番外編 廃屋の幽霊
本編より過去の話。
アブラゼミの合唱に耳を傾けた黒川は、額に汗を滲ませ呟いた。
「……困ったな」
縁側に仁王立ちで眺めるのは、小さな森となった庭だ。この所、何かに理由を付けては除草をサボった結果である。虫にとって雑草は隠れ家になり、食料にもなる。その虫を求めてトカゲや鳥が集まり、またどこかで付けた種が庭に撒かれる。そうした小さな循環に感動しつつも、静観ばかりはしていられない。
「どうにかしないといけませんね」
口では言いつつ、身体は全く動こうとしない。毎日、真夏日に近い気温に、黒川は辟易としていた。
「ごめんくださーい」
遠くから声がして、顔を上げる。──来客とあれば仕方ない。黒川は目の前の問題を、一旦頭の片隅に追いやった。
「キョーイチさん、こんにちは」
「あ、どうも。こう暑いと敵わないねぇ」
店先には今年、商店街の会長となったキョーイチが立っていた。肩に掛けたタオルで汗を拭う姿は、祖父のロクスケによく似ている。黒川は自然と背筋を伸ばした。
「そうですね。日射病には気を付けないと……それで何かご用ですか?」
「それがね、娘から気になる話を聞いたんですよ」
「はぁ、気になる話ですか……」
キョーイチは神妙な面持ちで黒川を見つめた。その鋭い目で見るのはやめて欲しい……とは、とても口には出来なかった。
「あの田中さんの家の近くに、空き家があるじゃないですか」
「ああ、ありますね」
脳裏に浮かぶのは、庭木が鬱蒼と茂る古い一軒家。以前の住人はどんな人だったか……昔のこと過ぎて、黒川ですら思い出せなかった。
「あの家が、一家心中のあった呪われた家だとか言われているらしくて……」
「一家心中ですか? 聞いたことありませんが」
どこからそんな話が生まれたのだろうか。人と言うのは、何かにつけては恐ろしいものに仕立て上げるのが上手い生き物だと感心してしまう。
「でも何故、そんな話をわざわざ?」
ただの噂話であれば放っといて良さそうだ。そう判断した黒川は、キョーイチを眺め首を傾げた。
「そのインターネットとかで、そういう所を回っている奴らがいるようで……何かイタズラでもされたら困るんじゃないかって、娘が言うもんで……」
不安げな眼差しを向けるキョーイチに、黒川はようやく納得した。近頃、流行っている電子の世界は理解に及ばないが、侮るのも悪手かもしれない。黒川は少し考え込み、頷いた。
「なるほど……気に留めておきます」
「ありがとうございます」
穏やかな笑みを浮かべ、キョーイチは頭を下げた。帰っていく背中が見えなくなった頃、どっと肩の力が抜けていく。
「さて、どうしましょうか……」
黒川は眼鏡を押し上げ、聞いたばかりの話に思案を巡らせた。
****
街灯の少ない県道を、白い車が走っていた。車内の声が外まで響くほど、二人の若い男がはしゃいでいた。
「いやー、さっきのとこはハズレだったな」
「ボロいだけで全然恐くなかった! この間のラブホの方がヤバかったわー」
男たちは今、肝試しが一番の楽しい遊びだった。運転をしていた男が、おもむろにポケットから古びた腕時計を取り出す。
「じゃーん! これ、戦利品」
「何お前……さっきのとこから持ってきたの!? マズイだろぉ!」
助手席の男は窘めるような言葉を吐きつつ、愉快げに笑った。
「これ高く売れるかな?」
「さあ? ぱちもんじゃねーの?」
運転している男は、しげしげと腕時計を眺める。男物のズッシリとした銀の時計は高そうに思えた。出来れば、こんな親のお下がりの車を手放し、新しい車が欲しかったのだ。しかし男は知らない。乗っているその車が、のちに人気になりとんでもなく高値になること……この時は知る由もなく、それはまた別な話なのだった。
「それより次、どこ行く?」
「次はぁ、一家心中のぉ呪われた家〜」
