイスクリームのような、とろける舌触りですよ」


「熱々の欲望を、恐怖で瞬時に冷やしたわけね」


「ええ。計算高く、粘り気のある欲であればあるほど、冷えた時の『甘み』が増すんです。…これは、なかなか市場には出回らない珍味ですね」


コウは満足げにその結晶を小瓶に収めながら、私に視線を向けた。


「店長。…今日のこれ、お持ち帰りになりますか?」


コウはそう言いながら、今収穫したばかりの小瓶を掲げて見せた。

白い霜降りの結晶が、照明を受けてキラキラと輝いている。


たまにこういう上質なものが手に入った時は、味見用に持ち帰ることがある。

味を知った上でお客様に出した方がよいから、という理由だ。


「…そうね」


私は少し考え、頷いた。


「持ち帰るわ。ルカあたりが喜びそうだし」


「承知しました」


コウは別の小瓶を取り出し、

霜降りの結晶を1/3ほど別の小瓶に移し替えると、残り2/3が入った元の小瓶をキッチンの冷凍庫へとしまい、


「冷凍保存推奨です。常温だと溶けて風味が落ちますので。忘れないで持って帰ってくださいね。」


と、言った。

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