浦野聡美のひみつのカフェラテ
ヒロカズさんが異動になる。
東京営業所での一件で、責任をとらされて、火中の栗を拾わされるなんてあんまりだ。不正を暴くのがそんなに問題なの?
「こんな異動に納得していいんですか!?」
私が詰め寄っても
「だいじょーぶ。なんとかなるさ」
と彼は手をヒラヒラさせる。人の気もしらないで。
私はやるせない思いだけを抱えて、会社を出た。
私にできることはないんですか?…そういいかけて、ぐっとこらえる。何度も。
晩秋の街はあっという間に夜を迎えている。
夜、はやいよ。
なんだかとても淋しくなる。
いつもそんな気分のときに行く場所がある。
街角をまがり、裏路地の雑居ビルの一階。あたたかな木の温もりを感じる店。
“coffe moon”
ドアを開けるとカランコロンという昔ながらの音をたてる。
この音、好き。
「いらっしゃいませ」
顔見知りのマスター。早期退職してカフェをはじめて15年。優しい人柄と趣味のいいレコード。多くのお客さんを惹き付けている。
「ラテください」
「かしこまりました」
ここのカフェラテが好き。
「ほっ」
と心地よいため息がでる。湯気と一緒に、もんもんとした思いも消えていく気がする。
カフェは今日も賑わっている。夕方17時から深夜2時まで。
私のようなサラリーマンや、夜の街で働く女性、そして老若とわずカップルとか…
私も彼と…いやいや、ないな、彼は夜と言えば酒だから。
なんて、考えてすこしふふふってなる。
…カランコロン…
またお客さんだ。サラリーマンかな?
カウンターのイス2つ向こうに座る。
「マスター、チーズケーキとカフェラテ」
そうそう、チーズケーキもうまいんだよね。
…あれ?どっかで聞き慣れた声。
「あ、シゲさん?」
名前を呼ばれたシゲさんこと北木さんが振り向く。
「ん?サトミちゃん?」
隣、いい?と聞かれ、私は、はい。と答える。
「どうしたの?よく来るの?」
「ええ。時々、シゲさんこそ、お酒飲む店しかいかないんだと思ってました」
「人をおたくの上司の飲んだくれと一緒にしないでよ。甘いのもコーヒーも好きなんだよ」
と頬を膨らませたかと思うと
「とくにここのチーズケーキ最高だよね。ラテによくあう」
と嬉しそうに運ばれてきたチーズケーキを眺める。
「で、どうしたの?」
北木さんがたずねる。私はなんのことかわからず、キョトンとしてしまった。
「なんだか、声かけられたとき、泣きそうな顔してたよ」
「なんでも…ないです…」
ないわけがない。
「そっか…。ここのカフェラテはいいよね」
「…はい」
たぶん声が震えていた。
シゲさんのなにも聞かない優しさと、ラテの香りに癒された。
「ください」
「あっ!オレのチーズケーキ!」
丁寧に少しずつ食べるチーズケーキが美味しそうで、最後のひときれをいただいた。やっぱり美味しい!
「マスター、私にもチーズケーキください」
「…オレのチーズケーキ…」
あー!美味しいもの食べて、明日もがんばろー!
…
翌朝、彼は役員会へと出掛けていった。
査問のような形で吊し上げにあうのだろうか。
気になって仕事どころではないのが本心だが、同じくそれどころではない後輩たちには
「気になってしょうがないのはわかるけど、わたしたちに今できることはないんだし、仕事しな!仕事!」
と叱る。
矛盾した役どころに思わずため息がでるころ、彼は帰ってきた。
「部長どうなりました!?」
と後輩たちとおもわず詰め寄る。
「うーん、まだわからん」
とヒロカズさんは呟き、イスにどっと腰かけて深くため息をついた。
よほど疲れていたのか、「果報は、寝て待て」…と、それからこっくりこっくりとうたた寝を始めてしまった。
一日かけた役員会も終わり、
さっそく人事異動が発表され、各職員のメールフォルダに一斉送信された。
よかった!! ヒロカズさんは残れる!
部員一同がどっ!と歓声をあげる。
ヒロカズさんは、ふう。とため息をついて
「みんな、心配かけて、すまんね。これからもよろしく」
と頭を下げた。
そしてもうひとつの目玉人事。北木総務部長誕生。
けして出世欲のあるとは言えないシゲさんの大出世、他人事だから、くすっと笑ってしまった。彼の困惑した顔思い浮かべて。