「キャー!」
夜の廃墟巡りは、若い二人には刺激的なアトラクションにしか過ぎない。車内では、次の目的地への期待で高まっていた。二人はバックミラーに映る黒い影に気付かず、車は暗闇を照らし走っていった。
着いた先は、古びた商店街の近くにある一軒家だ。ネットの話では、借金苦の末に一家心中した家で、今でも家族を殺した父親が徘徊しているらしい。昼間に情報を見た時は何も思わなかったが、いざ目の前にすると、不穏な雰囲気に二人は圧倒された。
「……行くか」
どちらともなく呟いて、錆びた鉄扉を押し開けた。鉄が擦れる音が耳に響く。一歩足を踏み入れると、伸び切った草木がざわざわと揺れて、恐怖心を煽った。
「おじゃましまーす」
「ジャマするなら帰って〜」
「じゃあお前一人でどーぞー」
二人は、茶化し合いながら家へ入った。何故、人が住まなくなった家は、こうも湿気臭いのだろうか。淀んだ空気に、次第に口数が減っていく。
「……別に何もないな」
「まあ、いつものことじゃん」
一階を回り切った二人は、少し落ち着きを取り戻した。玄関先まで戻ると、視線は自然と階段へ向く。
「じゃあ……二階、行く?」
片方が頷くと、そのまま階段へ足を伸ばす。踏み板が軋み、嫌な音を立てる。上がった先には、幾つか部屋があり、どれも扉は閉まっていてた。
「どれから見る?」
「そうだな……」
正直、二人はどれも見たいとは思っていなかった。何故かいつもより緊張している。しかし、どちらも止めようとは口に出来ずにいた。
「……一番、奥の部屋行こう」
ようやく決心がついて、奥の部屋を指差した。恐る恐る進んで行く廊下が、とても長く感じる。ドアノブに手をかけ互いに視線を交える。もう一度確かめるように頷き合い、静かに扉を開いた。
「……待ちくたびれましたよ」
暗闇から男の声がする。二人は声も出せず、身体が恐怖で膠着した。震える手で懐中電灯を部屋の奥へ向けると、座っている人の背中が照らされる。ゆっくり振り返るそれは、懐中電灯の光を反射した。
「ぎゃあああああああああ!!」
二人は声を揃え、大きく叫んだ。恐怖のあまり力が抜け、その場にへたり込む。部屋の男は緩やかに立ち上がり、二人の方へ足を向けた。今すぐ逃げ出したいのに、惨めに床でじたばたと足掻くことしか出来ず、一人は少し漏らしてしまった。
「おやおや、そんなに怖いのなら止せばいいものを……」
落ち着いた男の声が、二人を正気に戻していく。息を大きく乱しながら、改めて目の前の男を眺める。小柄で眼鏡をかけた男は、腕を組み、二人を呆れたように見下ろしていた。
「……生きた……人間?」
「ええ、残念ですが」
一人の呟きに、目の前の男は皮肉を込めて微笑んだ。
「分かってますか? これは立派な不法侵入ですよ」
「……それ、は」
安心したのも束の間、男が突き付ける事実に二人は萎縮した。怯えたような眼差しを向けながら、浮かんだ疑問に抗えず一人が口を開いた。
「あの……あなたはずっと、ここにいたんですか?」
明かりもつけずに座っていた男は、今は幽霊よりも不気味に思えた。男は眉を顰め、大きく溜めた息を零した。
「ここ三日ほど。夜だけですが」
二人は顔を引き攣らせ、男を見上げる。その時、下の階で何か物音が聞こえた気がした。
「な、なに?」
二人は顔を見合せる。荒い足音と、人の怒号に似た声がする。それは階段を駆け上がり、こちらに向かっているようだった。
「……まずいですね」
男は呟くと、二人の元に駆け寄った。
「早く奥へ、早く!」
男に急かされ、二人は部屋の中央まで、床を這いずり進む。扉が閉まる寸前、黒い影が見えた。
「……もしかして、一家心中の父親?」
「そんなものはいませんよ」
泣き言に似た呟きは、すぐさま男に否定された。何かが扉を強く叩いている。低い呻き声が恐ろしくて耳を覆う。
「貴方たち、別の場所にも行きませんでしたか?」
男の問いかけに、混乱している二人はすぐ答えることは出来なかった。男は二人を強く睨みつける。ふと、ポケットの中の物を思い出した。
「……あ、腕時計」
銀色の時計を取り出すと、それを見た男は肩を落とした。
「窃盗までしてるんですか……」
「いつもはしてないっすよ!」
言い訳をしたところで、扉を叩く音は止まない。いつ破られてもおかしくない気配に、持っていた時計を落としてしまった。
「それを早くこちらへ!」
「は、はい!」
床に落ちた腕時計を、男の方へ蹴飛ばす。男は素早く手に取ると、扉の方へ歩いていく。
「こちらはお返ししますので、怒りを収めていただけませんか?」
男が声に反応して、叩く音はぴたりと鳴り止んだ。男がゆっくり扉を開いた先に、黒い大きな影の男が一人。荒い息を繰り返し、その場に佇んでいた。
「申し訳ありませんでした」
影の男は、全身が黒く覆われているのに、血走った目だけが異様に目立っていた。男に差し出された腕時計を受け取ると、それは重い足取りで二人に向かって歩き出した。
「ひっ……」
声を上げ後退る二人に、男は人差し指を立て、窘める。影の男は二人には目もくれず、壁の向こうへと消えていった。
「……まったく」
男が小さく息をつくと、澱んでいた空気が晴れていくような気がした。しかし、こちらに投げかける視線は冷たい。二人は揃って息を飲んだ。
「さて、警察に連絡しないといけませんね」
「警察……!?」
男の言葉に、二人の血の気が引いていく。その瞬間、これから起こるであろう、事柄が頭の中を駆け巡った。
「もうしませんから! お願いですから、警察には言わないでください!」
一人が土下座をし始め、それに倣い、もう一人も額を床に擦り付けた。
「おやおや……窮地を助けたと言うのに、更に許しまで乞うとは」
男は顎に指を添え、悩む素振りを見せる。──押せば、イケるかもしれない。一人が顔を上げた。
「何でもしますから! お願いします!」
「何でも、ですか……」
やけに落ち着いた男の声が、頭に響く。嫌な汗が背中を伝い、不快感が増した。
「分かりました。そこまで言うなら、黙ってあげましょう」
穏やかに目を細める男に、二人は生唾を飲み込む。来るんじゃなかった。後悔しても、もう遅い。
****
翌日、ヒグラシが鳴く中、黒川はスイカを抱え歩いていた。夕暮れが差す道の向こうに、水を巻いているキョーイチが見えた。
「やぁ、黒川さん。ずいぶん大きなスイカですね」
「ええ、ちょっとお客さんが来ているので」
叩くと、張りのある音を立てる果実は、ずっしりと重い。黒川は抱え直しながら、思い出したように声を上げた。
「そういえば、例の空き家のことですが、やはり人が来てしまうみたいですね」
「やはりそうですか……困ったなぁ」
キョーイチは顔を顰め、唸り声を上げた。
「ふふ、でも大丈夫です。当面は心配ないですよ」
「本当ですか? さすが黒川さんだ、ありがとうございます」
黒川の言葉に、キョーイチは胸を撫で下ろした。涼しい風が吹けば、どちらともなく別れのあいさつを交わした。
帰ってきた黒川は店に入るより先に、庭へと足を運んだ。雑草が詰まったゴミ袋が、山のように積まれている。小さな森は開拓され、見事な平地へと変貌していた。
「さすが、若い方は仕事が早いですね」
除草作業を終えた、若い男二人は、地面に腰を下ろしへばっている。黒川は微笑み、二人を家へ招いた。
「出来ることなら、毎年お願いしたいですね」
切ったスイカを並べながら黒川が呟くと、二人は揃って首を横に振った。
「もう本当にしないので、勘弁してください……」
──それは残念。黒川は笑いながら、綺麗になった庭を眺めた。




